第46話 出会いの記憶

 真っ暗になった空間をあてもなく進んでいく。何もない暗い空間は少しばかり心細かった。普段の俺もほとんど見えない中生活をしているわけだが、どうにもこの精神世界で目の見える状態が続いていたからか、この暗闇が恐ろしく感じた。こういう時になって、俺の手を取って歩いてくれたクルエラ――スカーレットの、有り難みが身にしみた。俺の手を引くその温かさの、なんと心休まることだったろうか。

 スカーレット……彼女は、信じていた義父が叔母と結託して国の一大事に乗じて愛する母を殺そうとする場面に遭遇した。幸い、その凶刃によって斃れることは無かったものの、魔王に挑む重要な場面でのあの傷だ。彼女の母、ヴィオレットの帰らなかったのは、あの傷が原因だと考えるのは自然なことだろう。そうして、彼女はもっと早くに義父と叔母の後ろ暗い叛意に気づけていればと悔恨し、権能の発現に至ったのだ。

 その後何があったのかは想像するしか無いが、この国に魔王フォルネウスの災害についての記録が殆ど無いことや、当時生きていた俺がそういう記憶がないことから察しても、恐らくヴィオレットは魔王を撃退したのだ。倒したのか、追い払ったのかは分からないが。

 ただし、その戦いの中王の証たるレガリアは失われ、クルエラッド王家は断絶と判断、魔王の襲撃と魔物の氾濫で大打撃を受けた国土は周辺の国々に割譲され、スカーレットは国を追われることになった。

 そうした彼女が、人間不信に陥りつつも、国を再び取り返すため、その力をつけるために打ち捨てられた古い娼館に目をつけ、自らクルエラを名乗り暗躍し始めたのだろう。そうしてすぐに、修道院を名乗る一団に攫われたものの、呪いのせいで厄介払いされそうになっていた俺と出会ったのだ。


「うおっ」


 そこまで思案した所で、急に視界がひらけた。

 いや、そうは言っても、この記憶もまた夜のようだったが。


「それで、この男の子を売りたいと?」

「ええ、お安くしておきますよ。こいつは器量は良いが見ての通り呪にやられていてね。不気味なもんでここらで捨てちまおうかと思ってたんですわ。本当は引き取りたくもなかったんですがね? ま、修道院の名を語って男を集めてる以上こいつだけ引き取らないのも不自然でござんしょ?」

「ふん、下衆が……」


 これは、俺もかすかに覚えている。俺がクルエラに買われた日の記憶だ。


「まあいい、そら、金だ。その男の子を寄越せ」

「へへ、毎度……。ああ、言っときますがね?」

「そいつ以外は売らんというのだろ? いらんからさっさと引き渡して失せるがいい」

「へへへ、そりゃどうも……おら、ガキ。この人が今日からお前のご主人様だぞ。この人が買わなかったらお前は今ごろそこらの森に捨てられて野垂れ死んでんだ。精々感謝して働けよ」


 そう言われて、一人の小汚い子どもがクルエラに引き渡され、俺を攫った一団は夜の闇に消えていった。

 ……このガキが俺? ちょっと気になったので顔をじっくり観察したかったが、夜だし、相変わらず目元のあたりが暗くなっていて顔は見えなかった。

 目の見える内に自分の顔がどんなものか見てみたかったんだが……。


「おい、貴様」

「はい、なんでしょ」


 記憶の中のクルエラに声をかけられ、記憶の中の幼い俺は眠そうに答えた。まあ当時の俺は七歳か八歳くらいだし、今は深夜のようだし、眠そうなのも仕方ないが当時の俺ちょっと大物すぎないか? 攫われて売られてるんだぞいま。だというのに俺は何とも普通にボケっとしていた。


「貴様、攫われて売られたというのに随分と呑気だな。状況が飲み込めてないのか? まあその歳なら無理もないが、貴様はこれから余の娼館で娼夫として働くことになるのだぞ? 少しは辛そうにでもしろ」


 辛そうにでもしろってなんだよ。どういう命令だそれ。

 いや、まあ、そもそもが性根の優しいスカーレットが、目的のために冷徹な女を演じているという状況なのだから、これから自分がひどいことをするのに相手が無邪気な面をしているのが逆に居た堪れなかったのだろう。泣き喚き、怒り、恐れ、抵抗してくれたほうが、まだマシだということなのかも知れない。


「へえ、しょうかんですか、いいですね」

「はあ?」


 しかし記憶の中の俺はそれを聞いてにこりと笑った。


「……まだ子供の貴様にはわからんだろうがな。これから貴様は貴様の意思に関係なく、欲にまみれぶくぶくと太った汚い女どもの慰み者にされるのだぞ。気持ちの悪い股を舐めさせられ、乳を吸わされ、その穢らわしい穴に貴様のものを入れて腰をふらされるのだ。貴様のような男にとってこれほど辛いことはないのだぞ? わかっているのか?」


 説明しなくてもいいものを、わざわざ説明するクルエラ。そうだ、確かこのころ娼館にいたのは、古い娼館に元々いたおじさんたち……まあこの世界ではおじさんもまあまあかわいい見た目らしいので感覚が狂うが、兎に角慣れきって荒んだ連中ばかりで、新しく仕入れた男は俺が初めてだったんだったか。元々その道にいた連中と違い、自分の手でそういう道に引きずり込むことに対する罪悪感を感じていたのだろう。 

 ……だというのに、それを聞いた俺はへらへらしている。


「いやだな、それくらいしってますよ。いいですねえ。わくわくしてきちゃった」

「はあ?」


 信じられないガキである。何なんだこいつ。どういう神経してるんだろうか。とんでもない奴だ。いや俺だこれ。俺だったわ。

 俺はへらへらとしたまま続ける。


「いえね? おれはこんなのろわれてるからだなもんで、むらにいるときはこやにひとりきりで、はなすあいてもいなかったし、なによりのろいでめもみえなきゃあじもわかんない。まりょくもないしきんにくもほとんどつかないし、まいにちいきてんだかしんでんだかなせいかつだったもんで。それがまいにちひととおしゃべりしてふれあえるなんてすてきでしょ? それにおんなのひとのからだにはすごくきょうみがあるし。ものすごくきょうみがある。うーん、たのしみだ……」

「え、えぇ……」


 俺の言葉に、クルエラは酷く動揺していた。いや動揺するわこんなの。何いってんだコイツマジで。いや俺だこれ。俺だったわ。

 俺が過去の俺にドン引きしていると、クルエラはしゃがみ込んで幼い俺と視線の高さを合わせた。そうして、記憶の中の俺の顔にかかっていた影が晴れる。

 ……恐らく、この時力を使ったのだ。俺の目を見ることで。


「……っ」


 そして、クルエラは息を呑んだ。俺の心を見ることで、俺が言っていることが真実で、俺が本気で楽しみにしていると分かったからだ。娼館での生活すら本気で楽しみだという俺のこれまでの境遇に、優しい彼女が打ちのめされていると、幼い俺はぺたぺたとクルエラの顔を触った。


「……何をしている?」

「へい、めがみえないんで、どんなかおしてるのかなって……」


 そういって俺はさらにむにむにとクルエラの顔を触る。そして、俺から見ても大変愛らしい顔立ちをしていた当時の俺はにかっと微笑んだ。


「うーんわかんないや。でも、きっとすごいびじんさんなきがする。わかんないけどたぶんそうだよ」


 そういって満足気に笑う俺はクルエラの頬を手で撫でた。


「ひとにさわったのはいつぶりだろ。ふふっ、あったかくていいな、やっぱり。しょうかんではたらいたら、まいにちおんなのひとさわれるんだよね、たのしみだなぁ」

「…………」


 クルエラは、無言で俺を抱き締めた。


「わ、わ、わ。だきしめられたのなんてはじめ―――いやまって、オッパイおおきくない? ねえこれすごくオッパイおおきくない? わあ、わあすごいぞ、すごいオッパイだ。すごすぎる。すいませんオッパイさわっていいですか。できればもみたいんですけどもいいでしょうか」


 抱き締められたことよりも抱き締められることで押し付けられたオッパイに大はしゃぎしている。何なんだ本当にコイツは。この局面でこういう反応する? 何考えてるの? いやだから俺だわコイツ。すごいな当時の俺。こんな歳の頃から何も変わってない……。

 しかし、俺のオッパイ連呼はもう耳に入っていないのか、クルエラはぎゅうと俺を強く抱きしめていた。


「すまない……すまない……」


 謝ることなんて無いのに。俺はそう思ったが、彼女の性格上それも無理な話か。

 何とかしてオッパイを揉む許可を得ようとする俺を抱きしめたまま、記憶は薄れて消えていった。

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