第5話

 一足先に出たロビーはちょっと煙草くさくて、だけど見た目は結構綺麗だ。そんなところに自分が出入りしているのが意外だけど、煙草の臭いが制服に染み付いて、面倒が起こらなければいいと思うくらいの気持ちしか湧かなかった。自分でも思う、私は悪ぶりたいところも無ければ、かわいこぶりたいところも無いなって。そう言ったことに関心が向かないというか。今も、別のことを考えている。結構な音量で流れている洋楽のアーティスト名、そればっかりが気になってる。どこかで聴いたことある気がするんだけど。

 ガイセンスタジオには三つのブースがある。部屋の広さはAだけが少し大きくて、BとCは狭め。私達が今日使わせてもらったのはBスタジオだ。扉は開けっ放しになっていて、時おり琴子ちゃんの「あっ! ごめんなさい!」なんて声が聞こえて来たりする。不慣れで、だけど一生懸命頑張っていることが、その声から窺えた。


「……はぁ」


 私が支払うものは無いみたいだし、待っている必要すらないのかもしれない。ここからなら自宅までの道も分かる。スタジオのドアから顔を出して、「じゃ、帰るね」って。そう言えばいいだけだ。きっと。

 だけど、私は動けずにいた。現状を考えてみる。私以外のメンバーはみんなほとんど知らない子達で、さらに楽器未経験。素質も何もかもが未知数で、やる気だけで今日という日をセッティングして私をここまで連れてきた。私はコンクールを控えていて、時間にも気持ちにも余裕が無い。

 さらに、先輩はもちろん、同級生や後輩達にだってこの活動を知られるわけにはいかない。学校でバイトが禁止されているわけではないのに、吹奏楽部では一人もバイトすらしていないんだから。部活外でバンドを組んでいるなんて知られれば、確実に面倒なことになる。最悪退部かも。

 この状況を普通に考えれば、私が首を縦に振ることは考えられない。だから私はすぐにでも立ち上がって、三人に挨拶をして、家に帰る道すがら、なんて断ろうかを考えるべきだ。


「おまたせ」

「ホントに待っててくれたんだ」

「え、ひど。帰った方が良かった?」

「まさか! チルと琴子は照れ隠しをしているだけですので。今日、いくら?」

「レンタル器材代入れて一人千円。あ、木月さんは抜いてね」


 いつの間にか片付けを終えてロビーに戻ってきた三人は、テキパキと割り勘を済ませてお会計に行った。本当に私は払わなくていいらしい。


「あのさ、琴子ちゃん」

「へ? あぁ、琴子でいいよ。チルも、鳳も、みんな呼び捨てで」


 他意は無いけど、私がバンドに入らないと言おうとしているのであれば、三人を呼び捨てで呼ぶというのは何気にハードルが高い。これから親密になる予定も無いのに、って思っちゃうから。だけど、私はそんな琴子の提案をすんなりを受け入れた。


「わかった。琴子」

「うん、何?」

「私、バンドやるよ」

「そっか。……へ?」


 スタジオの会員証を財布に戻すために視線を落としていた琴子がゆっくりと顔を上げる。ちょっとつり上がっている彼女の目が、まん丸になっていた。面白いなんて言ったら、失礼かな。

 琴子は私に背を向ける格好で立っているチルと鳳とを、交互に目を見合わせているようだ。あたしの聞き間違い、じゃあないよね? と、彼女の表情が言っている。そして、チルと鳳がほぼ同時に私へと振り向いた。


「今なんて!?」

「正気ですか!? 吹奏楽部ですよ!? コンクールの正規メンバーなんですよ!?」


 鳳に至っては、私と同じ次元で私のスケジュールの心配をしてくれていたようだ。見た目はオバケみたいでちょっと怖いけど、普通にいいヤツなんだよな、この子。っていうかそう思うなら誘うな。


「えっと、理由……訊いていい?」

「うーん。三人は、まだ楽器は未経験で、楽器のセッティングの仕方すら曖昧で、しかも難しいと言われてるヒイズルのコピーバンドを組もうとしている、かなり酔狂な人達だけどさ」

「すごい言われようですね」

「まぁ、事実だよね」

「なんだろ。うーん」


 自分のこの感覚を口で説明するのはとても難しい。普段は大勢の中で埋没している私の演奏を、私だけの演奏を聴いて、いいなって言ってくれたこと。どうせ誰も知らないとずっと諦めてたバンドを知っている、初めて出会ったヒイズルファンの子達。私なんかに声をかけてくれたこと。それらを総合すると、それって、つまり……。


「みんなのこと、もっと知りたいなって思ったから、かな」


 普段よりも小声で、嘘偽り無い言葉をぽつりと零す。三人は理解できないという顔でポカーンとしていた。


「ただ、さっき鳳が言ったように、コンクールメンバーだから、その」

「分かってるよ。こっそりやろう」


 私の言葉を聞いて、一番に現世に意識を戻してくれたのはチルだ。彼女は私を見上げて、手を差し出す。この手の意味が分からないほど鈍感じゃない。しっかりと握って頷き合う。


「うん、ありがとう。面倒でごめんね」

「面倒だなんてとんでもない!」


 鳳は琴子の肩をゆさゆさと揺すりながら、目は見えないけど多分目を輝かせた。琴子は、頭がシェイクされて記憶が飛んだりしてないか心配になるくらい左右に揺れている。


「あの、琴子、大丈夫?」

「……木月さん」

「う、うん?」

「あたしら、マジで楽器頑張るから」

「う、うん」

「本当に、頑張るから」


 選挙か? ってくらい、熱心に宣言された。彼女は私の両肩をがしっと掴んで、瞳の奥に眠っている私の本音を引き出そうとしているみたいに見つめた。まだ楽器のセッティングすらままならないのに、琴子の説得力は凄まじかった。

 レジの前に立っているヒゲのおじさんは、もしかしたらここのオーナーかもしれない。さっき片付けを手伝ってくれていた人。私達がバンドを組むことになったことを喜んでいるようで、ヒゲでほとんど隠されている口元が綻んでいるように見える。


「おじさん! ここまだ居て大丈夫!?」

「あぁ」


 琴子は全く人見知りをしない性格らしく、振り返っておじさんに声を掛けた。軽い喋り方なのに、不思議と失礼に感じない。親しみやすさを羨ましく思う。


「じゃあ、こっからが本番だね」

「どういうこと?」


 ガラステーブルを囲むように設置されているソファに腰掛け、作戦会議をするように琴子が声を潜める。二人掛けのソファに私と琴子、左右に配置された一人掛けのソファにそれぞれ鳳とチルが座っている。ソファの座り方一つ取っても、性格が見て取れる。鳳は浅く腰掛けていて、さらに膝の上に手を置いて私達の話を聞いている。チルは肘掛けに凭れて眠たそうにこちらを見ていた。

 そして琴子はドカッと深く腰掛け、足を組んで得意げな表情を浮かべている。本番という言葉の真意を問うような視線を、私を含む三人に送られて気分がいいらしい。


「あたしは自分のギター買うまではお父さんのを借りるけど……二人はどうするの?」

「え?」

「え?」


 一度目の「え?」は私のものだ。そして二度目のは三人のもの。チルと鳳に楽器が必要なのは理解できるけど、バンドの練習用機材を用意しなければいけないのは私も同じだ。だから、自分が除外されているらしいことに、私は驚いた。


「いや、木月さんは……え?」

「私、ドラムどころか、家で練習する用の機材すら持ってないよ」

「そういえば……ドラマーって普段の練習、どーしてんの?」


 私は三人よりもスタート地点がちょっと前にあっただけだ。それに、ドラマーじゃなくて、吹奏楽部でパーカッション全般を担当しているだけ。こんなに熱意のある子達とやるなら、私だって自宅で何かしたい。知識がないわけではないけど……。


「雑誌や枕を叩いて練習するって話は聞いたことがあるけど……」

「え……地味……」


 チルの言う地味という言葉が妙に突き刺さる。別に私がやってきたことではないのに。だけど、バンドのドラマーといえば、パワフルで派手なイメージがあると思う。そのイメージがあるからこそ、一人でこつこつと練習をする姿が地味に感じるのだろう。


「地味だよね……まぁ、私はとりあえず吹奏楽のみんなが帰ったあとにドラム叩いたりできると思うから、とりあえずは二人の機材だね」

「私はギター買いますよ、普通に」

「え!?」

「驚くことですか? ちょうどコミケでブッパしようと思っていた資金があるので」


 やっぱりコミケとか行くんだ……。鳳はスマホをスイスイ操作しながら、テキパキと今後の買い物の予定を述べていく。ギターと周辺機材を揃えて、さらにエフェクターを買うために少し取っておくらしい。エフェクター、名前だけは知ってる。音を変える為の装置で、とんでもない種類があるってことくらいしか知らないけど。

 鳳はこの調子だと、一ヶ月後にはヒイズルで使われてるエフェクターを調べて、主要なものは購入しているかもしれない。数万でその全てが揃うのかは分からないけど。とにかく、彼女は放っておいて大丈夫そうだ。自他共に認めるオタクさが、ギターの機材選びとガッチリと噛み合っている気がする。


「チルは? どうするの?」

「わかんない。お父さんの知り合いにバンドやってる人がいるから、その伝手でどうにかできないか聞いてみるかなー」


 息巻く鳳とは打って変わって、チルはどこまでもマイペースにのんびりとしていた。しかし、誰もそれを咎めない。これが三人のバランスってやつなんだと思う。固い絆で結ばれてそうな三人の中に私が入っていけるか、やっぱりちょっと不安だけど。

 だけど、私を求めてくれたのは三人だ。不安になる度に、気負わず行こうと考え直す。バンドを組むと決めてから今まで、この短い時間の間にも、そんなことが既に何度もあった。きっとこれからもある。それでも、心の何処かじゃ乗り越えられそうな予感がしている。この根拠のない予感を運命と呼んでいいなら、私はちょっとだけ世界を好きになれると思う。


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