タッタカタッタカタッタカタカタカ
第6話
私の部屋の真ん中には、親戚のおさがりの炬燵みたいなテーブルが鎮座している。お世辞にも大きいとは言えないテーブルの上には、ヘッドフォンが繋がっているスマホと、私の腕が置かれていた。夜な夜な音楽を聴くのは半分習慣のようなものだ。だけど、今日はちょっとだけ違った。
ベッドを背にして胡座をかいて、向かいにある壁の一点をなんとなしに見つめて。両耳から入る情報を際限なく細切れにしていた。音の一つ一つを分解してどのタイミングで何が鳴って、同時に鳴っているものが何者か、そういうことに全神経を集中させている。
「……ファーストアルバムからこれって。改めて聴くとやっぱりすごいな、ヒイズルは」
琴子達と四人でスタジオに入ったのがまるで昨日のことのようだ。本当はもう一週間以上経ってるのに。琴子は父のギターで、チルはなんとお母さんの弟さんからベースを融通してもらえたらしく、翌々日には練習を開始していた。そして鳳は昨日、やっとギターを買った。
唯一自分のギターを買うお金をすぐに工面できると言っていた鳳だけど、意外や意外、練習開始は最後尾スタートだ。だけど、私達は誰も鳳のことを責めなかった。
「もっかい聴こかな……」
だって、当たり前だから。何万円も出して、人生で初めての楽器を手にする。それが特別じゃない訳がない。ギターには色んな種類があることくらい、弾けない私にだって分かる。鳳には、後悔しない買い物をしてほしかった。それを彼女に伝えると、「軍資金があると言っただけで初めて買うギターに全て使うとは言ってませんよ」という、なんとも屁理屈みたいな答えが返ってきた。なんというか鳳らしい。
「……はぁ、もっかい」
要するに、適当なギターを買って自分の音の好みがはっきりしてきたところで、少し奮発した買い物をするつもりらしい。恐ろしいくらい冷静だ。そしてやる気だ。一つ目の楽器を手に入れる前から二本目の購入を視野に入れてる人ってどれくらいいるんだろう。挫折する可能性とか、見てないんだな。そういう人は強いと思う。彼女は大成するかもしれないなんて思った。
そんな経緯で、色々調べたり楽器屋を渡り歩いたりして少し時間がかかったけど、鳳は自分のギターを昨日、手に入れた。隣町の楽器屋で。
私は吹奏楽の練習で行けなかったけど、後で買ったギターの写真が送られてきたから知ってる。行きたかったなって思った。彼女の門出に立ち会いたかった。でも行けない事情があった。その両方を分かっていたであろう三人は、私のスマホを鳴らした。
「うーん……?」
そしてヘッドフォンから漏れる音を旋風機が押し除ける私の部屋。私は久々にヒイズルのファーストアルバムを聴いていた。あの子達がある程度弾けるようになったときに何の曲をやるのかなとか考えてみたら、きっとファーストアルバムの中から選ぶ気がしたから。
理由は単純で、一番人気のあるアルバムだってことと、難しいと言われているヒイズルの演奏だけど、初期は比較的簡単だから。ドラム以外のことはあまり分からない私ですら、ヒイズルの音作りがどんどん洗練されていってるって分かる。昔はもっと、勢いでばーっと押す感じが強かったっていうか。
「はぁ。ちょっと休憩」
だから、初期の曲を聴いて、そのままできるだけ耳コピしちゃいたいなって頑張ってた。だけど今言ったみたいに休憩。なんでって、ごちゃごちゃしているところが全く聴き取れないから。
唯一の経験者のくせに手も足も出ない罪悪感から、私は逃げるように再生する曲をロックからクラシックへと変える。今年のコンクールで演奏する曲をなんとなく流す。課題曲と自由曲のうち、課題曲のマーチを。実際、CDでどうなっているか確認しておきたいところがあった。
私の担当はスネア。要は小太鼓なんだけど、マーチのスネアは演奏の要だ。弾むように楽し気に、それでいてソロは堂々と。そう、ソロ。マーチはスネアのソロが存在することが少なくない。私達の夏の集大成とも言える課題曲も例に漏れずそうだった。
「こっちの方がまだ分かる」
私はここからここまで、と範囲を決めて、自分の担当パートを狙い撃ちで何度も聴く。
「やっぱり……難しいことはしていない、はず……」
私は単純に、指揮に合わせて演奏するのが苦手なんだと思う。吹奏楽をやっててそれって結構マズいんだけど。
こんな歯痒さ、中学の頃は感じていなかった。高校に入ってから、顧問の先生の
「難しく、ないのになぁ……」
逃げるようにかけたマーチを聴いて、また苦しくなる。私はただ、楽しく音楽がやりたいだけだった、と思う。だけど最近は八方塞がりだ。手が動くようになっても、合わないんじゃ意味がない。少しずつ音楽を知れば知るほど、私は自分の無力さを知ることになった。
当然、顧問の悪口は言ったことがない。叱られ過ぎて陰口を叩く子なんかは居たけど。私はそれすらできる立場に無かった。端から見れば、悪いのは私だから。だってみんな顧問に合わせてる。私だけが合ってない。そんな状況で顧問の悪口を言っても、ヘタクソが何か言ってると笑われるのがオチだ。
「……」
タイミングが合うか分からないから、私は最近、フォルテッシモが怖くなった。パーカッションをやっていてこんなことを言うなんて、恥ずかしいこと極まりないと思う。何故なら、パーカッションというのは肉食獣に例えられるほど、吹奏楽では存在感のあるパートだから。私に付いてこいくらいの豪気さを持つ子の方が向いているように思う。
私も、中学の頃はそうだった。自分の音を合図に入ってくる子がいるかもしれない、そんな責任感すら感じながら、見せ場とばかりに張り切って音を出した。でも、高校に入ってからしばらくして、なんだか苦手になってしまった。
合わないかもしれないから、大きな音を出す度に勇気が要る。責任なんて今の私には意識できない。自分のことで手一杯なんだから。そしてそんな演奏しかできない自分がカッコ悪くて、自分の演奏が嫌いになる。
「なんで、みんなができること……私にはできないんだろうな」
私が自己嫌悪に揺れる間も、曲は流れ続ける。時間は流れ続けるのだから。指揮者がタクトを構える。みんなも楽器を構える。そして自分の意思とは関係無しに曲が始まる。そこからはノンストップだ。一、二秒で一つの小節が過ぎていく。場合によっては一秒もかからないかも。私だけじゃない、誰だって、その流れに逆らうことはできないんだ。
つまり、曲が始まった時点で、だいたい何秒後に自分のソロが来るのかが既に決まっている、って。最近気付いた。中学のメンバーのままずっと演奏してたら、もしかしたら気付かなかったかもしれない。賢くなったのやら、臆病になったのやら。どちらかは分からないけど、ただ一つ言えるのは……こんな自分、私はあまり好きじゃない。これから音楽を始めようという琴子達が、私には眩しすぎる。妬む気持ちは無い、ただ羨んでいるだけ。そんな心境を自覚して、琴子達に黒い気持ちを抱いていない自分に少し安堵している。
「あーもう、やめやめ!」
ヒイズルの曲は入り組んだところがよく分からないし、コンクールで演奏する曲は分からないところが無くて凹んだ。明日は土曜日だけど、部活の練習でいつもと同じ時間に登校することになっている。既に寝支度は整えていたので、私はベッドへと撤退した。今日は音楽や部活に関連する夢を見ないといいな、と願いながら。
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