第9話
和歌山 紀伊山地の中
「連絡してた浜辺みさき代理人です」
「どうぞ」
帽子を被った看守がドアを開ける。
大阪湾からボートで何分か行ったところで地下に入った。そこから地下道路を車で二十分。ナビは紀伊山地の中を示していた。漫画のようなスケールの大きさに驚かされるばかりだ。
「新人ですって?」
気の良さそうな中年だった。イメージにぴったりで、気さくにはなしかけてきた。ここが凶悪犯罪者用の地下牢獄だということを忘れてしまいそうだった。
「そうなんです」
「しかも枯柴の事案だってね、厄介なところに引き抜かれちまったもんだ」
カードをリーダーにかざす。中は無機質な箱だった。ガラスに息を吐いたような冷たい空間だった。
「ところで浜辺さん。歴史は得意で?」
「一応、高校では日本史を」
「じゃあ分かるね。今から話してもらう野郎は先祖が問だ」
「問?」
問といえば江戸時代での運送業者の呼び名だ。先祖が問というならば収監理由は見当がつく。
「こいつの先祖ぁ代々運送業を営んでいて、幕府が瓦解した後に地下に潜った」
「麻薬や武器の運びを」
「惜しい。現代の裏社会物流ルートを確立した名門門松家の末裔だ。もちろんヤクや武器も運んでたらしいがな」
男が赤く光るボタンを押す。正面の石壁が下がっていく。ガラスで仕切られた独房が顕になる。男がそそくさと出ていく。
丸坊主の男が後ろを向いてあぐらをかいている。背筋は水筋のように伸び切り、青い囚人服が色白の頭皮に死を味付けしていた。
ベッドの横に分厚い本を積み上げ、その上からタオルをかけている。壁が完全に下がった時大げさにため息してみたが反応はなかった。
「話は聞いていた」
いきなり喋り出す。しわがれたダミ声だった。空気が静けさを増す。
「壁の奥で? 聞こえるはずがないわ」
「私は聞いていない。心が教えてくれる。心が君たちの会話を捉え、やがて私に耳打ちする。内容を全て訊いたら私はキスして元いた場所に戻してあげるのだ」
後ろを向いたまま話す。
「枯柴のことを聞きに来た」
「んふんふふふ、枯柴朋邦。ミスターミッドナイト・ナイトメア、犯罪紳士……懐かしいなぁ」
思い出にふけっているとは思えなかった。
過去の過ちを悔いている様子もない。
「彼が犯行声明をだした。六時間後に核が発射される」
「なら日下涼介が誘拐される」
「外れ。片宮京一郎よ、すでに誘拐された」
「役職に変わりはない。前任か後任かどうかということだ」
プライドが高い。
「奴のファイルを読んだ。自分の犯罪をゲームと思っており、我々のような人間をただステージに立つだけの演者だと認識している。仲間は舞台裏で動き回る裏方だと。そして自分は奇術師。クライマックスでステージに出て行って全てを持っていく。それを裏方への報酬に充てる。あなたは裏方の一人であり時には共にステージに出ていく友人だった」
「君は彼のことを何も分かっていない。君は初日だろう? 彼と特別な関係にある、不倫関係とか……いやもっと近しいもの」
見抜かれている。こういう見透かすような言い方にはイライラさせられる。
「奴とは何の関係もない。幼い頃から彼は裏切り者で世界の敵だと教えられてきた。国語でも歴史でも道徳の授業でも。奴はこの国の倫理を変えた。今まで憎んできた人間に初日で指名された。私にとって彼はただの反逆者で何の、関係もない」
「ふふふ……」
浜辺の方を向く。口に大きな傷がある。クレーターのようだ。目もおぞましい。何も見ていない目、しかしその奥には炎の情熱がある。相手に生理的恐怖を与えるには口の傷だけでも十分だった。
「君の目、実に情熱的だ。本質を見抜く力がある。全ては本質だ。本質こそ正義。死、暴力、全ての負の側面は本質へのプロセスでしかない。私は本質を見抜いた。君にもできるんだ。やってみろ……」
「本質はあなたも彼も犯罪者だということ。ただそれだけ」
「よおく考えろ? 犯罪とはなんだ」
「法に反くこと」
「ちぃがうね……本質とは欲求だ。誰にでも欲求はある。高い物が欲しい、あの女が欲しい、金持ちになりたい、あいつを殺したい。全ての悪は人の欲求から生まれ、やがてはそれを行動に移すために日夜思考して完璧な計画を作る。それこそが犯罪だ。例えば彼はイスラマバートの紅茶が好きだった。何人かの仲間と、毎年三月になったら一番に飛んでいって紅茶をどっさり買った。売店の人間は目の前にいる男が国際手配犯とはまさか思わない。毎朝六時半に起き、妻と娘の寝顔に微笑む。シャツにアイロンをかけ白石に縁取られたキッチンで卵を焼く。ベストを着こなしレコードをかけ、新聞を読み万年筆のペン先をやすりがけする……そういう人間に見えるんだ。堅実な夫、優しい父親、有能で確実なビジネスマン…………」
情景が思い浮かぶが枯柴のプロファイルからは考えられない。しかし真意は汲めた。
「大事なのは物の見方だということ?」
「んふんふんふ……その通りだ。外国から取り寄せた核を動かすために日本の防衛省の人間が必要か?」
いわれてみればそうだ。自分達は二次的な情報に囚われ本質を見失っていた。
「つまり?」
「片宮京一郎のはおとりだ。彼は必ずおとりを使う。場合によっては何人も」
「片宮は関係なかったのね」
「そうだ。これでも十分だろう」
「まだよ。あなたは過去に奴と核を使った陽動作戦を行った。手口を教えて」
「教えろと? 何の見返りもなしに」
「教えてくれれば便宜は図る」
「詳しい条件は外にいる勃起不全の警備員にいう。核は彼が直接コーティングする。そうすることで威力が増すし、追跡されない」
「それは知ってる」
「しかしコーティングする時に、ある特殊な工具を使う。特別な陽子を持つ電極。その陽子は何重もの電子紐で隠されているがそれでも放射線が漏れる、それは原発にも反応するから記録を調べて放射線の数値が異常になっているところを再検査して同じ種類の電子を追跡すれば位置が分かる。そこで辿り着くのが『最寄駅』と呼ばれる核シェルターだ。そのシェルターは過去に一度だけ使われたが汚染がひどくもう二度と使えない。しかしそれはフェイクで枯柴率いるイタリアのバイオテロリストが利用している」
「ありがとう」
ボタンを押して立ち去ろうとする。
「待て」
振り返る。
「一つだけいいたいことがある。君に、個人的なことだ」
「なに……」
近づいてくる。ガラスに彼の鼻がつく。その部分が白くなる。少し気持ち悪い。目の中の青い炎が赤くなる。ゆっくりねっとりと話し出す。君には素質がある……君の名前を教えてくれないか」
「……浜辺みさき……」
「ふふふ、んふぬふ。面白いねぇ。巡り合わせというのは実に面白い……やはりこの世には超常的なことは存在する」
「何の話……? 素質ってなに」
「犯罪者。のだよ」
「………………」
「その冷たい目を隠す黒いベール。輝きを放っているようで実は死んでいる。心はない。その話術、立ち居振る舞い、人間に心底興味がないがそれでいて本質を理解したいと望んでいる。この世には存在しない。死のない生も闇のない光も。君には一流犯罪者の血が流れている。天性の才能がある」
「あまり私をいらだたせないで。その気になればガラスを突き破って破片で首を切ることもできる。勃起不全の警備員は代理人に口出しできない」
「そぉれだよ」
噛み殺した笑いを口端から漏らし体を震わせる。
「結社団最重要指名手配二位の男、浜辺聡一ふふふ、おかしいと思わなかったのか? 史上最も凶悪な反逆者の一人。その男と苗字が同じ」
「待って……」
「それだけじゃない。指名手配一位の枯柴朋邦に指名され、その彼は浜辺聡一の一番の側近……」
「もう聞きたくない」
「聞くしかなくなる。いつか君は彼らの秘密に気付く。その時君は絶望し、否が応でも向き合わざるを得なくなる。いいたいことは分かるな……?」
銃を抜く。
門松が後ろに倒れる。ガラスに穴は開かないが衝撃は伝わっていく。自身に潜む怒り。確かな感情だった。愛や恐怖よりも確実なものだった。この男を殺したい。これが犯罪への欲求か。
「……いいぞ。先輩として君を認めるよ。もっと撃て!」
ボタンを撃つ。何発も打ち込む。パネルから火花が飛び、赤いスイッチが抜けて落ちる。白い壁が始めの何倍もの速さで上がってくる。天井に叩きつけられた石壁の破片が少し落ちてくる。
浜辺は振り返りもせずに部屋を出て携帯を出す。長嶺の番号を押す。
「長嶺さん。日本各地の原発の放射線記録を全て調べて数値が異常に高いところを再検査して」
「え? 全ての原発?」
「そうよ。時間がない」
「分かった。フィルタリングして見つけてみる」
「頼むわよ。今から帰る」
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