第47話 クルエラとバルディン

 それから、しばらく娼館で奔走する彼女の記憶が続く。

 規模を拡大し、経営について頭を悩ませ。まともなところから男を仕入れ、慌ただしい日々が続く。

 そんな彼女の日々の記憶の中には、何故か必ずと言っていいほど俺が映り込んでいた。

 いつもいつもへらへらと笑い。他の連中が嫌がるような仕事を嬉々として行い。オッパイいいよねぇ安心するよねぇところでオッパイ揉んでもいい? とかろくでもない事を話しながら、いつでも俺がクルエラのそばにいた。


 他の者達の顔は、いつも一瞬顔がうつるとすぐに影が落ちる。その心の内を覗き、敵意や叛意が無いことを確認すると彼女はいつも目を見ないようにしていたのだ。彼女は裏切りに敏感で、それを警戒して心の内を覗くのに、その心の内、人間の持つその薄汚さに辟易していて、必要でない時は極力力を使わないようにしていた。


「でね? その女がまたくっさいアソコしてましてね……洗っても洗っても匂い取れないしなんかもうこれ毒とかあるんじゃない? 毒マンコなんじゃない? すいませんお客様毒属性の方はご遠慮してるんですよって言いたかったわけですよ俺は。しかも舐めろって言われたから俺はうっかりええっ! この毒マンコを舐めるんですか!? って口に出しちゃってそしたら向こうも毒……? って聞き返してきたから俺は咄嗟に機転を利かせてああいや、どくどくしててえろいマンコって言ったんですよげへへってうまく誤魔化しましてね。そしたら向こうも調子出てきたのか俺の顔に毒マンコ近づけてきたもんだから俺ももうここに舌突っ込むのいやだけどうんちに突っ込むよりはマシだろ多分マシだよね? マシでいいんだよね? そう祈りながら決死の覚悟でその毒マンコを」

「何の話をしとるのだ貴様は」

「毒マンコ舐めてからずっと舌がピリピリしてるからおくすり下さい」

「早く言わんかバカ!」


 なんなんだこの会話。おかしいだろこれ。でも心当たりは多分にある。クルエラが娼館経営を始めてから数年、彼女が慣れきるまでは、俺もこんなクソくだらないバカみたいな話をよくしていた。いつからか、彼女とはお硬い話しかしなくなってしまったが、この頃は楽しかった。

 クルエラの記憶の中に、こういうバカみたいな記憶ばかりが流れていくのは、彼女もこのアホらしい一時を楽しんでいたからだろうか。

 彼女の記憶の中の俺は、他の連中と違い、いつも顔が見えていた。クルエラは、俺に対してだけ、いつも目を見て話をしていた。

 裏表のないやつだなと、彼女がいつも言っていたのは俺の心はいつも筒抜けだったからと言うわけだ。俺の心は、俺の心だけは、目を逸らしたくなるようなものではなかったと、そういう意味なのだとしたら、俺は少し嬉しかった。



 それからまた、いくつもの記憶が流れた。歳を重ねるにつれ次第に、クルエラと俺はバカみたいな話をしなくなっていった。王国の暗部に触れ、自らの義父がどうしてあんな凶行に走ったのか、どうしてああなってしまったのかが分かっていくにつれ、この世界の厳しさ、残酷さが身にしみていくにつれ、次第に彼女の心は冷たくなっていった。皆を明るく照らす太陽、それを目指した名を語りながら、裏腹に。

 そうして、つい最近。俺に例の仕事の話を頼んでから、彼女は俺の目を見なくなってしまった。

 今なら分かる。怖かったのだ。十年もの間一緒に戦い抜いてきた俺に、色々な謀略を重ねて、断る選択肢を無くして、そうして頼もうとしていた。それを俺に見抜かれ、そんな事をするなと。俺はお前がそうしろと言うなら何でもやれるんだぞ言われて、嬉しくて、そして怖くなってしまったのだ。

 こんなに自分を愛してくれる男を、信じてくれる男を、尽くしてくれる男を。危ないと分かりきっている相手のところに行かせてしまう自分が、俺に見限られてしまうのが怖くなったのだ。

 もし、次に俺の心に触れた時。もしも俺がその選択を後悔し、自分のことを恨んでいたらと思い、怖くて怖くて仕方がなかったのだ。自分の目的のためにさんざん働かせて、ついには命の保証もできない仕事を無理矢理やらせようとしていた事に冷静になってから気づいて、それがどうしようもなく悲しくて怖くて堪らなくなってしまったのだ。


「バッカな奴だな……」


 そんな事あるわけ無いのに。俺は、クルエラが頑張っているところを一番近くで見てきたのだ。心優しいスカーレットが、クルエラとして、祖国を取り戻すために、心を砕いて走り続けたところを、隣でずっと見ていたのだ。頭が切れて有能で、兎に角何でも仕事ができて、人のことなんて嫌いだなんて顔をしながら、それでも優しさを隠しきれない人だと、俺は知っているのだから。嫌いになんてなるわけ、無いのに。

 俺の瞳を見つめてくれれば、俺の心に触れてくれれば、一瞬でこんな迷いなんて立ち消えてしまっただろうに。彼女はそれが怖くてできなかったのだ。

 それが怖くて目を逸らしている内に、今度はかつてのヴィオレットのように、俺は刺されて倒れてしまった。クルエラの目の前で、覆いかぶさるようにして、彼女の上で冷たくなって死んでしまった。

 だから彼女は、今心の内に囚われ、苦しんでいる。また信じられる相手を見つけたと思ったツツジが、俺を殺してしまったから、彼女は過去の悲劇を思い出して、悲しくて辛くて、閉じこもってしまったのだ。


「こりゃ、説教してやらないといけないかもな……」


 とりあえずバカと言いたい。なんで俺から目を逸らしたんだバカと。そうして、そしたら、抱きしめてあげよう。だって彼女はこんなに頑張ってきたのだから。その事を褒めてあげないと。抱きしめて、頬ずりして、何度も何度も頭を撫でてやって。よくやった、よく頑張ったなって、これからは俺が、俺たちがついてるんだからもう大丈夫だぞって、言ってやらなきゃいけない。


 眼の前に、扉が現れた。知っている。これは彼女の部屋の扉だ。彼女が幼い日を過ごした、クルエラッド城の。彼女が一番幸せな日々を過ごした、あの部屋の扉。

 俺はゆっくりとその扉を開く。その部屋の中には、たくさんのぬいぐるみや人形が落ちていた。落ちていたというか、敷き詰められていたというか。そのどれもが、目のところが黒く塗りつぶされている。

 その部屋の真ん中、天蓋付きのベッドの上で、一体の人形を抱きしめてうずくまっている女の子がいた。赤いドレスに身を包んだその幼い少女は、かつて母から寝物語を聞いていた、在りし日のクルエラ――スカーレットだった。

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