第18話
「なつきー。荷物。あんた宛ー」
「すぐ行く!」
部屋をドカンと飛び出して、私は一段飛ばしに階段を降りると、茶色い段ボールを受け取った。何を買ったのか気にしているらしいママには「パーカッションの機材だよ、見る?」と言いながら箱を開ける素振りを見せた。母は「いいわよ」と言ってリビングに引っ込んでしまった。
作戦通りだ。ああいう言い方をすれば、母は追求してこない。下手にこそこそしていると、それこそ公開処刑される可能性があるから、ちょっと勇気を出した。だけど、本当にちょっとした勇気だ。これをポチった時に比べれば……本当にもう……。七千円もしたのに、使えなかったらどうしよう。暴れるかも。私は自分がどうなってしまうか分からない恐怖に耐えながら、自室へと戻った。
ゆっくりとドアを閉めると、早速テーブルの上にあったカッターを手に取る。こんなことで怪我をして指が使い物にならなくなるなんて嫌だから、慎重に梱包を解いていく。
「そーっと、そーっと……」
paraの動画は相変わらずずっと観ている。何をしたらこんな音が出せるんだろうと考えていたはずなのに。いつの間にか、何を考えているんだろうとか、何が見えているんだろうとか、そんなことが気になるようになっていた。
そこで気付いた。多分、同じように考えている人はたくさん居るって。paraには到底及ばないけど、私の視線なら見せられるって。というか、そうすることによって顔バレを回避できる方法を思い付いた。
ある商品の購入ボタンをタップしたのは数日前。届いたのは今。包装を解いていくと、そこにはイメージした通りの小型カメラがあった。本当はスパイカメラとかいう物騒な物らしいんだけど、かなり平和的な使い方をするから許してほしい。先日、駅前のビルで買ったレンズの大きなサングラスの左側のレンズに取り付ける。カメラの後ろがマグネットになっているのでレンズ越しに適当な鉄板を設置すれば……。
「よし、結構しっかり固定出来た。アプリをインストールして動作確認して……」
準備はしていたけど、これほど上手くいくだなんて。私はこれを掛けて、顔を隠しながら、自分の視点を映像に残すことができる。音を録る機材はスタジオに借りれるらしいから、後で音と映像を合わせるつもりだ。専用のアプリも落としてある。
「最後に、ここにSDカードを入れて……録画開始、と……」
イメージ通りの使い方がちゃんとできることを確認してきたけど、カメラの方は全く問題ない。唯一の問題は私にサングラスが似合わないってことくらい。
目下最大の悩みは、ドラムの音と原曲の合わせ方だ。スタジオで大きな音で曲を流して、音+映像にするか、ドラムの音だけ録って、ドラムの音+原曲+映像にするか。きっと後者の方が聴きやすい。でも、そうしたら元々入ってるドラムの音と私の演奏でぶつかったりしないのかな。分からない。慣れてる人はパソコンを使って編集するのかもしれないけど、私にはそんな知識は無いから、全部スマホで済ませるしかない。もっとパソコンに強ければ良かったなんて後悔、生まれて初めてした。
「とりあえず、調べてみよ」
かなり特殊な調べものだけど、問題を切り分けていくと案外なんとかなる。ほらね。
「イコライザーで特定の音を下げると、シンバルの音は結構消せるっぽい……?」
早速アプリを落として試してみる。ちょっと籠もった音になるけど、ドラムの音は後から入れるし、これくらいなら許容範囲内だ。
順調に問題が解決していくのが嬉しくて、ちょっと怖い。環境が完璧に揃っても、結局私の演奏が酷かったら元も子もないから。あとは、演奏したい曲を選ぶだけだ。スマホに編集可能な形式で取り込める曲の中から選ぶのがいいんだろうけど、そうするとCDを持ってる曲が手っ取り早いということになる。
「……なんか無いかな」
一瞬、本当に一瞬だけヒイズルのCDの方を見てしまったけど、これはダメだ。あの三人と演るの、すごく楽しみにしてるから。でも、よっぽど好きじゃないとCDなんて買わない。サブスクで大体聴けるし。
「あ」
スマホって本当に偉大だ。なんでもできるし、なんでも教えてくれるから。それにしても、サブスクの曲って、ダウンロードできるんだ……知らなかった……。
ってことは、使ってるサービスで配信されてる曲ならなんでもいいってことになる。始めはテストの意味もあるし、そこまで深く考えなくていいだろう。私はこの間コピーしたばかりの、あの三人と演奏した曲をダウンロードすることにした。
「イコライザーで音を調整して、と……」
思いつく限りの準備が出来てしまった。手持ち無沙汰になった私は、改めて曲を聴き込む。原曲がシンプルだから、多少のアレンジは許されるだろう。私にできることなんてたかが知れてるけど。なんていうか、攻めやすい曲調だと思う。
スタンドの前に立って、パッドの上に置かれているスティックを手に取る。イメージしたフレーズを叩いてみて、曲の雰囲気を邪魔しなさそうかどうかを確かめていく。試しにサングラスを掛けてそのままパッドを叩く。小型とは言えカメラはそれなりの重さがあるから、下を向くとそのまま落ちてしまいそうになった。ギリギリ落ちないけど、こんなの心配しながらドラムを叩くなんて絶対にイヤだ。
「念の為買ったけど、まさか本当に使うことになるとは……」
サングラスと同じ日に買ったものがもう一つある。それは、メガネ固定用のバンド。数百円の商品でこれほど効果を実感できる物も少ないだろう。それくらいに効果てきめんだった。
「これなら……!」
ちなみに、左目はほとんど見えていない。カメラでほとんど潰れている。だけど、問題無い。手元を見ながら演奏しなければいけないほど初心者じゃないから。
とにかく、ここまではこの上なく順調だ。私はカメラをサングラスから外し、ケーブルを差して充電すると、ベッドに寝転んだ。今度は動画の投稿方法を再度確認する。もちろんスマホで。
***
昼休み、私はまた誰も来ない教室に移動して、一人で動画を観ていた。もう、二十回は観たと思う。paraじゃなくて、自分の。ちゃんとスタジオに入って撮影して、自分なりに編集したやつ。投稿用のアカウントは、昨晩作った。名前はnoticeにした。木月だから、noticeの持つ意味、気付きとかけてる。本当にそのままで恥ずかしいけど。なんか、顔を隠してるのに女子だって分かる名前で活動するのもあざとい気がしたから。そのまま投稿しちゃえば良かったのに、なんか勇気が出なくて今に至る。はっきり言ってかなり後悔してる。
撮影も編集も、大きな問題は無かった。ちょっと難しかったけど、多分音ズレとか映像の乱れとかも無く作れたと思う。ただ、そもそもの実力はどうなんだとか、サングラスとマスクだけじゃなくて帽子も被った方がいいんじゃないかとか、そんなことを気にし出すと、投稿ボタンが押せない。ちなみに帽子については本当に被った方がいいと思ってる。万が一に備えてマスクも付けたけど、意味があるとは思えなかった。でも、私は忘れていた。ドラムセットのすぐ真横には鏡があるって。というか壁一面が鏡張りになっている。一瞬でもそちらをちらっと見たらアウトだ。気兼ねなく演奏する為にも、次回からは万全を期した方がいいだろう。
「……」
小さな反省会をしていて、ふと気付いた。こんな動画投稿して、誰が観るんだって。私は、paraと同じことをしてみたかっただけ。有名になりたいなんて思ってないし、なれるとも思ってない。
「そうじゃん」
気付いた。こんなに悶々とする必要、絶対無いって。自分に言い聞かせてるんじゃなくて、考えれば考えるほど、心からそう思う。
「投稿しよ」
平静を取り戻した私は、昨日から悩んでいたのがウソみたいに、投稿ボタンをタップした。マナーモードに切り替えるみたいに、淡々と。プログレスバーが進んで、すぐに動画作製中という画面になった。なるほど、こちらからアップロードした画像は、みんなが観れる形に変換されるのか。
「はぁー……よっし」
私はいつの間にか左手で握り締めていた菓子パンの袋をポケットに入れて立ち上がる。いつ食べ終わったのか、全く記憶にない。味も覚えていない。この様子を動画に収めて投稿した方がよっぽどウケるんじゃないかって思ったけど、それは言いっこなしだ。
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