第16話
吹奏楽は定期演奏会に向けて再始動し、バンドは順調に動き出した。何もかもが始まる中、終わったのは夏休みだけだ。
もう少し三人の基礎が出来たら、ヒイズルのなんの曲をやるか決めて、
「おっ、もう時間か。日直」
「はい。きりーつ、れい」
チャイムが鳴って、夏休みを惜しむようなやる気の無い号令に合わせて授業が終わる。四時間目が終わって、私は財布とスマホとイヤホンを持って教室を出た。
最近の私は、動画サイトに夢中だ。早足で購買に向かい、適当なパンを買うと旧校舎の社会科教室へと足を向ける。誰も来ない場所だ。友達は人並みにいるけど、あいにく私はこの時間を絶対に誰にも邪魔されたくない。
「えーと、昨日はここまで観たから……」
閲覧履歴を確認して、その次から、と思ったけど、昨日観た最後の動画を再生した。数時間ぶり二度目だけど、やっぱり感動してしまう。
スマホの中には、女の子が一人。ドラムを叩いている。スティックさばきがすごいとか、速いタム回しがかっこいいとか、コメントで言われていることよりも。私は彼女の出す音に夢中だった。スネアの音が違う。芯がしっかりしていて、一つ一つが粒立ちしていて、だけど繊細で軽やかだ。ストロークが素人と違うように見えるけど、たったそれだけの違いで、これほどの違いが出るのか。私はその謎を解明するために彼女の動画をずっと観てる。
適当にドラムの動画を観ようと思って検索して、彼女を見つけてしまったことは私にとって不幸で幸せだ。ヒイズルの曲のことは三人と決めたいからと、あえて避けるように数日生活したおかげでこの有様だ。
para。それが彼女の名前。動画サイトのチャンネル登録者数は四万とちょっと。四万人以上の人が自分の動画を、演奏を観てくれるって、どんな気分だろう。もちろん、誰かに注目されることだけが音楽の全てじゃないけど、興味は尽きなかった。吹奏楽部という団体で演奏してきた私にとって、自分だけの演奏を観てもらうという行為は、対極にある気がしてならなかったから。
味のしないアンパンを食べ終わった。それに炭酸飲料を合わせて飲んでるんだから、私ってとことん食に無頓着だと思う。流石に合うとは思ってない。でも、牛乳は温くなったらあんまり美味しいとは思えないし、私は昼に買った飲み物をちびちび放課後まで飲みたい派だ。ペットボトルに入っていない牛乳という飲み物を選ぶことは滅多に無かった。パンを持っていた手が空いて、その手でやっと観たことのない動画をタップする。
長い金髪をポニーテールにして、顔はマスクなんかで一切隠していない。綺麗な子だった。こんな子がドラムの性能を十二分に引き出す演奏をするんだから、世界って広いなって思う。多分この子、顔つきからして日本人だけど。
服装はいつもシンプルだった。袖があると邪魔だというのは何かの動画の概要欄に書いてあったけど、気持ちはよく分かる。というか、ドラムをそれなりに真面目に叩いたことのある人間なら大体の人が理解できるだろう。そして下は大体ハーフパンツだった。彼女の動画には足元を映す用のカメラがあるから、きっとその為に履いているんだろうけど、たまに生足最高なんて下品なコメントが付いていて、見かける度に軽くうんざりしている。
「うわすっご……」
彼女の動画は、いつも何かの曲を”叩いてみた”ものだ。だけど、有名な曲の数はそれほど多くはない。おそらくは自分が叩きたいと思ったものを、メジャーマイナー問わず選んでいるんだと思う。そして私はその半分くらいを知らない。新しい動画はたまたま知っている曲だった。
「でも、こんなに複雑なこと、やってたっけ……? いや……」
最近の私は、ドラムに対する意識がかなり変わった。「担当することもある楽器。たくさんある中の一つ」から、もっと特別なものになった。吹奏楽で使うスネアだろうと、基礎練習の根幹はさほど変わらない。ドラムだけで必要になるテクの練習はしたいけど、さすがにそれは無理だから。部活ではドラムにも役立てるような基礎の練習を重点的に行うようになった。家に帰ったら動画を観たり、かっこいいと思ったフレーズをコピーしたりしてる。
何が言いたいって、そんな生活を続けていく内に自然と身についたことがある。お店で流れてる有線とか、テレビで耳にする流行りの曲とか、無意識で耳コピしてる。今回、paraが叩いた曲もそう。ノリが良くてシンプルな曲だって、知ってた。なのに、記憶と全然違う。彼女は自分なりのアレンジを加えて、まるで自分のフィールドに曲を引き込んでいるようだ。
「……そうか、それで、いいんだ」
原曲の通りに演奏しなくてもいい。それは、分かる。そりゃギターソロの裏でドラムソロを叩いたら怒られるだろうけど。
例えば、Bメロからサビになる時や、サビから間奏に移行する時に叩くフレーズとか。それまで主にリズムを刻んでいたドラムが、ここぞとばかりにシーンの移り変わりを示すように自己主張する。これをフィルインとかオカズって呼ぶ。つまり流行りの曲にフィルインが無い曲なんて、基本的に存在しない。
私がフィルインを叩くとすれば、その全部を原曲通りにしようとコピーするだろう。だろうっていうのは、ほとんど経験がないから。だって、吹奏楽には、楽譜がある。その通りにやらないと他のパートに迷惑をかけることも多いから、危ない橋をあえて渡ることはなかった。
「……何、考えてんのかな」
彼女と私じゃ、根本が違う。違い過ぎる。もっと彼女の考えていることが知りたいと思った。自分と違う環境で、たくさんある楽器の中からドラムという楽器を選んだ人が、どんな気持ちでスティックを握っているのか。
もしかして、同じことをしてみれば、分かるようになるのかも。とすれば、動画配信? いや、部活の知人にすら吹奏楽以外の活動を知られたら面倒なことになるっていうのに、それは無理か。
考え事をしている間に、スマホはparaの動画を次から次へと流していた。一つ一つ、過去を遡るように。あんまり頭に入ってなかったけど、頭の片隅でずっと、「やっぱりいい音だなぁ」って思ってた気がする。予鈴のチャイムが鳴って、私はやっと顔を上げた。窓から差し込む陽の光が、やけに眩しかった。
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