第53話 とりあえずの帰還

「あ、目を覚ましたみたいだぞ!」

「おい大丈夫か! しっかりしろ!」

「ふ、二人とも、大丈夫?」

「うう、何だ……?」


 随分と騒がしい。俺はふらふらと身体を起こした。目を開けてあたりを見ようとすると、ズキン、と目から頭にかけて痛みが走る。どうやら、無事に呪が解けて目が見えるようになったみたいだが、その反動なのか、情報量の多さに目と頭がまだ慣れていないようだ。俺はズキズキと痛む目で周囲を確認する。カビ臭いレンガの匂いに紛れてかおる血の匂いと、ジメッとしたいやな空気。教会の地下室のようだ。

 どうやら、無事に戻ってこられたらしい。俺としてはクルエラ―――スカーレットを助けたら、そのままツツジの精神世界に潜るつもりだったのだが、一旦現実に戻ってきたようだ。


「そうだ、スカーレットは大、じょう、ぶ……」


 一緒に帰ってきているであろうスカーレットの姿を探そうとして隣を見ると、不安そうにこちらを見つめる顔と目が合った。

 美しいプラチナブロンドの髪は、丁寧に編み込まれて纏め上げられ、その蠱惑的なうなじをうっすらと覗かせている。整えられた前髪から覗くその双眸は、ちょっとびっくりするぐらい長い睫毛がきらきらと光を反射して、大人びたような、どこかクールな雰囲気を感じさせるその瞳を彩っている。鼻筋や、耳から顎にかけての顔のラインはどこもシャープに美しく曲線を描いていて、その神秘的とも言える顔立ちの全体像を見事に調和させている。

 長々と話したがまあつまりなんというかその。


「うわぁすげぇ美人!?」

「ひゃっ!?」

「この声……もしかして、クラーラか?」


 聞き覚えのある可愛らしい声が聞こえたので、俺は改めて目の前のものすごい美人を見返した。うーん、言われてみればクール系の美人で、他の人から聞いていたクラーラの外見と一致している。


「へえ……こんなすごい美人さんだったのか。こりゃ他の男どもがおかしくなるわけだわ……」

「え、あっ、え? ど、どうしたの? 急に」


 目覚めてそうそう変なことを口走る俺に驚いた様子のクラーラ。そんな俺たちを見て、トロンが口を開く。


「その様子だと、本当に呪いが解けたのだな?」

「おう、スカーレット……クルエラが、目に関わる使徒だったから呪いが解けて―――って、お前も可愛いな、トロン」

「き、急になんだこのたわけは……全く」


 トロンは紫がかったクセのある銀髪で、ウェーブのかかったそれを、執事としての仕事の邪魔にならないようにか肩にかからない程度に短めに整えてある。群青色の瞳をたたえたその双眸は、彼女の性格と同じくややキツめの印象があるが、その瞳の奥から静かな安堵と優しさが伝わってくる。というか眼鏡かけてたんだね。知らなかった……。


「今どうなってる?」

「ああ、とりあえず第三騎士団の騎士たちに周囲を警戒させてあるが動きはない。この教会を一通り調べて、特別な仕掛けや罠が無いみたいだったから姫様をお通ししたくらいだな。危ないからと伝えたんだが、どうしても貴様の傍にいたいのだと言って聞かなかったのだ」

「そうなのか、クラーラ?」


 彼女の方を見やると、クラーラは気恥ずかしそうに目を伏せた。えっ可愛い。可愛すぎるぞどうなってんだ。


「……何だか随分と親しげな様子だな?」

「あっ」


 いけない。そうだったスカーレットがいたんだった。

 紅いメッシュの入った美しい金色の髪をたなびかせ、スカーレットはジトーっとこちらを見つめている。相も変わらず見とれてしまいそうになる美貌だが、今は少しばかり、いやかなり気まずい。


「いやあのですねスカーレットさん……これには深いわけが」

「いや、言わなくてもいいぞ。こちらに「聞く」からな」


 そう言ってスカーレットは俺の顎を手でぐいっと掴み、その端正な顔を俺の方にぐっと近づけた。


「ほう……ほう? ほほーう? 貴様……随分と楽しんでいたようだな?」

「あ、あはは……」


 まずい、笑っている。すごくいい笑顔で笑っている。だと言うのにその瞳が欠片も笑っていない。無である。瞳の奥から、笑顔の影から無がこちらを見つめている。


「余が、貴様の、ことを、心配していた、間、随分と、楽しそうに、しておるでは、ないか」

「ふぁ、ふぁい……ふひはへん……」


 一言ずつ圧をかけながら俺の頬をつまんでむにむにと引っ張られる。向こうでの仕返しだろうか。あちらとは違い現実世界では子供くらいの背丈しか無い俺では長身のスカーレットに抵抗するすべはない。されるがままである。


「はぁーっ……まあいい。貴様がこんなふうになってしまったのには責任の一端が余にあると言えなくもないし、何か悪いことをしたわけでもない――いや第三王女を護衛と召使いごと手籠めにするのは悪いことか? 悪いことじゃないかこれ」

「いやあの、すんません……よかれと思ってやったんです、本当……」


 観念して謝り倒す俺の目をじいっと見つめて、スカーレットは眉をひそめた。


「まあ何はともあれ、レガリアについての話をつけて、第三王女陣営の協力まで取り付けてきたのだ。仕事の成果としては文句のつけようがないし、件の第三王女の人柄も問題なさそうで、協力する相手として申し分ないし……」


 そこまで呟いて、何かを思い出したように彼女は俺の目を見つめた。


(あーあー、聞こえておるか?)

「えっえっ何?」

(しっ、静かにするのだ。これは今、新しく発現した権能の力で瞳越しに余の考えを直接そちらに流し込んでおる。俗に言うテレパシーのようなものであろう)


 何だか凄い話をしている。これがシスターの言っていた使徒としての力の覚醒なのだろうか。


(いや、恐らくはその一端だな。他にも、明確に向けられている悪意や敵意の類には、目を見なくとも気配を感じられるようになったし、この力も本質としては念話ではなく情報の送信。つまりは余のやる読心の逆を行える点だろう。今は分かりやすく言葉の形で伝えておるが、映像やイメージの形でも伝えられるだろう。戦闘や密談などにも応用がききそうだ)


 それはすごい力だ。ところで、なぜ急にこの力で会話を?


(……気のきかんやつだな。余とそなたはお互いに恥をさらしあってまでして、ようやくお互いの気持ちに正直になろうとしていたところなのに。こうも周りに人がいたのでは息が詰まって仕方ないではないか。それも、ほとんどそなたの知り合いで、余は社交辞令程度の挨拶しか交わしたことのない連中だぞ。いくら余がそなたの記憶を通じて信用できる相手と判断したとしても、流石に気まずかろう)


 あー、それもそうだ。俺からしてみればもうすっかり気心のしれた仲間たちという感じのメンツだが、スカーレットにとってはつい先程まで警戒をしていた相手。なんなら、レガリアを囮に罠を張ったのは第三王女なのではないかとまで疑っていた相手なのだ。そりゃあ気まずくもなるか。


(まあ、そなたが信用するというのなら、余も信用して手を取ることにする。他の誰でもない、そなたが信ずるに足ると言うのならな)


 スカーレット……。俺は彼女の言葉に胸を打たれ……


(……まあそれとこれとは話が別なので、諸々片付いたら覚悟しておくように)


 ひえっ。心臓が縮み上がった。

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