第10話

 枯柴がローブとスーツジャケットを脱いでソファにかける。バックホルスターが丸見えになった。銃を取ろうと思えば取れる。しかし武器があってもこの男に勝てる見込みはなかった。以前やたらベストが好きだという無意味なプロファイルが提出されたのを思い出した。あまりにも枯柴の情報が少ないため何かよこせといったら出してきたのだ。その男が今目の前にいる。側近の女、恐らくは重犯罪者と共に。「卓郎」と呼ばれていたパイロットもだ。私を殺すのか。殺されない自信はある。私は奴の秘密を知っている数少ない人間だ。それをネタに脅せば逃げるチャンスがあるかもしれない。

 女が肘を掴む。耳を食いちぎりそうな目をしている。震えが止まらない。結束バンドに汗が染み込み、すでに色褪せている。足がおぼつかない。遅いのを嫌ったのか背中に銃を押し付けてくる。嫌でも進むしかない。

 ここはどこだ。少し暖かい。

 地上を踏み締めた時戦地から生還したような感激が込み上げてきた。太陽の光が目を焼きそうだ。

「ここはどこだと思う?」

 サングラスをかけた枯柴がいう。

「……分からない……」

「そんなぁ冷たくせずに考えてくれよ。きっと分かるから」

 どこか楽しげだ。

「……東北か、その辺りか?」

「おしいねぇ、北海道だよ。オホーツク海に近いが、潮と風向きの関係でここはぽかぽかしている」

 これ以上は耐えられない。恐怖に溺れてしまう。ここにいる奴らは全員売国奴で人間のクズで最底辺の人種だということは百も承知だ。だからこそ怖いのだ。歯止めが効かない。奴らはやろうと思えばいくらでも残虐なことができる。自分がその一号になることを恐れているのだ。恐怖が肺に侵入し息が苦しくなってきた。

「一体何が望みなんだっ教えてくれ、頼む金なら払う。だから頼むから家に帰してくれ」

 枯柴は前に立って夕日を眺める。しばらく何もいわなかった。

「枯柴ぁ! 頼む、最近孫ができたんだ。お願いだから殺さないでくれぇ!」

「……二十年と言う月日の中で私は、何度も窮地に立たされたし、その度に生き残ろうと必死だった。一度向こう側が見えた時もあった」

 深呼吸する。波の匂いがしている。鼻の中で溶けていく。

「幼い頃私は、この国や世界はきっと美しいものだと信じていた。しかし大人になり働き始めるとそれはただの理想でしかなかったのだと思い知らされた。世界は嘘や汚職、犯罪で汚れている。洗い流すためには、血という洗剤と銃というブラシが必要だということも学んだ」

「…………」

 サングラスを外す。

「美しいものの価値は、時に最も汚れたものになれることだ。極端的なものは存在せず、死のない生も、闇のない光も。ただあるのは対比的共依存的な関係だけ……あの存在がどこかで、その存在と繋がっている。それだけのことだ……」

「解放してくれ……私はお前から学ぶことなど一つもない……」

「君たちは自分のことしか考えていない。国を運営するという重要な仕事に就いているのにも関わらず、保身のためならば手段をらばない」

 枯柴が銃を抜いた。近づいてくる。

「くるなぁ」

 腰が抜けた。後退りする。

「君をここに連れてきた目的は、ない。最寄駅の概要はとっくに知っているし情報をリークしたのも私だ」

「な、な、なにぃ? じゃあなぜ……」

「見せしめさ」

「私は秘密を知ってるんだぞ、ミッドナイト私を殺してもメリットはない……!」

「秘密を知ってる? 君を殺せば葬られるというわけだ」

「待て、やめろ……!」

 さざなみと銃声が重り、床に洗剤がこぼれる。真っ赤な洗剤。

 枯柴は銃をしまい、仲間にいくつか指示を出して卓郎の肩に手をおいた。

「樹を呼んでこよう……」



 結社団の捜査はいよいよ大詰めにかかっていた。手がかりが増え、幸いそれを解決に近づけることのできる人材がたくさんいる。

 向こうに太陽が見えて後一息で頂上だというところにいた。

「見つけたか?」

 鯉村が資料片手に話しかける。

「いやぁ、この量だとフィルターしても中々見つからないね……そっちは?」

「お前が見つけられないなら無理だな。プリントアウトして手伝おうと思ったがかえって足手まといだ」

 書類を投げ出す。飽きたのでやめたかっただけだろう、と想像する。

「長嶺さん!」

 ディスプレイの方向から事務員が走ってくる。

「ここ六年で数値が少しでも正常以上のものをリストアップしました」

「ありがとう! 助かるよ」

 ポニーテールの事務員は少し嬉しそうにモニターに戻っていった。

 リストをプリンターに取り込み、スキャンしてフィルタリングする。当たり前のことだが原発は周囲に放射線を感知すると自動的に防衛システムが働く仕組みになっている。

もしかしたら防衛システムが作動した回数でフィルタリングした方が早いかもしれない。

 思い立ったが吉日、フィルター条件をシステム作動に設定してエンターキー。

「あ、ああった。ありましたよぉ、本部長に浜辺さん」

 浜辺が二階のブースから降りてくる。

「見つかった?」

「はい、しかも現在進行形で」

 浜辺がモニターにかじりつく。

「北海道の……正確な地名はないけどオホーツク海の近くの原発に反応してる」

 一旦前のディスプレイに飛ばす。タイピングする。

「ここから衛生フィルターで作動要因をデコードして……」

「網走だ、山に接している部分に基地があるよ」

「全員網走に行け。テロ発生まで後四時間半だ。うちの飛行機で行けば間に合う。ありったけ動員するんだ! 爆弾処理班もだ!」

 事務員が全員動き出す。鯉村も防弾チョッキを探しにいく。

 いよいよ捕まるのか、枯柴が。日本国民として喜ぶべきことなのだろうが内心ためらってもいた。枯柴のいっていたこと。ずっと追い求めてきた真実が分からなくなる。

「……」

 追い求めてきた真実。子供の頃からずっと

疑問に思ってきた。なぜ、私の母親はいつも何かに怯えるような目をして、よそよそしく生きていたのか。どうして自殺したのか。

 どうして、父親がいなかったのか

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