第15話 事実は小説よりも奇なり

 その日、私は研究室で平常心を保つのがやっとであった。

 それは、奈々さんがZ郎にお弁当を持って来たからである。私も食べたことがない奈々さん手作りのお弁当をである。

 

 『奈々さんは、Z郎とできている』・・・私の憶測おくそくは確信に変わった。


 私は午後六時になるとアパートに帰り、高校生の時におじいちゃんからもらったサバイバルナイフを机の引き出しから出した。その時におじいちゃんが言ったことを思い出しながら・・・

「雄介、これば使おうと思った時が、お前が一人前になった時じゃ。そやけど、これば使うたら、お前もこれで頸動脈けいどうみゃくば切って死なないけんぞ。恥さらしな生き方だけはすんな」

 あの時、おじちゃんが言った言葉の意味が今ではよく分かる・・・恋をするなら、命がけの恋をしろという意味だったんだ・・・おじいちゃんがこのナイフを使おうと思った恋の相手は、奈々さんのおばあちゃんではないようだったが、あのおじいちゃんなら、恋の相手が何人いてもおかしくはないと思った。


 とにかく私は、今日奈々さんが「青い海の伝説」仕様の夢の中で弾をよけて自分だけが生き延びようとして、その後の楽しい夢でZ郎と旅行に行っている夢でも見ようものなら、私は奈々さんの喉笛のどぶえをこのナイフで切り裂こうと決心した。そして私は、そのナイフをカバンに入れた。

 『可愛さ余って憎さ百倍』とは、まさにこのことであった。


 D子から私の携帯に連絡が入ったのは、午後十時半ごろであった。

「奈々先輩が、ブレイン・マシン・インターフェースが置いてある部屋に行きましたよ」

 私は大学に急いだ。

 

 C男は私と二人で「青い海の伝説」の設定をしただけあって、ブレイン・マシン・インターフェースの設定はすでに終わっていた。

 私はD子が持っていた奈々さん仕様のヘッドギアをD子から受け取り、それを小さな寝息をたてている奈々さんの頭にかぶせ、操作室にいるC男にスイッチをオンにするよう合図を送った。


 奈々さんが見た夢は・・・

 私が犯人の銃弾を受けて後ろに吹っ飛び、奈々さんは銃弾を避けて、しゃがみこんでいるというものであった。


 奈々さんがそれに続いて見た楽しい夢は、テレビのHD(ハードディスク)に取りためていた半魚人が出てくるキモイSF映画で、そこにZ郎の姿はなかった。


(全く別の楽しい夢を奈々さんに見させないといけないな)

 何か飲みたくなった私はセミナー室に行って、テーブルの上にあったワインのボトルを持って操作室に戻った。

 それは一本千円しかしない安物のワインだったが、私が奈々さんのために買い置きしているワインと同じものであった。そのワインは、キャップが開けられた形跡はなかった。


(奈々さんがワインを飲まないなんて、珍しいな)

 私はそう思ったが、ワインのキャップを開け、ワインをラッパ飲みしながら、

「奈々さん、いったい何を考えているんだ。そうだろう、C男君、D子ちゃん」

 と、そこにいたC男とD子に悪態あくたいをついた。

 そして私は、奈々さんのヘッドギアに楽しい夢を見させるための信号を送った。


「やばいかもよ」

 D子がC男にそう言って、二人は携帯電話を持って操作室を出て行った。


 楽しい夢を見せるための刺激に対して、奈々さんは今度はハエと人間が合体する、原題が「The Fly]、和題が「ハエ男の恐怖」という、これもまたキモイSF映画を見た。そこにもZ郎の姿はなかった。

 

 私は、奈々さんがキモイものが出てくるSF映画が大好きだということを初めて知った。

 

 奈々さんが見た楽しい夢の中にZ郎は出てこなかったので、おじいちゃんからもらったサバイバルナイフの出番はなくなった。それでも私は奈々さんに、『どうして自分だけ助かろうとするのか』という理由を聞かなければならないと思った。

 

 私はブレイン・マシン・インターフェースがある部屋に入って奈々さんを起こし、録画したばかりの映像を奈々さんに最初から見せた。


「ユウちゃんすごい、いつの間に『青い海の伝説』の設定を仕込んだの?」

 奈々さんに悪びれた様子は見られなかった。


 私が胸に弾丸を受けて吹っ飛び、奈々さんがしゃがみ込んでいるところまで映像を再生した時、奈々さんが、

「やっぱりね」

 と言った。


(何がやっぱりだ!)

 私はそう思って、今日のお弁当のことを追求した。

「どうしてZ郎にお弁当を持ってきたのだ」

 私がそう問いただすと、奈々さんは、

「フードロスを防ぐためよ。ユウちゃんだって、Z郎君をいつもサポートしているじゃない」

(なんという言い訳、弁当とフードロスの間に何の関係があるのだ?)

 

 後で奈々さんに聞いたところによると・・・Z郎みたいなコンビニの店員は賞味期限が切れたお弁当をほとんど無料でもらえるそうで、日本のスペックの厳しさから、そんな弁当のおかずでもすぐに火を通せば、次に日の昼くらいまでは十分に食べられるという話を食物科の友達に聞いたので、それを試しただけの事であった。


 奈々さんからその話を聞いていなかった私は、完全に勘違いをしていた。

 私はワインの酔いも手伝って、歯止めが利かなくなっていた。


 奈々さん一人がしゃがみ込んでいるところで一時停止をかけた映像に、私は怒りがこみ上げてきた。

「どうしていつも、奈々さんは自分一人だけ助かろうとするんだ。こんな機械、作るんじゃなかった」

 私がそう言って、近くにあったパイプ椅子を振り上げて、ブレイン・マシン・インターフェースを壊そうとした時であった。


「やめたまえ」

 後ろで野太い声がして、誰かの手が私の手首をつかみ、私からパイプ椅子を取り上げた。 

 

 私が振り返ると、そこにはキャプテン・ハーロックによく似た男が立っていた。

 その向こうで、エメラルダス先輩が奈々さんの頭からヘッドギアを外していた。


「薬学部のけん先輩ですか?」

 私がキャプテン・ハーロックに恐る恐るそう聞くと、

「健介って言うんだけど、君はなぜ、僕の愛称を知っているの?」 

 エメラルダス先輩のキャプテン・ハーロックに似た、めちゃくちゃかっこいい彼氏がそう言った。


 キャプテン・ハーロックとの会話で少し落ち着いた私は奈々さんに、

「なぜ、いつも自分一人だけ助かろうとするの?」

 と聞いた。

「私一人だけじゃないわ」

 

 その言葉の意味が分からなかった私は、モニター画面に映っている、しゃがみ込んだ奈々さんの映像を確かめた。

 その映像の奈々さんは、お腹を両手で押さえてしゃがみこんでいた。

 凶弾から身を守るときは普通だったら頭か心臓で、お腹じゃないだろう?


「まさか」

 私がそうつぶやいた時、奈々さんが言った。

「その、まさかよ。この子は、六十年前に一緒になりたくても一緒になれなかった、あなたのおじい様と私のおばあちゃんのDNAを引き継いでいるのよ。たとえ私が死んだとしても、この子だけは死なせたくなかったの」

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