第4話
「ねぇ、その楽器、レンタルだよね?」
「えぇ。そうですよ」
「普段は、どうやって練習してるの?」
恐る恐るした質問の答えは、チルちゃんののんびりした声で返ってくる。信じ難いけど、「だよね」と言わざるを得ない返答だった。
「練習? してないよ。ギターも、今日初めて触った」
「あっ……」
「私もです。チル、ギターとベース、交換してみましょう」
「……!?」
チルちゃん達は私の度肝を抜き続ける。だけど、言葉の意味はすぐに分かった。チルちゃんと鳳さんは、ギターとベース、どちらを始めるのかで迷っているのだろう。アンプに繋がっているコードと、肩にかけるためのストラップに気を付けて、ゆっくりと楽器を交換する様を見るのは少しおかしい。静電気がすごい服を脱いでるときみたいに、なんだか二人とももそもそしている。
鳳さんは涼しい顔をしてチルちゃんからギターを受け取っていたけど、チルちゃんは違った。鳳さんがベースから手を離した瞬間、落としそうになってかなりヒヤっとした。レンタル機材を傷付けるって、果てしなくヤバいだろうから。
そして、各々適当に楽器をかき鳴らす。二人の音量の調整に役立ててもらいたかったので、私もたまに簡単なビートを叩いたり、シンバルを連続で鳴らしたりしてみた。誰からともなく音が止んだ合間に、チルちゃんが呟いた。
「私はギターの方が良さそう。軽いし」
「なるほど。チルは体が小さいから。では私がベースで」
「待った」
そこで声を発したのは、琴子ちゃんだった。ちなみに、地声でも通る場面だったのにわざわざマイクを通して発言した。ィンと、小さくハウっているので、あとで少し下げるように伝えよう。そんなことを考えながら、彼女の言葉を待った。
「チルがベース、鳳がギターの方がいい」
「なっ……まぁ、私はどちらでも構わないけど、チルが」
「重たいのイヤだって。はぁ、琴子も持ってみなよ」
チルちゃんが再び楽器を手放すために、ストラップに手をかける。しかし、琴子ちゃんは即座に声を出す。
「違う。いい。持たされなくても分かる。個室まで運んだの私だし」
「だったら……!」
「かわいい」
「は……?」
「なぁ鳳。チル、ギターよりもベース持ってる時の方が可愛いよね?」
「……うん。言われてみれば。小ささが強調されて可愛いような……」
「なっ……! お前ら……!」
とんでもない理由で担当楽器が決まろうとしている。だけど、琴子ちゃんの指摘も尤もだ。ギターよりも長いネックを持つベースを構えているチルちゃんは、それだけで可愛い。上の方なんて、手が届くの? って心配になるくらい、体格に合っていない。
「実際ビジュアルっていうのは大事だよ」
「そ、そう?」
「うん。前に、本当にあった話なんだけどね」
私はとある話をした。去年のコンクール、地区予選。楽しげに、幽霊みたいに揺れるコントラバスと、小さな女の子の話。単純に体が小さくてしばらく姿が確認できなかったってだけの話なんだけど。あの力強い音色を奏でているのがあの子だと知って、真っ先にかっこいいって思ったっていう、そういう話。
「へー! あたしも見たかったな!」
「ほんっとにかっこよかったよ」
「一種のギャップ萌え、というやつですねかね」
「で? どーするよ、チルさんや」
琴子ちゃんが試すように笑った。チルちゃんは腕を組んで、視線を空に泳がせている。もしかすると、ステージに立つ自分を想像しているのかもしれない。だとしたら、このあと彼女は、きっと首を縦に振るはずだ。だって、口元が笑ってる。
「んー。じゃあ、やってみる」
「そうこなくちゃ!」
かなり不純な動機でみんなの担当楽器が決まった。ちなみに、琴子ちゃんもギターを始めるらしい。私達は「ヒイズル、好きなんだよね?」から始まった関係だ。ヒイズルのコピーバンドを組むために、私は呼ばれたと思っている。だとすれば、琴子ちゃんもギターを始めるのは当然だ。ヒイズルはギターボーカルとギター、ベース、ドラムの四人組だから。
家に古いアコースティックギターがあるから、当面はそれでコードとかを覚えるつもりらしい。アコギとエレキって相当勝手が違いそうだけど、コードを覚えてちょっと弾くくらいならそうでもないのかな。アコギの方が弦が太くて押さえにくいから難しいって聞いたことがあるけど。それでも、何もやらないよりは、全然いいと思う。
問題は私の立ち位置だ。私は、みんなとバンドを始めるだなんて、一言も言っていない。もしかするとみんな忘れちゃってるかもだけど。
「……ここ、一時間しか借りてないんだよ」
「そうだったんだ」
「うん。いま楽器演奏できるの、木月さんしかいないし」
「うむ。我々は担当楽器が決まっただけでも収穫だったが……」
鳳さんはスマホをスイスイとスクロールさせながら言った。スマホの画面から、ギターとアンプのセットが見えた気がする。結構フットワークが軽いというか、鳳さんは案外ノリがいいらしい。
「一時間しか借りてないとなると……もうそろそろ片付けを始めないと」
チルちゃんはさほど残念でもなさそうに呟く。まだ始めてもいない楽器を持たされても手持ち無沙汰なだけだし、彼女の反応は普通だと思う。できることがないというか。
一方で、私は少し残念だった。こっそりここにドラムを叩きに来たいって思えるくらいに、この環境が気に入ってしまった。もちろん、バンドに入るのを断ったあとで、みんなに教えてもらったスタジオを利用するような真似、怖くてできないけど。普通に喧嘩売ってるから、それ。
琴子ちゃんは、私の肩に手を置いて、普段よりも少しだけ太い、凛々しい声で言った。
「明日、返事ちょうだい。あたしらは木月さんと一緒にやりたいって思ってる」
「木月さんの演奏にいたく心を打たれました。是非、ご一緒させていただきたい」
「え、私も何か言った方がいい? えーと、よろしく」
三者三様、それぞれの言葉を噛み締めて、視線を合わせる。後片付けは三人で済ませるとのことで、個室から出るように言われてしまった。みんなが終わるまでドラムを叩いてちゃダメかな、なんて思ったけど、そんなことを言い出せるような空気じゃなかったから、大人しく荷物をまとめてドアの前に立つ。重たいハンドルを回す前に振り返って、顔を上げた。
「なんで私のこと、誘ったの?」
「あぁ。言ってなかったっけ。あたしら幼馴染でさ。あたしの兄貴の影響で、みんなヒイズルが好きだったんだよ」
「へぇ……幼馴染だったんだ」
三人のタイプが全然違うのに、自然体で過ごせている理由が、やっと分かった。私にはそんな友達はいないから、みんながちょっとだけ羨ましい。
「こないだ、たまたま教室でヒイズルの曲流したんだよ。っていうか流れたっていうか。イヤホン抜けちゃってさ。それで、榎本が言ったんだ。その曲、どっかで聴いたことあるって」
「あの時は少々驚きましたね。聴いたことがあるというのは貴殿の勘違いではないか、と喉まで出かかったのですが……榎本氏が「同じ部活にそのバンドのファンが居る!」と言ったので、口を噤みました」
そういえば、かなり前にえのっさんと一緒にカラオケに行って、ヒイズルの曲を歌ったことがある。そして言われた、「初めて聴いた」と。というより、ヒイズルの曲を知ってる人なんてほとんど居ない。趣味を共有するつもりも、いつの間にか失せてしまうほどに。私があのときカラオケでヒイズルの曲を入れたのは、カラオケに入ってるとは思ってなくて、単純に嬉しくなってしまったから。それだけだ。有名なアーティストのファンにはきっと分からないであろう、この感覚。三人なら、この出来事にも共感してくれるんだろうな。
昔のことをぱっと思い出しながら三人の話を聞く。鳳さんの後に続けたのはチルちゃんだった。
「榎本が吹奏楽部なのは知ってたから。奇跡だと思ったよ。なんてタイミングだって」
「どういうこと?」
「私ら。そのとき、ヒイズルの曲聴きながら、話してたから」
そこで切って、チルちゃんは黙った。というより、恥ずかしくなってきて続きが言えなくなってしまったという様子だ。ふふっと笑って、琴子ちゃんにバトンを渡す。
「ヒイズルの曲、演奏してみたいね。って」
兼ねてより、バンド活動の話は出ていたらしい。だけどそれはいつも具体性を伴ってはいなくて、できたらいいねーという雑談というか、小さな夢を語るような、そんな気持ちで口にしていたらしい。その日もそれで終わる予定だった。けど、偶然が起こって、そこに私と彼女達を繋ぐ人が居て、三人は知ってしまった。
「……マジですごい偶然っていうかさ。あたしら、勝手に運命感じちゃってるんだよ」
琴子ちゃんの話を話を遮るように、室内のライトがチカチカと点滅を始めた。なにこれ怖い。動揺する私を尻目に、チルちゃんが呟く。
「そういえば、終了十五分前になったらこうなるって、おじさんが言ってたっけ」
「これはいけない。ささ。片付けの練習と参りますか」
そうして、片付けを手伝いに来てくれたらしい店員さんと入れ違いになるように、今度こそ私はロビーに出た。
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