第15話
演奏前の少し張り詰めた空気が、さっきのやりとりでいつの間にかどっかに行っていた。三人は目を見合わせる。琴子がギターの弦より少し上を、ピックで軽く叩く。カン、カン、カン。四つ目の音は鳴らない。そのたった一拍の空白の内に、琴子は右手のポジションを弦の上に戻し、次の小節のアタマで三つの音が鳴った。
鳳のリードギターはすごく安定している、ように聴こえる。ギターやベースのことは分からないけど、もっと危なっかしい演奏になることも想定していた私は舌を巻いた。チルのベースも堂々としている。ドラム不在の演奏で、チルに掛かる負担は大きいはずだ。だけど、彼女に心細そうな様子は一切見えない。ビジュアルで決めてしまったけど、このパート決めは鳳にもチルにもいい選択だったんじゃないかと思う。
何が言いたいって、三人は全然悪くない。盛大にトチったらさすがの私でも分かるだろうけど、三人とも少しぎこちなく見える手付きで精一杯決められた楽譜からの
琴子が視線を上げて、マイクに口を寄せる。歌が入れば分かるかもしれない。そんな期待を抱いて、私は彼女が声を出すのをじっと待った。
彼女は歌う。ギターを弾きながら。そういえば、楽器の演奏ばかりに気を取られていて、琴子の歌のことを気にしたことがなかったなって、そのときにやっと思い至った。だって琴子は、歌はどうにかなるってスタンスだったから。なんとなくその空気に乗せられていた。ポップスやロックを聴くほとんどの人にとって、歌以外オマケだって、分かっていたはずなのに。心のどこかで「普通に歌えればいいよ」くらいの認識でいたことを恥じた。
「すご……」
朗々としていて、伸びやかで、真っ直ぐ過ぎるくらいに真っ直ぐな歌声に、私は心打たれた。
「これ……やっぱり聴いたことある……」
知ってる曲ではある。間違い無い。だって、琴子が歌おうとしている次のメロディが頭の中に浮かんでくるから。懐かしさを感じさせるけど、そんなに古い曲じゃないはず。時折それぞれの演奏に意識を向けながら、曲名を思い出そうとする。
そしてサビ。私は完全に思い出した。というか思い出す必要すら無かった。歌詞がそのままタイトルだったから。このご時世、ロックを聴かない人ってどんな人だろうって考えながら聴いたことを思い出した。
歌われているのは、自分の好きなものを好きな人と共有したいという、すごくシンプルな気持ち。きっと誰にだって理解できるけど、私や琴子達にはもっと深い部分で理解できる気持ち。だって、私達はそれをきっかけに知り合って、今こうしてスタジオの個室にいるんだ。
残響を残して演奏が終わる。私の顔色を窺うような視線を感じる。私は、心からの拍手を送った。吹奏楽の演奏会でも拍手を送ることはあるけど、こんなに熱い気持ちが届いて欲しいと思って手を叩くことは稀だ。わたしは、この短期間でここまで成長した三人を本気で讃えた。こんな私に三人のドラムが務まるのかと心配になるほどに。
「すごい! ねぇ! 本当にすごいよ!」
「ホント……!?」
「ホントだよ! みんなすごいね!」
語彙力の無さが目立つけど、本当にすごいしか言えなかった。だってみんなすごいから。曲として全然成立してる。きっと拙いところはたくさんある。だけど、さっきも言ったけど、音楽を聴く人たちが全員楽器の経験があるワケじゃない。ほとんどの人は邪魔をしない演奏と、心に響く歌と歌詞を楽しむはずだ。だとしたら、三人の演奏は十分合格だと思う。
照れくさそうに琴子が笑って、今の演奏に納得いかないところがあるのか、チルは同じフレーズを繰り返して弾いている。鳳は屈んでエフェクターのつまみを調整しては弦を爪弾いていた。私は、もう我慢できなくなってスマホとイヤホンを取り出した。音楽プレイヤーを立ち上げて曲名を検索する。ボリュームを大きくして、いま琴子たちが演奏してくれた曲を再生する。
アタマはよくある4ビート、八小節目でダッジャーン、オーソドックスなキメ。Aメロは8ビート、Bメロも変わらず。サビ前はフロアタムとスネアで盛り上げ、サビでハイハットをハーフオープンにしてまた8ビート。サビの最後はスネアからタムを落としてシンバル。二番のアタマはちょっと変則的だけどついていける。二番のサビが終わると今度はそのままギターソロに移行。アタマのキメと同じものを叩くと、琴子のギターとボーカルのみになる。そして最後のサビ。最後のフレーズは2回繰り返す。その後はアウトロ。最後、また、ダッジャーン。
「おーいってば。なつきー」
「いける」
「え?」
大体の構成とリズムパターンを頭に入れると、私はそう言ってイヤホンを外しながら顔を上げた。
「いくよ」
「まさか」
「いつでもいいですよ」
私が何を言っているのか理解したらしい鳳はニヤッと笑うとギターを構える。目を丸くしたチルは、状況が飲み込めていないまま、とりあえず弦の上に右手を添えた。彼女の体は何かが始まると察したらしい。
「嘘でしょ!?」
琴子の言葉に返事をする代わりに、私はたったいま聴いたばかりの曲のテンポでカウントを取る。四つ叩くと、曲が始まる。誰も出遅れることなく、今度はドラム入りで。
いつもと全然違う。違和感の正体にはすぐに気付いた。指揮者が居ないんだ。アンサンブルコンクールに参加したことがあれば違ったんだろうけど、あいにく私にその経験はない。私が走れば、きっとみんなそれに合わせざるを得ない。吹奏楽でもそんなことはあった。指揮者がパーカッションに合わせざるを得ないことが。だけどそれとは、感覚がちょっと違った。もっと直接的に、リズムの中枢を担う使命を課せられた感じ。
森田先輩に、いつもどこかに行きたがってるみたいな演奏だと言われたことを思い出した。私は、ここに来たかったのかもしれない。
琴子が、鳳が、チルが。それぞれにしか果たせない使命を背負って音を出す。それが合わさって、唯一無二になる。たまに視線を合わせて微笑んで。今という瞬間が楽しくて堪らないって、演奏で伝え合う。最後のサビに入る。今ここが、この瞬間が小節のドアタマだって主張するように思い切りクラッシュシンバルを叩いてみると、演奏を始めた瞬間に拓けたと思っていた視界が、さらに広くなるような感じがした。
アウトロを演奏する頃には、私は笑っていた。微笑むんじゃなくて、ケラケラと声を上げながらスティックを振っていた。最後にリタルダントで曲を締めると、三人を見た。にらめっこしてるみたいに、誰も何も言わない。負けたのは琴子だ。彼女が短く笑い声を上げると、私達はようやく笑い合った。
「すごーい! ねぇみんな!」
「ドラムが入るだけで全然違いますね」
「ねぇ! チルは!?」
「…………あっ、なんか演奏中ずっとビックリしてた。終わったんだ」
「そんなことある!?」
三人も確かな手応えを感じてくれたみたいだ。琴子はチルの言葉に笑ったけど、私には彼女の感覚がよく分かった。演奏中は永遠を感じて、それが一瞬で終わる。そんなことが、何度かあった。いつもじゃない。なんか、そういう奇跡みたいな演奏がたまにある。その瞬間に立ち会えたなら、すごく光栄だ。
「めっっちゃ楽しかったね」
「ね! っていうか、なつきすごすぎるよ! 一回聴いたら叩けるの!?」
「あぁね。私もびっくりした」
「まさか。元々色んなところで流れてた曲だから雰囲気は知ってたし、聴いてみたら結構シンプルだったから。たまたまだよ」
謙遜なんかじゃない。現に、ヒイズルの曲は何度聴いても何をしているのか分からないところがたくさんある。こうかなと思って叩いてみてもノリが違ったり、どう聞いてもそんなことはしてないけど、こっちのフレーズの方がまだそれっぽく聞こえるって妥協したり。
だけど、私の言葉は正しく伝わっていないようだ。琴子は「またまたー」なんて言いながら、手でひらひらと私を扇いでいる。なんとなくいたたまれなくなった私は、チルを見た。
「チルは何回かここに来てるみたいだけど、何をしてたの?」
何ってそりゃ練習なんだろうけど。私のちょっと変な質問に、彼女は意外な答えをくれた。
「あぁ。ちゃんとした環境で音を出すことに慣れておきたかったから。ドラムを叩いたりした」
「えっ?」
途中までは理解できたんだけど、最後で急に分からなくなった。私だけじゃない、琴子と鳳もきょとんとしている。だけど、チルはやっぱりマイペースだ。
「ドラムだけ生音でしょ。だからドラムを叩いてみて、「あぁこれくらいの音なんだ」って確認して、ベースの音量をそれに合わせて調整して。好きなんだ、大きな音で練習するの。でも、私が叩く音よりも、なつきの音の方がずっと大きいね」
そう言って彼女は笑った。
「へー。でも、それなら家にあるアンプにヘッドフォン繋げば? おっきい音で練習できるじゃん?」
琴子の情緒も何もない指摘に、チルはゆっくりと首を振る。
「おっきいアンプから音が出て、体でその音圧を感じるのが好き。あ、琴子にはまだ分からないかな」
「なんだその言い方はー!」
チルは分かりやすく馬鹿にするように、口元に手を当ててプププと笑いながら琴子を見る。琴子はマイクを通して反論して、鳳と私は目を見合わせて呆れたように笑った。
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