第3話
「えっと? これボリューム?」
「それ、ここに挿すらしいよ」
「いや違う。琴子。そのツマミを上げるのは後だ。まずはケーブルを」
「どこに繋ぐの? これ?」
「形が合わないね」
「しばし待たれよ。三度ググる」
三人は自分の楽器やマイクのセッティングに大わらわだ。ちなみに、三人はスタジオのドアの開け方も分からなかった。私はホールとかでたまに見かけるドアハンドルだったけど、言われてみれば、普通じゃお目にかからないものかもしれない。三人のやり取りも相俟って少し嫌な予感がするけど、スタジオという空間が私から正常な判断力を奪っている気がした。
エレキ楽器のことは私も全然詳しくない。ので、下手に口を出さずに自分の準備に専念することにした。ドラムセットは、照明に照らされて渋く輝いていた。ピカピカとは言えないけど、打面のパーツも定期的に替えられているらしく、一部だけ真新しい光沢を放っている。打面やシンバルには日付のようなものが書かれていた。おそらくは交換した日付だろう。ピカピカの打面は二日前の日付。こんな新しいヘッドを叩けるなんて、来た甲斐があったと思った。
打面、つまりヘッドの交換をすることはごく稀にあったけど、そんなドラムセットを叩かせてもらえるほど、部活では偉くない。先輩が気持ち良さそうに叩くのを眺めているだけだった。いや、私は特別ドラムという楽器に強い憧れを抱いていなかったから、眺めることすらしなかったかもしれない。
だけど、いざ新品を自分が使えるとなったら話は別だ。さすがに心躍る。
「木月さん、どうした? もしかして、そのドラムって吹奏楽のとは違うとか?」
「え?」
「いや、ずっと立ち止まって見てるからさ」
「部屋の変更を申請してきた方がいいでしょうか。ならばこの鳳めが」
「あ、ううん。ごめん」
ぼんやりとドラムセットを眺めていたのが相当不審だったらしい。まぁ、私も他の子がそんな様子だったら声を掛けるだろうし、彼女達の反応は尤もだ。だから私は言った。力強く。
「大丈夫」
スティックケースから、普段使っているスティックを一対抜き取った。細かいセッティングなんかは後回しだ。少し狭いドラムセットの周り、シンバルの横をすり抜けて丸椅子に腰を下ろす。ペダルに足を掛ける。踏み心地は、ちょっと固いけど悪くない。
私は、合図も何も無しにクラッシュシンバルをぶっ叩いた。クラッシュシンバルはとにかく大きな音が鳴る。慣れてない子が近くに立っていたら、おそらくはしばらく耳がきーんとなるだろう。だけど、一番近くに立っていた鳳さんは、耳を抑える素振りも見せずに、顔のパーツの中で、唯一隠れていない口元だけで笑ってくれた。
間髪入れずに右手でハイハットを叩く。プレイヤーの左側に鎮座する、上下に重なっているペダル付きのシンバル。基本はこれをかっちりと踏み込んで、短い音で拍を刻む。だけど、私はあえてペダルを半分くらいしか踏まなかった。触れ合っているだけのハイハットは叩かれる度に傾斜し、ルーズだけど華やかな音を鳴らす。右足のペダルだって忘れない。少し固いから強めに踏む。蹴り倒すみたいに踏んでやると、キック音が腹の底を揺らす。バスドラムはドラムの中で一番低い音が鳴る。踏む度にお腹を殴られているみたいな強い衝動になればいいと願って、遠慮無しに踵を下ろした。
極めつけは左手の太鼓、スネア。ドラムの心臓みたいなパーツ。ハイハットとバスドラム、あとはスネア。この三つがあれば。左手を思いきり振り下ろす。想像以上に抜けのいい音が空間いっぱいに響いて、この一打で私は完全に調子を良くした。頭の中である曲をイメージしながら、独特のフレーズに移行する。叩いたことはないけど、できるって分かった。
「おい! これ!」
「うん!」
「「電話が取れない日!」」
独特とはいえ、ドラムだけの演奏を聴いてすぐに曲名を当ててもらえることは稀だ。というかどうせ無理だと思ってたから、試してみたこともない。そんなことはメロディのある楽器の特権だと思っていたんだ。
感激が収まる前にまた感激がやってくる。三人は私の演奏に釘付けだ。私だけの演奏を聴かれるだなんて経験はほとんどない。定期演奏会ではソロを貰う子が結構出るけど、パーカッションは扱いが例外的だし。
この状況に、とにかくドキドキしている。私が演奏を始めて、時間にしておそらくは二十秒くらい。ときめきを音で表現したような時間は、唐突に終わった。それも、私の手によって。
「……ごめん、次の展開忘れた」
「っおいー!」
鳳さんにまでツッコまれたことにやや驚きつつも、私ははにかみながらスティックをスネアの上に置いた。スティックがスネアのフープに当たって小気味良い音が鳴る。
「木月さんのドラム、聴いてみたかったんだ。マジ、すごいね」
「そんなことないよ」
本当に、そんなことない。実際、私は高校生になってから、一度もドラムを担当させてもらったことがないのだ。他の同級生は少なくとも一回は経験している。ノリが違うとかなんとか、はっきりとしない理由を付けて、パート決めの段階で他に回されることがほとんどだ。まぁ他の楽器も好きだから、特に異論はなかったけど。だから、私のドラムが褒められるのは、違和感があるというか……卑屈かもしれないけど、お世辞にしか聞こえなかったりする。
「ところで、みんなは準備終わった?」
「あぁ。ほら」
琴子ちゃんはボンボンと、マイクのあみあみになっているところを軽く叩いてみせた。苦戦していたけど、マイクのセッティングはとりあえず上手くいったらしい。まだ出来ていないと言われた暁には、迷わず店員さんに助けを求めるつもりだった。あの様子を見るに、ボーカルは琴子ちゃんで決まりなのだろう。
ちらりと視線を移すと、そこにはやけに大きく見えるギターを抱えるチルちゃんと、ベースを肩から下げながらスマホをいじる鳳さんがいた。二人とも、楽器を持っているとすごくそれっぽく見える。
「チル。ギターについてるつまみ。そうそれ。回して」
「こう?」
チルちゃんが首を傾げながら最大ボリュームにしたらしいギターは、ちょっとでも弦に触れたらヤバいという空気を醸し出していた。いや、厳密に言えば、ギターではなく、チルちゃんの背後にあるアンプが、だけど。大きな音でサーと、砂が流れるような音を立てている。今にも聴覚をジャックするようなハウリングが起こりそうで怖い。
私はジェスチャーで、もう少し音を下げてもらうよう伝えたけど、無駄だった。というか余計だった。チルちゃんは「音を出してみて」という合図に見えたらしく、ピックを構えると上から下に向かって、全ての弦を鳴らす。
「あああああああ!」
「うっっっっさ!」
「チル!!」
「わかってるって!」
チルちゃんは弦の振動を止めつつ、つまみを戻した。
「いきなりあんな音が鳴るなんて……」
「チルが一気につまみいじったからじゃん?」
「反省するように」
「うっ……」
サーと聞こえていたヤバそうな音は静かになった。これで一安心だ。そして今度は弦を鳴らしながら、徐々にボリュームを操作している。それっぽい音量になったのを確認すると、鳳さんもチルちゃんと同じようにボリュームの調整を始めた。
そこでようやく私は、この光景から感じる違和感と向き合い始めていた。その正体が分からない。さっきから、何が引っ掛かっているんだ。なんでこの子達は、スタジオのドアの開け方を知らない。セッティングにこんなに手間取る。
……あ。
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