第2話

 三人にバンドに誘われてから数日、あれからも琴子ちゃんは顔を合わせる度に「気、変わらない?」なんて声を掛けてきた。放課後、どうなっているのかは分からない。気まずいから、ホームルームが終わったらすぐに部活に顔を出している。もしかしたら、誰も座っていない私の席を確認して、あの三人が肩を落としていたりするかも。だけど、それは私の預かり知るところではない。

 今日は学校の設備点検とやらで、全ての部活動が禁止されていた。こんな事情でも無い限り部活を休めないので、正直有り難いと思う。先輩方に知られたら面倒だから口にしたりはしないけど。

 八月のコンクールに向けて、三年生は特にピリピリしていた。それが音にも出てる。失敗したくないという気持ちや、もっと上手くならなきゃっていう焦燥感が。だから、最近の部活は楽しくなかった。練習は個人やパート練習の後に、コンクールメンバーのみの合奏になることが多かったけど、いつも同じところで演奏が止まった。そして同じパートが合っていないと指摘される。そのせいで、数日前にトロンボーンのファーストとセカンドが交換になった。ファーストというのはそのパートの花形で、メインの旋律を担当することが多い。セカンドやサードはそのハモり等を担う場合が多く、主にファーストは三年生が担当する。要するに、ファーストを下ろされるというのは、人によっては耐え難い屈辱となり得る。

 トロンボーンの佐藤先輩が、音楽準備室でこっそり泣いていたのを、私は知っている。そんなギスギスした空気が流れていることも相待って、私は少し部活に嫌気が差していたところだ。これこそ絶対に口に出来ないけど。タコ殴りにされそう。

 たらたらと鞄に教科書を詰めて、今日は出番が無いであろうスティックケースを見やる。部活なんて面倒だなんて思いながらもこういうところで抜けている自分に少し嫌になる。というか情けない。忙しくしているくせに、私はいつもどこか他人事だった。

 別にやりたくて始めたわけじゃない。吹奏楽との出会いは中学一年。音楽が好きだからなんとなく入った吹奏楽部で、なんとなくパーカッションをやることになった。だけど、今の私は音楽を嫌いになりかけている。自分が間違えて持ってきただけなのに、視界の隅のスティックケースがやけに嫌味に映る。


「……私、音楽、向いてないのかな」

「そんなことないって!」

「!?」


 誰に向けたわけでもない言葉が拾われて、恥ずかしく思いながら驚いた。顔を上げると、そこには腕を組んだ琴子ちゃんがいた。隣にはチルちゃんと鳳さん。バンドを組もうとしている凸凹トリオ。彼女達はカルテットになるべく、もう一人の相棒を探している。


「聞いたよ。っていうか数日前から聞いてたよ」

「何を?」

「時間が無いんだ、行こうよ」

「はい?」


 琴子ちゃんは私を立たせ、鳳さんが上機嫌そうに私の荷物を持ってくれる。自分で鞄くらい持てるから。いいから。なんなの。

 手を引かれて教室を出て、ワケを聞こうと声を出す前に、ぐいぐいと引っ張られて脚が出る。自分がこんなに流されやすい性格だったなんてことを十七になって初めて思い知りながら、これまでは私をこれほど強く必要としている人が現れなかっただけだと気付く。


「ちょ、ちょっと、どこ行くの?」

「え? スタジオ!」

「はぁ!?」


 私はこれから、この子達とスタジオに行くらしい。チルちゃんに大事そうに抱えられているスティックケースが、また嫌味に見える。


「今日、吹奏楽も休みって聞いたんだよ。榎本に!」

「えのっさん……!?」


 えのっさんはチューバの同級生だ。言われてみれば、B組だったような気が。人数の多い部活はこれだから……。足並み揃えて予定を隠すなんて到底無理だ。こういうときは、小人数の部活動が少し羨ましくなる。


「今日ならと思って! スタジオ予約しといたんだよね!」


 琴子ちゃんはブレザーのポケットから出したカードを、楽しげに私に見せた。そこにはガイセンスタジオと書かれている。なるほど、私達はガイセンスタジオに向かおうとしてるのか。どこにあるかは分からないけど、おそらくは駅前だろう。強く引かれる腕を、さらに強い力で引き返して立ち止まる。


「うぉ!? さすがドラマー、華奢に見えて力強いね!」

「私、行くなんて言ってない」

「行かないとも言ってない」

「行かない」

「聞こえない」

「はぁ!?」


 今度は手ではなく、腕をがっちりをホールドされてしまった。とんでもない勝手さに絶句する私の横から、のんびりとしたチルちゃんの声が届く。


「琴子は強引だから。こうなったら誰にも止められないよ」


 止められないと言いつつも、チルちゃんには元より止める気が無いように見える。静かにしている鳳さんも、チルちゃんと心は同じようだ。そして私の心は傾き始める。

 私の部活休みに合わせてスタジオを予約してくれたのに、無碍にするのも悪い気がしてきた。何より、私はそれほど熱心なタイプではないが、ドラムが叩けるというのは有り難い。吹奏楽部にはマリンバなんかのごく一部の楽器を除いて、1セットずつしか置いていない。自由にドラムを叩ける時間なんて、ほとんどなかった。

 曲にもよるけど、ファーストが管楽器の花形だとすれば、ポップスを演奏するときのパーカッションの花形はドラムと言えるだろう。大体は三年の先輩がやっちゃうんだけど。考えれば考えるほど、この機会を疎む理由は無いように思えた。


「……ま、いっか」

「マジ!? やった!」

「念のため申し上げますが、今日のスタジオ代は私達三人で割りますので。ご安心下さい」

「それ言うの忘れてたわ!」

「でしょうとも」


 鳳さんは独特な口調だったけど、親切な人のようだ。ギターやベースと合わせることなんてほとんど無かったし、段々楽しみになってきた。

 上履きを履き替えて校門をくぐると、琴子ちゃんは左へと進んだ。てっきり駅のある右側に向かっていくんだと思ってたけど……。私と琴子ちゃん、その後ろにチルちゃんと鳳さんが並ぶ形で歩道を歩いていく。チルちゃんの声が後ろから飛んでくる。話し方で、すぐに私に向けられているものだと分かった。


「ねー。ヒイズルの曲で何が好きなの?」

「えー……たくさんあるけど、なんだろ。電話が取れない日、かな」


 私が好きな曲を挙げただけだと言うのに、三人がわっと色めき立つのが分かった。そしてその理由をすぐに知ることになる。


「カップリング曲じゃん!」

「マジで好きなんだね!」

「しかもかなり前の曲ですよ。これは……」


 好きな曲名を口にするだけでここまで喜ばれることがあるだなんて。私は歩いた事のほとんどない道を行きながら、お茶を濁すように愛想笑いをした。バンドメンバーになるつもりなんてないのに、気を持たせるようなことをしたかもしれないと、自分の軽卒さを少しだけ悔やんだ。

 商店街が見えてきた。ここには数回しか訪れたことがない。しかも何の用事でやってきたのかも覚えていない始末だ。おそらくは誰かの付き添いだろうけど、その子が何をしに来たのかピンとこない。半分くらいのお店はシャッターを閉めていて、残りの半分のほとんどがシャッターを半分だけ閉めている。中は薄暗く、様子を窺おうにも難しい。


「……ホントにここにスタジオが?」

「あるんだなー。ほら、あそこ」


 琴子ちゃんの人差し指は、丸い袖看板を指していた。黒い背景に、白い文字で何か書いてある。おそらくはガイセンスタジオと書いてあるのだろう。崩し過ぎていてそうは読めないけど、他の文字に見えるということもない。ただの幾何学的なイラストにしか見えないっていうか。


「あの、黒い看板?」

「そそ」


 他の看板は、ご丁寧に感じるほど、はっきりと店舗名が書いてある。そして大体は漢字とひらがな、たまにカタカナで構成されている。あの丸い看板はそういった意味でも異質だった。この商店街が纏っている古さというか、昭和の空気をまるで持っていない。だから、多分あれがスタジオの看板だと思った。


「なんか新しそうなお店だね」

「まぁ他の店に比べたらね。んじゃ、行こっか」


 店舗の前に立ち、私は静かに息を飲んだ。一階はただの受付になっていて、実際の個室は階段を下りていったところにあるらしい。バンドメンバーになんかならないって言ってるのに。私だってそう思ってるのに。蛍光灯の光に照らされる下り階段を見ていると、ガラにも無くワクワクした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る