第3話
「十五分です」
「遅くとも夕食どきには着きたいな。しかし寒い」
「全くです。春だっていうのに気温が真冬と変わらないなんて」
「親父さんから連絡は?」
「今のとこありません」
「分かった」
枯柴を乗せたメルセデスSは御村の運転で大澤接骨院の前の信号で足止めを食らっていた。この時間帯仕事帰りの車が多く、まだ七台ほど往生していた。大人数が横断歩道を渡るために青でも進めない状況が続いていた。交通規制のため警官が出張っているほどだ。
腰が差し金のように曲がった老婆を最後にようやく車が動き始めた。御村は我先にと車線変更して突っ走った。
バス停を通り越してうどん屋の角を曲がった駐車場に停めた。外は半分闇に飲み込まれている。バニラスカイだった。甘い色にオレンジ色を混ぜて、黒いペンキを落としたような空だった。
コートの前を合わせて歩き出す。
塚口小学校の体育館のグラウンドが見えてきた頃、三件並ぶ家の真ん中のベルを鳴らした。綺麗に整理された芝生を通って待つ。
鍵の音がした。
「いらっしゃい。遅かったね、御村君も」
「すまんね」
枯柴がサングラスを取る。
「渋滞で」
御村は申し訳なさそうによそ見をする。
広い廊下を通ってダイニングのソファへ座る。本棚の上に「ホロフィレスの首を斬るユーディト」の絵が飾ってある。この部屋が異様な空間であるということを示すには十分なのに呪われた楽器と呼ばれる「アルモニカ」までもが手入れされている。その上このソファは有名な皮膚職人からの特注だ。殺してきた女の皮膚で作られている。
「イスラマバートの紅茶だ。人間みたいな味わいがある。堀が深いし、何よりも流動的」
ティーカップを乗せたお盆を持ってきた。
何でも人間に例えるのが好きな男だ。
「ありがとう浜辺さん」
御村が頭を下げる。この男は全国指名手配二位の浜辺聡一に他ならなかった。
三人はしばし紅茶を愉しんだ。
「それで? うまくいったのか」
がっちりした体つきに似合うしわがれ声でいう。
「出だし好調といったところだよ。奴ら今頃ヒントを前に本気になってるさ」
小さく笑みを浮かべてから紅茶を置く。
「そりゃ良かった。主導権は彼女に渡ったかな」
「……どうだろうね……こちらに情報が漏れないように必死らしいが」
「でも漏れてるんでしょ」
御村がスーツの後ろを触りながらいう。
「ふふふ、漏れてるどころか重松の五分前の検索履歴も見ちゃったよ」
「というと?」
「責任者にはしていない」
枯柴のシリアスな声を訊くと、ふうと息を吐いてソファにもたれた。上を向いて少し考えるように瞬きを繰り返した。
「なぁ、枯柴。俺もあんたも犯罪者で、俺らに共通する点は多い。結社団のリストの上位であること。俺は二位であんたは一位。罪状はどちらも国家反逆罪」
「というと?」
「奴らの手の内は知り尽くしてる。この計画は何人もの人生に大きく関わることだ。特に俺や、あんたの。もちろん彼女もだ」
御村は相変わらず落ち着いている。枯柴はスーツのボタンを留めて紅茶を一口飲んだ。
結社団にはいくつかの部署があることを知った。建物だけではなく神戸市のほぼ全体の地下が本部となっているらしい。西の方に衛生追跡部があり、空を見張っている。
「本部長! 衛生追跡部から連絡が」多坂がモニターを睨みながら叫ぶ。中央のディスプレイに連絡内容を表示させる。
「どうした」
「四国の海老ヶ池で、ミサイルが着弾した模様」
「……枯柴か」
会沢が深くため息をつく。
「そのようです。死者総勢四十七人。囚人護送中のトラックも二台巻き込まれました」
「何が目的なんだ」
長嶺が嬉しそうに口を挟む。
「僕もそう考えました。それで、死亡した囚人リストからこの名前が」勢いよくエンターキーを押すとディスプレイに囚人と詳細情報が映し出された。
「名前はコリン・サクライ」
「枯柴の最初の共犯者ね」
枯柴のファイルを読んでいた浜辺がいう。
ディスプレイが切り替わる。中央に絵画が映し出され、周りに新聞記事が出される。
「二○二○年ルーブル美術館に展示されていたジェームズマクニールホイッスラーの描いた絵画『ピーコック・ルーム』が盗まれました。犯人は枯柴とサクライ。彼らがこの絵を金に変えた方法が」
タイピングする。
「シルクロードです」
ディスプレイに情報が出る。
「シルクロード。ダークウェブ上でも極めて匿名性が高いブラックマーケットね」
「そう。取引にビットコインを使うので安全性が高い人気サービスだった。ただ、管理者の一人が逮捕されたことから崩壊します」
「崩壊したならなぜ奴はヒントに?」
眉をひそめ続ける会沢。
「有志がコードをリサイクルして現在ではさらに匿名性の高い、絵画などを売買するにはうってつけのサイトになりました」
右のディスプレイにシルクロードの売買システムが映し出される。
「二○二一年、木坂哲也と名乗る正体不明の男からの情報提供がきっかけでサクライが逮捕され、絵画も戻りました。内容は暗号通貨のコードです。ちなみに後の調査で、村木は枯柴だと考えられています」
「そのコードを再検査してくれ」
後ろから声がする。
エレベーターからスーツを決めた瓜実顔の男が歩いてくる。
「鯉村」会沢がいう。
「コードを調べれば恐らく枯柴が使っている裏通貨のタイプが分かる。それを辿れば」
「奴の金庫番に行き着く」多坂。
「そこから金の動きを調べれば」長嶺。
「テロの全貌が明らかになる」浜辺。
「すぐに検査しろ」会沢。
「やってますよ」
長嶺が目を血走らせながらいう。
「衛生を使うとプログラムを周波数でフィルターできる。これをエンコードすると……ありました」
ディスプレイに映る。
「秋田の仙北市、コレクションというマンションの三階。ビーストウッド商社という会社の事務所になってます」
「ビーストウッドだと?」
鯉村が食いつく。
「何か問題か」
「俺は日本の全ての会社の名称と時価総額を記憶しているがそんな名前の会社は聞いたことがない」
長嶺が目を細めてタイピングする。
「やっぱり、幽霊会社、ゴーストカンパニーだよ」
会沢が声を張り上げる。
「宮城の支部に連絡。かかしを派遣、飛行機で行くぞ」
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