第5話 九州旅行(その2)

 私と奈々さんは、博多駅で白藍しらあい色の新幹線みずほから青いストライプが入った地下鉄に乗り換えた。そして私たちは、それがそのまま地上に出て、JR筑肥線になった電車を「糸島高校前駅」で降りた。

 

 そして二人は、駅から徒歩二分のところにあるおばあちゃんの家に行った。


 私は小学生の頃は毎年この家に遊びに来て、おじいちゃんが庭で作っていた野菜をおじいちゃんに手伝ってもらって収穫するのが楽しみだった。また、おじいちゃんが作る料理は、どれもおいしかった。

 それが年をとるにつれてここを訪れる回数は減り、大学に入学してからここに来るのは、これが2回目であった。

 それでもおばあちゃんは、僕たちを歓待してくれた。


「いらっしゃい。よく来たわね。あなたが奈々さん? これからもよろしくね」

 僕のおばあちゃんのその言葉に、奈々さんは一度おじぎをしてから、

「宮本奈々です。こちらこそ、よろしくお願いします。それにしても、とても便利な所に住んでいらっしゃいますね」

 奈々さんがそう言うと、おばあちゃんは家の説明をし始めた。

「昔は、この辺は田んぼだったのよ。この住宅用地が開発されて、この家は二軒目に建った家なの。それがJRの駅ができると分かったら、家がどんどん増えて、駅ができた後は、周りはマンションだらけになってしまったのよ。とにかく家に上がって」


 私は奈々さんに、おじいちゃんとおばあちゃんの家のことを話していなかったことに気が付いた。

 熊本の家が地震で壊れて、新しい家か土地を探している時、「糸島高校前駅」というJRの新駅が3年後にできると知って、おじいちゃんとおばあちゃんは動いたのだった。

 

 おじいちゃんの「海が近くて、庭で畑ができること」という条件と、おばあちゃんの「博多座まで三十分、天神や博多駅や福岡空港にも乗り換えなしで、電車一本で行けること」・・・そんな都合のいい土地があるはずないと思っていたが、それが糸島にあったので、おじいちゃんはすぐにその土地を買って家を建てたのだった。

 もともとおじいちゃんとおばあちゃんは福岡出身で、おじいちゃんが大学を定年退職した直後で退職金が入ったことも、ここに家を建てる要因だった。

 

 それが今や、日本中から注目を集めている「糸島」の一番便利な場所になったのである。おそらく土地の価格と固定資産税は、おじいちゃんがここの土地を買った時の二倍以上になっていると思われる。


 三人でケーキを食べてコーヒーを飲みながら、私はおばあちゃんに聞いた。

「おじいちゃん、この前までは元気でぴんぴんしていたのに、なぜ急に老人ホームに入ったの?」

「それが・・・私が「もう年だからよしなさい」と言うのに、「大入漁港」の石積みの波止にメジナを釣りに行ったのよ。

 その波止は、おじいちゃん好みの秋丸美帆さんが子供の頃に彼女のお父さんと一緒に釣りに来ていた波止でね。おじいちゃんはその波止を釣りをするときの第二のホームグラウンドにしていたみたい。

 その波止で足を滑らせて転んで、背中の神経を痛めたのよ。磯釣り用のスパイク付きの長靴を履いていたけど、もう年だからね」

 

 おばあちゃんがそう言うので、私は、

「それでどうなったの?」

「老人ホームで車いす生活よ。私は、『この家で私が面倒を見る』と言ったのに、要介護がついてホームに入れるようになったから、どうしても入ると言って聞かなかったのよ。

 『お前にはこれまで面倒かけたし、ホームの男女比は、男1対女10だから、きっともてるぞ』なんて言ってね」

「おじいちゃんらしいね」

 そんな二人の会話を奈々さんは笑いながら聞いていた。


「今から、おじいちゃんのところに行ってくるから、車を貸して」

 私は、おばあちゃんが使っている軽の電気自動車を借りて、奈々さんと一緒におじいちゃんが入っている老人ホームに向かった。おばあちゃんの家からホームまでは車で五分もかからなかった。

「あなたのおじいさまに会うのが、ますます楽しみになったわ」

 奈々さんがそう言うので、

「おじいちゃん、昔は学会誌に学術論文を100報以上発表していて、それはもちろん標準語や英語だったけど、今では話すのは標準語よりも九州弁が多くなったから、おじいちゃんの言うことで分からないことがあったら、通訳してね」

「なに、それ」

 奈々さんがまた笑った。


 老人ホームに入って面会室で待っていると、車いすに乗ったおじいちゃんが部屋に入って来た。

「雄介、よう来た、よう来た。今日くるっち聞いとったけん、待っちょったぞ」

 と僕に言った後、おじいちゃんは奈々さんを見て、

「奈美ちゃん、奈美ちゃんじゃなかね? 奈美ちゃんじゃろう? 奈美ちゃん、こぎゃんとこで、なんばしとっと?」

 

 おじいちゃんの話すその言葉は、私の語学力を超えていた。

 

 九州生まれで九州育ちの奈々さんは、私のおじいさんが話す意味不明のその言語を理解したようで、

「おじい様、私は宮本奈々です。おじい様が知っている宮本奈美は私の祖母です」

 奈々さんにそう言われて、奈々さんをもう一度見たおじいちゃんの頬に、ひとすじ涙が伝った。

 

 おじいちゃんが泣くのを私は初めて見た。

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