第14話

鯉村とかろうじて生き残っていた隊員たちは無事に搬送され特別手術を受けることになった。洞窟基地は即座に捜査が行われ、危ない兵器は全て押収された。核のスイッチとミサイルは分解され、国家の危機は回避された。結社団の人員がいそいそしく動き回る中浜辺は少し離れたところで診察を受けた。

 幸いなことに基地内は汚染されておらず、内科的には至って健康だった。外科的には軽度の脳震盪、爆破の煙と硝煙を吸いすぎたことによる一酸化炭素中毒気味なのと切り傷とかすり傷。他には何も無い。長期的にリハビリをすれば元通りになるそうだ。 

 元通りにならないこともある。村木隊長と仲間の隊員は消し炭になった。申し訳程度に回収された黒焦げの遺体が入った死体袋は二十四にも上り、これからラボで身元の特定を行う。浜辺は運ばれてくる袋に一つ一つ手を合わせた。あの時もっと強くいっておけばきっとこんな事態にはなっていなかった。自分にも責任はある。

 会沢は自殺を防ぐためさるぐつわをかまされ、手足を厳重に縛られて特別な容疑者が入る移送用の箱に収容され、移動した。

 洞窟を見ながらニヒルになれる余裕ができたのは太陽が顔を見せてからだった。

 すっかり恐怖が剥がれた洞窟を見ていた。怖いものは何もない。きっと一生分の恐怖をあの時吐き出した。腹の底から人間を憎み、殺そうと思ったのはあれが初めてだったしかなり上手にやった。自分でも惚れ惚れするほどだった。 

 一人の隊員が電話を持ってきた。

「浜辺代理人、お電話です」

「ありがとう」 

 電話? 結社団に電話がかかってくることは少ない。その中で自分が指名されるなんて天文学的な確率になってくるが。

「浜辺ですけど……」

「おめでとう、浜辺代理人」

 声の主はいわずもがな枯柴朋邦。サングラスをかけてにやけている顔が目に浮かぶ。

「初仕事を終えたな。帰ったらきっと祝福の嵐だ。いやあ、昔を思い出すねぇ」

「自分も優秀だったといいたいの? 結局核は何のためだったの? 片宮はなぜ? どうして会沢を捕まえさせたの?」

「質問は受け付けないが親父さんがいたく嬉しがっているよ。今回の騒動は単なるテストでしかない。君にはやはり素質がある」

「……なんの?」

「犯罪捜査に決まっているじゃないか、これからもよろしく頼むよぉ? 次はテストじゃないぞ、本物を渡す」

「ちょっと、次って何よ」

「それでは良い夜を、私たちはこれからお祝いだから」

「ねぇ……ちっ……」

 切られた。

 ため息をつく。枯柴は大きな宿題を残していった。結局は捕まらず奴の一人勝ち。現場には無数の死体が転がり、形ばかりの成果を上げた捜査チームはぬか喜びも良いところの祝杯を上げる。

 これから長い戦いになりそうだった。







 午前六時、結社団のオペレーターたちもきっと一睡もせずに浜辺たちを助けようとしてくれたのだろう。げっそりとした事務員たちと何人もすれちがった。

 エレベーターから出ると大きな拍手が起きた。

 多坂が涙を流しながら近づいてくる。

「私、焦りからかあなたにひどいことをいってしまって、本当に申し訳ないです、すみませんでした」

「気にしてないわよ」

 笑顔を作ると彼女もかわいらしい顔を崩してくしゃりと笑った。

 青のシャツを腕まくりした長嶺も立ち上がった。

「おめでとう浜辺代理人。君を信じてたよ。一人で乗り込んで行くなんてはっきりいってさ……はは、イカれてるけど結果オーライってことだよね。これから忙しくなるよ」

「どうして?」

「もう、とぼけないでよ。浜辺本部長」

 肩をポンと叩かれる。あぁ、そうか昇進もついてくるのか。

 拍手が大きくなる。祝福してくれているのは嬉しいのだが気楽なことをいってられる状況じゃない。

「みんな、本当にありがとうございます。ですがもう一頑張りしましょう。セクションエーは基地の情報を全部調べ直して、セクションビーは死亡した兵隊の情報を集めて、私たちは枯柴朋邦の内通者だった会沢孝之の尋問に向かいます」

 初日には教会のようだと思ったオペレーション体制も今や大事な本部だ。真ん中のばかでかディスプレイにも愛着が生まれた。

 長嶺たちは機材やらを取調室に運び込んでいた。

 マジックミラーの向こうには、本性を表した会沢がこちらを睨んでいた。ヨレヨレのワイシャツを着て背筋がひんまがった男は、とうとうと部下に指示を放ち国家に忠誠を誓った人間と同じとはとても思えない。

「会沢さんが内通者だなんて……」

 長嶺が哀愁漂うトーンでいう。みな口をつぐむ。

 今まで彼の顔に宿っていたのは正義そのものだった。しかし今は邪悪な動物が閉じ込められている。

「行ってきます」

 部屋を出て隣に入る。

 浜辺の姿を認めると微かに瞳孔が開いた。

 無言で椅子を引く。

「昇進おめでとう。パーティで紅潮する君の顔が目に浮かぶよ」 

 楽しげにいう。

「私もパーティでは緊張した。だけどこういうことは一生の内に何度もあるわけではないからな、楽しんでくるんだぞ」

「おしゃべりをするつもりはない」

「全く私の正体を知った瞬間に豹変するなんてそこらへんの局員と同じじゃないか」

「……枯柴のことを全てしゃべって。いつから彼の仲間なの」

「喋るつもりはない」

「それはどうかしら?」 被せる。

「あなたは金庫番の滝沢を口封じのために殺した。あなたが同じようにされない保証はどこにもない。もし協力してくれたら安全な場所を提供するし護衛もつける」

「その手には乗らない。私はここで十五年働いている。手の内は全て知っている」

「知っているつもりなだけでしょう。何なら私がやってもいい」

 銃を抜く。

 会沢の目に一瞬逡巡が走ったのを見逃さなかった。コッキングする。

「もう誰も私を止めない。あなたを殺せば私はもっとヒーローになれる。ここにいる人間全員あなたを殺したいほど憎んでるはず」

 会沢は大きく長いため意を一つついて上を向いた。

「私もかつては君のように将来を渇望される代理人だった……私は浜辺聡一を追うチームの一人だった。今でも時々夢に見る。情報提供を受けて向かった建物はあっという間に火が回り、仲間はみな惨殺された。だが私は彼の腕を撃った。その時飛び散った血から浜辺のDNA情報を分析し、逮捕寸前まで追い詰めた。しかし」

 言葉を切る。

「しかしある日の夜、人の男が家に来た。銃を突きつけて、それは同僚だった。枯柴は証拠を秘密裏に破棄するよう脅した。すでに家族は人質に取られていた。従う他なかった。奴の反逆の連絡が来たのはその数時間後だった……」

「その後、私は訳も分からず本部長に昇進した。恐らく枯柴が手を回したのだろう。それから定期的に脅しを受けた。内容は様々だ。証拠の破棄、証人の殺害……人っていうのは恐ろしいもので、一度一線を越えてしまえばもう引き止めるものがなくなってどんなことでもやってしまう」

「だからといってあなたのしたことは許されることじゃない」

「ある日、私は枯柴を裏切った。上司に洗いざらいを記したメモリと辞表を渡そうとしたんだ。だが少し目を離した隙にメモリと辞表はなくなっていた。その夜いつもの場所で呼び出され拉致された。気づけば酒盛りが始まっていた。枯柴に浜辺、今まで顔を見たこともない犯罪者がテーブルを囲んでいた。その時気づいた。我々がいくら努力しようと悪いことはなくならないし、国は安全にはならない。彼らは私の魂を解放し、ただ盲目的に働くだけの人生に彩りを与えてくれた。本質を見ることを教えられた」

「ほんと哀れな人……」

「何とでもいえ。君も分かるはずだ。君も同じだ。本質は誰も変わらない。そこにあるのは対比的共依存的な関係だけ。死のない生も闇のない光も存在しない」

「それどこかで聞いた」

 会沢は不気味な笑みを浮かべる。これ以上聞けることはなさそうだ。

 浜辺は部屋を出ていく。

 結局片宮は何だったのだろう。最大の謎として残った。見せしめか、政府関係者への脅しなのか。何かの秘密を守ろうとしていたのか。それは一体何に関することだったのか。

 頭の中でエド・シーランのパーフェクトが流れ出す。きっとこれが映画か何かだったらエンドロールのタイミングだろうなと思っていた。

 ウーウ、ウーウ、ウーウ、ウーウ、ウーウ

――嘘だろ。

 ファイアウォール警報だ。間違いない。枯柴が戻ってきたんだ。全速力で本部へ直行する。案の定赤いランプが点滅していた。最初ほどではないが、現場は混乱している。

 長嶺たちはまだ戻ってきていない。為す術はないのか……

 全ての電源が落ちる。また真っ暗だ。

 ばかでかディスプレイも色を失う。

 画素の乱れ、砂嵐。

 次に映し出されるのはイギリス王室から盗んだ椅子に座る犯罪者。

『こんばんは諸君』

 今回は一発で手配書の写真が表示された。

 前回とは違って顔が写っている。グレーのスーツにネイビーのベストを合わせている。

 みな逆探知に力を入れているようだが無理だというのが本音だろう。浜辺は長嶺の席からマイクを取る。

『調子はどうかなぁ?』

「マイクオンにして、右のディスプレイにリアルタイムで情報を出るようにして」

 オペレーターに近づき細かく指示を出す。

「何の用かしら」

『冷たいねぇ、こんな態度を取られたのは中学以来だよ』

「ふざけないで、あなたの逮捕には確実に近づいてる、敵陣に乗り込んでくる余裕なんてもうないんじゃない?」

『無益な会話を避けようじゃないか。これから三日間はお互い休暇をとろうじゃないか。働きすぎもよくないから? 三日後には私の友達を逮捕してもらう。詳しいことはその時に教えるとして、彼女は某巨大詐欺組織のボスで今まで数々の大物を相手に大金を搾取してきた。次は一国を騙すつもりだ。さぁ、ゲーム開始だ。頼むよぉ? 諸君』

「誰があなたに協力するといったの。そうで彼女が捕まることであなたに利益が生まれるんでしょ、それでは犯罪幇助になる」

 右のディスプレイに情報が増えていく。

『いっただろう、私は善意から君達に協力している。少しは徳を積まないと来世で苦労するだろうから? 会沢なんて、ほぉんの雑魚だよ。奴は大物犯罪者に違いはないが白鯨ではない。私は捕獲のお誘いをしている。既に一度誘いに乗ったんだ』

「…………」

『もちろんただでとはいわない。未解決事件もたくさんあるだろうから? 今までの犯罪の証拠も、もしかしたら渡すかも?』

「……」 

 浜辺がマイクを切る。この調子で奴の渡す犯罪者を捕まえていけば、確かに世界の平和に貢献できるかもしれない。だが枯柴の勢力は拡大の一途を辿るはずだ。しかしいつかは枯柴逮捕への決定的な手がかりに行き着くかもしれない。デメリットの方が少ないのではないか。我々に協力するということは少なくともこの国に危害を加えることはないのかもしれないし結社団が標的になることはないだろう。何よりも自分に執着している。うまいこと誘導して逮捕及び抹殺できれば無問題だろう。

 マイクのスイッチを触る。

『決定は下ったかなぁ』

「ええ、分かった。白鯨を仕留める」

『そおの意気だぁ、やはり融通の利く人間は好きだな』

「だけどあなたの友達を逮捕してもどうせあなたには辿りつけない。これじゃあイタチどっこじゃないの」

『そうだよぉ? イタチごっこが始まる。始まりがあれば終わりがある。いつか終わりが来る時まで世界平和に貢献し続けようじゃないか』

 

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