第9話
家に帰って、ご飯を食べてお風呂に入って。することが無くなってから、琴子達にメッセージを送った。スネア、クビになったって。
本番まで一ヶ月を切って、この時期にそんな花形をクビになるって結構尋常じゃないんだけど。三人はピンと来ていないようで、反応に乏しい。別に、大げさに心配されたいワケじゃないからいいんだけど。むしろ、その無頓着さが、今の私には有り難かった。
鳳は「じゃあバンドの方により多くの時間を割けるようになりますか?」とメッセージを送ってきて、チルに「さすがに無神経」と叱られていた。琴子は鳳のメッセージの後に「それ、いいね!」というスタンプを送り、チルのツッコミのあとに「私もそう思う」というスタンプを送ってきた。三人の会話の緩さとコントっぽさのお陰で、私はその日初めて笑った。
『他のパートに回されただけだから、練習には出なきゃだけどね。自由曲もあるし』
『よく分かんないけど、そういうのってレギュラーじゃなかったとしても、サボっちゃダメなんでしょ?』
『よく分かったね。そうそう』
チルと話を進めていくと、私のスケジュールがあまり変わらないことを悟り始めた琴子が悲しみのスタンプを連発していく。会話が見えなくなるからやめて。
『時間に余裕ができるわけじゃないけど、気持ちにはすごく余裕ができたよ』
『でしょうね。大会の本番、大勢の前でソロを演奏するなんて』
『うん……。でも、森田先輩には悪いことしちゃったな』
そうして私は、彼女にパートを譲ってもらって、それを返したという何とも情けない経緯を話した。琴子はずっと「それでそれで?」というスタンプを乱用していたけど、私が「みんなに話してると、やっと実感涌いてきた」と告げると、静かになった。
『やりたかったの? スネア』
『分かんない。去年は、やりたかった。っていうか、やりたいって話してた。だから、今回任せてもらえた。でも、色々あって、最近はそれほど打ち込んでもいなくて。譲ってもらった手前、ちゃんとやらなきゃいけないと思って、だからやってた』
『んー。辞めたら?』
『ちょっ! チル!?』
琴子が制止するけど、チルの言う通りだ。彼女は正しいことを言っている。私の話をこんな風に断片的に聞かされたら、そう思うのも当然っていうか。
『いいよ、チルの言う通りだし』
『辞めないの?』
『辞めない』
『なんで?』
『吹奏楽で、また心の底から楽しく演奏できる瞬間を、ずっと待ってるから』
なんのこっちゃと思われても仕方ない私の発言を茶化す人はいなかった。三人にスランプのことは話していない。秘密にしてるからじゃなくて、単純に上手く話せる自信がないから。言葉を探している間に「自分ってホントダメだな」って凹んで強制終了させられるから、上手く言えないまま今に至る。
『とにかく、もう一度楽しめるようになってから考えるよ。いま辞めたら、私はただ逃げた事になるから』
『そっか』
『では、我々はそれまで練習あるのみですね』
『だね! あたしらがまともに演奏できるようになるまでは木月さんはそっちで頑張って!』
本当にいい子達だと思う。知り合ったばかりだけど、彼女達のいいところならたくさん挙げられる自信がある。
そんな三人と長々とやりとりをしていたやっと気付いた。私、まだ木月さんって呼ばれてるって。そういえば、バンドに入るって決めたとき、その返事をするので手一杯だった。
『あの、言い忘れてたんだけど。私の名前、なつきね』
『なつきブチかませー。好き放題して小物もクビになっちゃえー』
『派手に暴れて吹奏楽部をクビになっていただいても構いませんよ、なつきさん』
『なつきー! なつきなつきー!』
好き放題しろなんて言ってるけど、チルと鳳の方がよっぽど好き放題言ってくれてる。琴子に至ってはそういう鳴き声の珍獣だ。苗字が珍しいせいか、あんまり下の名前で呼ばれることがない。多分、鳳と私はそういう意味で同類だと思う。鳳の方がよっぽどカッコいい名前だけど。とにかく恥ずかしくなってきた私は、おやすみというスタンプを送ると、部屋の電気を消して布団に潜った。
「……はぁ」
静かで真っ暗な空間の中、目を開けても何の意味もないのに、いつの間にかそうしていた。自分のソロが頭の中でループする。上手くいかなかった感触が手に蘇る。クレッシェンドを意識しすぎるあまり入りのユニゾンがズレて、そこからは走りそうになったり、逆にモタりそうになったり。結果、最悪な演奏をした。正直、たった一つの要素を増やしただけでここまで崩れるとは思っていなかった。
そして今日、スネアをクビになった。まぁ今日の演奏はただのきっかけに過ぎないだろうけど。きっとみんな、ずっとしっくり来ない何かをスネアに感じていたんだ。
死ぬわけじゃないって、たまに自分を慰めそうになるけど、そんなに傷付いてないって我に返る。どうでもいいって振り切ろうとするけど、そんなワケないってまた我に返る。
結局私は何を感じて、どうしたいんだろう。答えは出ないまま朝になった。体を起こして、辺りを見渡して。手のひらをじっと見つめて、やっと「森田先輩にビンタされたのは夢だったんだ」って理解した。
***
スネアをクビにされてから一週間後。夏と共に本番が迫っている。
私は、森田先輩と交換した楽譜の全容をやっと理解しつつあった。感想はシンプル。この曲の小物、鬼だ。
難しいことはしていない。むしろ簡単とも言える。だけど、その目立ち加減が鬼だった。ちょっと癖のあるリズムが他のパートと被っていて、ズレたら即死する。
スネアは違った。いや、大まかに言えばもちろん似通ったフレーズだったけど、楽曲を切り開いていくような、そんな独自性があの曲のスネアにはあった。でも、小物は違う。普段は添え物のように軽視されがちだし、事実私達も誰がやってもなんとかなると思ってる節がある。
でも、これは例外だ。特に鈴。鈴なんて振るだけで音が出るオモチャと思われているかもしれないけど。この楽曲で使用するのは、スレイベル、分かりやすく言うとジングルベル。持ち手を逆さにして軽く叩いてやるだけでクリスマスみたいな音になる。荘厳で重厚感のあるマーチで、ベルの存在感は圧倒的だった。サウナの中にかき氷屋さんがあるくらいの異質さと言い替えてもいいかもしれない。
「この譜面を演奏するのに必要なのはテクじゃない、度胸だ」
「おっ。木月のくせにいいこと言うな」
「森田先輩!?」
「あたしもその見解が正しいと思う」
「先輩、こんなの演奏してたんですね……」
「お前の問題点はそこ」
森田先輩は私の独り言を拾って意味深なことを言うと、ケラケラと笑いながら遠くの窓へと移動していった。音を出している中で雑談なんてできないくらいの距離を取られる。私が苦戦していたフレーズも軽々と叩いている。いや、叩くだけなら一応私も出来るんだけど、私は合奏になるとてんでダメだった。クビになるくらいには。
森田先輩のセッティングを真似て、楽器の持ち替えなどの確認をする。スレイベルの他にトライアングルなんかも私の担当だ。三角形の金属を手に取り、目の前に掲げてみる。金属棒のばち、ビーターを手に取り、音を出す。曲のイメージに合う音が出るビーターを選んで、残りはしまった。
毎回たくさんビーターがある中から「あぁ、これだこれだ」って探すの面倒だから、できれば出しっぱなしにしておきたいけど、他の人も使う物でそんな我が侭は言えない。いや、言えたのかも。私に変な負い目が無かったら、軽々しく「出しといていいですかー?」って。分かんないや。訪れなかった未来を想像するってかなり虚しい。
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