妻探し
エドは窓に差し込む太陽の光で目が覚めた。目が覚めたといっても、ベッドからは起き上がらずただ天井を見上げているだけである。時計の針の音が聞こえる。まだ、静寂な朝だからこそ聞ける音である。彼はそれを一種の音楽として聴いていた。再び、寝てしまおうか…。頭でそのような考えが浮かんだが、その考えに反し、彼はベッドの上から起き上がり背伸びした。今日は妻を探しに行く日だ。悠長にはしてられない。何しろ、二日しか休みがないのだから。仕事の疲れが二日でとれるとは思わなかったが…。本当の彼の朝の儀式は太陽の光を浴びながら瞑想をして、そのあとに政府が配給しているパンを食べるものだが、今日は朝食を食べるだけにした。
彼は衣装棚から今日着る服を選んでいた。いや、選ぶという表現は正しくはない。何しろ、ジーンズ一着に緑のミリタリージャケット、灰色のフード。そして、夏用に着るはずの白いTシャツのみだからだ。今日は寒い。彼は冬の寒さを防ぐ装備一式を着用した。
鏡を見てみた。もし、妻に合うならば、制服のような固苦しい服装ではなく私服のほうがいい印象を持たれやすいだろう。彼は何となくだが、そう感じた。童顔も合わされば、どこかの高校生らしい。高校など行ったこともないのに。まさしく、反抗期真っ盛りの「子供大人」。親の理論に反抗する自らの理論を形成する年齢。悪意なき反抗。
だが、俺にはその記憶すらもない。妻の思い出のように、幼少期の記憶すらもないのだ。あるの今、この瞬間…。中絶を命じられた妊婦のうめき声、himilによる死体、銃で頭を貫かれた子供、共生離婚法に従うことを余儀なくされた夫婦が抱き合いながらキスをしあっている。これが最後の愛の確かめ合いとなることを信じられないというように。
彼はそれ以上考えることをやめた。本当は考えたかった。その夫婦がその後どうなるかを…。だが、頭痛がする。脳がそれ以上考えるなと命令しているかのようだ。「それ以上考えれれば、この世界での君は存在しなくなる。存在できなくなる。ただ、目の前のことだけに集中しろ。過去を考えるな。」脳が直接そういうのが聞こえるような気がした。
エドはマンションから降りて、駐車場へと向かった。車はまだどこも発車していない。まだ、マンションの住人は寝ているのか、起きて政府から配給されたあの味のしないパンにマーガリンをぬっているところだろう。警官になれば、肉やスープを手に入れられると思ったが、それはただの希望にだけに終わった。警官でも出世しなければ意味がないというとこだ。彼の直属の上司であるミュラーでようやく肉の缶詰めが手に入るのだ。
ミュラーは人口増加時代をじかに体験した年代であり、このような任務に病気ではないかと疑うぐらいまじめに取り組んでいた。エドは彼からこの任務の重要性を呪文のように聞かされた。まるで、アルファベットを子供に覚えさそうと熱心になる子供のようだ。
「いいか、エド。この世界で子供を産むやつというのは生物学的本能に逆らえなかった獣と同じだ。人類は新時代に移行しようとしているのに奴らはその足を引っ張るだけの存在。社会のがんだ。お前の着ているその制服はそのようながんを世界から取り除く特効薬のようなものだと自覚しろ。」
エドは飛行車のエンジンをつける。飛行車は石油枯渇により開発された空飛ぶ車であり電気エンジンで空を飛行する。エドはダイヤルを回し、気に入るカーラジオを見つけようとした。ジャズ、ロック、ショッピング、交通情報、最新科学ニュース、世界一周旅行記。彼は実際には何でもよかったが、なぜかどれも聞く気にはなれなかった。だが、車の風を切る音だけでは何か物足りなかった。結局、彼は最新の国内ニュースを扱っている局に決めた。彼はハンドルを握り、それのこたえて車は上昇した。
若いアナウンサーの感情がなさそうな声が車内に響き渡った。たぶん、二十代の男の声だ。「最新の政治ニュースに入りたいと思います。トム・スレーダー大統領は国境警備隊に海軍を動員すると発表し、今日にはニューヨーク州に新たな巨大収容所を建設すると発表しました。収容所には不法移民及び、強制離婚法に従わなかった無資格アメリカ国民が収容されるとのことです。アメリカ原住党本部は『素晴らしき手法案であり、アメリカ合衆国の人口統制計画をさらに推進するものになるだろう』と発表しました。」
そのようなものだけで人類の人口増加が収まるわけがないだろう。エドはそう悪態をついた。収容所建設はフランスやドイツがもうやっていたことではないか。それをいまさらとは。アメリカが次の収容所をどこかの州に建設すると決めた突起にはフランスやドイツはガス室を作っているだろうな。人口統制計画は最初はシベリアや砂漠に送るだけの事業だった。それが内戦からは中絶に変更された。その次は自殺推進が始めり、次は収容所だ。ならば、収容世の次は…。彼はハンドルを握りしめながら考えるのをやめた。ニュースは今も流れている。しかし、彼は聞いてはいなかった。頭にあるのは事故を起こさないかという運転手特有の恐怖と妻の行方に支配されていた。
透明なガラスに覆われた空中道路は今の時間帯は彼の独走場だった。はるか先を見渡しても車は前には見えない。いつものこの道は同僚の車か配給品を積んだ大型トラック、その護衛の軍事用の小型車、などなど。その種類は動く車図鑑の姿を思わせた。これにはエドも感激した。このように好きなように走れるのは何という快感なのだろう。車は制限速度ぎりぎりを攻め、空中道路を走った。
彼はサンフランシスコを北西に300キロを走った。適当にここを選んだのではない。妻が好きな場所だったと思う。記憶は完全には消し去られてはいない。断片的にだが、覚えていることがある…気がする。彼のただの思い込みか、それとも夫婦がカップル時代にここを訪れたのかもしれない。ただ、そこの名前はよく覚えている。ルビーナ。
ガラスから透けて見えるところはサンフランシスコのようなマンション群ではない。そこは小さな建物があちこちに並んでいる。きっと、カフェかレストランのどちらかだ。どこも茶色のレンガにより作られている。内戦前のアメリカがここでは生きている。タイムスリップした感覚だ。同じ時代の同じ国のはずなのに、そこには前の時代と現代の間の底知れない溝を感じた。
エドは着地ボタンを押し、その電波を受信したガラスでできた空間道路はガラスの地面を開け、車に降りる道を作った。車は自動的に下降し、エドの操縦に身を預けた。
エドは地面すれすれまでに加工した車をカフェと書かれた看板が掛けてある店の隣の駐車場に止めた。駐車していたのは彼だけだった。
車から降りたエドは少し、奇妙な感覚に襲われた。サンフランシスコとは違う温度がすると感じた。空地もここは少し違うようだ。もちろんこれは彼の肌感覚がそう言っているのであり、現実は何も変わらない。だけど、ここは静寂だ。忘れされた街。もう、世界のどこには絶滅したはずの町だ。異世界だ。彼はそう思った。
とにかく、彼はこの街を探検することにした。そうすれば、妻を見つけられるかもしれない。根拠は妻がこの街が好きだったということだけだったが…。見つけられなくても何かを思い出せるかもしれない。今日、見つけられなかったら、あきらめよう。見つけられたとしても、一緒に暮らすことはできない。近頃の世間話のことだけだ。それにアメリカ合衆国にいない可能性だってあるんだ。ヨーロッパかアジアにいるかもしれない。それとも、南米に…。勘弁してくれ。あそこはアメリカに敵対的だ。もし、あそこ逃げているのなら絶賛、強制労働だ。エドは別れた後もまだ、妻のことが心配であるということに内心は驚きながらもそう考えた。
彼は街の探検を続けた。続けたといっても、何か変わったものがあったわけではない。どこも、茶色のレンガで覆われた建物ばかりで、森林を歩いているようであった。レンガでできた大木が連なる森林。そこには誰もいない。暴動が起こった痕跡はない。そのまま、みんな姿を消したんだ。きっと、俺たちの仲間が軍用トラックで。彼は試しに目の前にあるカフェにはいいてみた。やはり、この町の一部として茶色いレンガでできていた。カフェと書かれた看板は木でできていた朽ち果てている。近くで見ると、ようやく解読できるほどだ。
中にはいっていると、もちろん中には誰もいなかった。店員も客も。しかし、その店は椅子やテーブルがきれいに配置されており、そこに人がいれば、店としての姿を取り戻せるようだった。かすかにエドの耳元には客たちの声がかすかに聞こえてくるように感じた。とくに彼は真ん中にある丸テーブルに懐かしさを感じた。不思議だ。何もないはずなのに。
その丸テーブルにはトマトパスタが並べられていた気がする。向かい側にも、一人誰かいる。女が。茶髪の堀の深い女。丸顔で、少し化粧を思わせる肌の白さ。何かで笑っている。きっと、昔の思い出話か何か…。彼は頭痛がした。
二人の男女は丸テーブルに座り、トマトパスタを注文した。ここのトマトパスタは最高の味がするのだと女のほうが教えてくれた。ルビーナという町は彼女の祖父の故郷であり、彼女はこの古い落ち着いいた感じが好きだと話していた。
男はこの話など、頭には入っていなかった。いつ、プロポーズしよかとずっと考えていたのだ。この店を出て、次はどこに行こうか。美術館か、それとも、湖があるルビーナ街が設立された時の記念日に建設された公園か。
「それで、私の弟の話になるんだけど。」女がいかにも愉快そうな声で言った。「弟はもう17歳なんだけど、どうやら大学にはいかずに陸軍に入隊するらしいの。陸軍だったら、衣食住はつくし、軍が面倒を見てくれるから、入隊したいんですって。」そして、こう続けた。「親はそれで猛反対。弟には陸軍にはいかずに大学か陸軍以外のところに就職してほしいんですって。ほら、最近、きな臭いでしょ。ヨーロッパなんか人口が増えすぎて、数少ない土地を守ろうと戦争を始めている。アメリカはまだ、戦いには参戦してないけど、政府は戦争を始めたくてうずうずしている。」
男はただ「ああ、それは大変だな。」といった。
女はその男の返事に少し違和感を覚えたようだ。「どうしたの?どこか具合が悪いの?」彼女はそう言って、彼の目をじっと見つめる。その髪の色と同じ色の目は彼の心を魔法で透明にして正体を見破ろうとしているかのようだ。
彼は慌てて、しかし、口調にはそれを出すまいと努力しながらこう言った。「いや、何でもない。ただ、気になることがあって。」それは噓だ。唯一、気になることはこのプロポーズは成功するかどうかだ。
「気になることって、何?」と女は聞いた。
彼の頭は猛スピードでフル回転した。何か言い訳を考えないと。自然な成り行きで。クッソ、ちゃんと聞いておけばよかった。プロポーズなんて食事の後でよかったじゃないか。
「最近、政治の状況を考えていたんだ。」彼はそう言った。完全にこちらの失策だ。
しかし、女のほうはそれを聞くと少し微笑んでこう言った。「あらそう、男って本当に政治や歴史が好きなのね。」そして、こう付け加えた。「でも、悪い気はしない。少し、教えて。」
男はどっと、安どの波が押し寄せた。そして、政治の話を始めた。政治といってもそれらしい単語をちりばめただけのただの推測の物語だった。
彼は頭の中のこの男女の姿を思い浮かべた。思い浮かべたのではない。思い出しているんだ。この二人はきっと、俺と妻の二人。きっと、結婚前のこと。でも、そのあとのことは何も思い出せない。しかし、そう思いながらも、彼は自動的に公園に向かった。まるで、何かに操られているようだ。
そこに行けば、すべてはつながると考えて。
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