第44話 出陣
「本当に出陣なさるおつもりですか?」
「こんな事態だ。民は皆恐怖に震え光を求めている。敵が夜と呼ばれる魔王ならば尚の事、
スカーレットの問に、ヴィオレットは静かに答えた。
二人だけになった会議室に、重たい沈黙が満ちる。
「……死ぬ、おつもりですか」
「……陽はまた昇るものだ。例え沈んだとしても、な」
「死ぬつもりでは、ないですか……」
クルエラッドにて落陽とは女王の死を、昇陽とは新たな女王の誕生を意味する。ヴィオレットは娘に対し、暗に自身の死と次なるクルエラの継承を示していたのだ。
スカーレットは肩を震わせ慟哭する。
「一体……一体どうしようと言うんですか!? あんな、あんなものに敵うとでも!?」
机に両手をつき、俯いたまま叫んだ。
「無茶です! 同盟国から救援を呼ぶべきです! 救助のための軍を! 今から動けば多くの民を逃がすことができます! 過去の例を見ても、あのタイプの魔王が自らの意思で生命を蹂躙した例はほとんどありません! あれはただ災厄を撒き散らし通り過ぎる災害のようなものです! やり過ごせば良い! 通り過ぎるまで何とかして民を避難させ、逃げおおせれば良い! あなたが……お母様が死ぬことなんて無い!」
ポタポタと雫が机に落ちた。
「スカーレット」
ヴィオレットは優しく声を掛ける。
「確かに、あれをただの災害だとして、何とかやり過ごすことができたとして、それまでに一体どれほどの命が失われるの? この国は大陸の果て、海からこの国に向かってくるのなら、この国を越えた先で、いくつの村を、町を、国をあの魔王は蹂躙していくと言うの? どれほどの無辜の命が失われるの?」
子どもを諭すような、優しい声色。それを受けて、スカーレットは頭を抱えて膝から崩れ落ちた。
「それは……でも、それでも、確実に何とかなるわけじゃないんでしよ……そんな、そんな賭けのために……お母様が死んじゃうなんて……」
「馬鹿ね、スカーレット。死んだりなんかしないわよ」
ヴィオレットは、女王の顔から母の顔に戻り、愛娘を優しく抱き締めた。
「死ぬかも知れないことを覚悟しての出陣だけど、死んでやるつもりなんかはないわよ。さっき言ったのは、あくまでもクルエラとしての話よ。お母さんがあなたを置いて簡単にいなくなるわけないじゃない」
そういって優しくスカーレットの頬を撫でる。
「いい? スカーレット。私はね、確かにクルエラとして、この国の女王として、すべてをかけて戦うつもりよ。でもね、私はクルエラである前に、女王である前に、あなたのお母さんなんだから。あなたを泣かせるような事なんてしないわ。死を覚悟して挑まないといけない戦いだけど、それでも私はあなたのところに帰ってくるわ。約束よ」
「やく、そく……?」
「ええ、約束よ。だって私はあなたのお母さんなんですからね。お母さんはね、可愛い可愛い娘のためなら、何だってできちゃうんだもの。だから待ってて、スカーレット。愛しい私の子。お母さんがすっ飛んでいって、あんな魔王なんか吹き飛ばしちゃうんだから」
優しい、そして悲しい、笑顔だった。
精一杯の笑顔。これが今生の別れになるかも知れないのだと、覚悟を決めた笑顔。それでも、眼の前に居る、今腕の中に存在する確かな温かさの為に、その命と、優しい心に報いるために、彼女は笑った。
強い笑顔だった。我が子を守らんとする母の笑顔だ。こんなにも誇らしく頼もしく愛おしいものなのか。これが、これが母なのか。
「だから、だからもう、行ってくるわね」
「これから、どうするの?」
「どうもこうもないわよ。魔王は私が何とかしてみせるから、あなたは民を守って頂戴ね。城からいくらか手勢を出せるようにしておきますから上手く使いなさい」
ヴィオレットはそう言いながらスカーレットの肩を抱き上げて優しく立ち上がらせた。
「何とかって……」
「秘策があるのよ。本当は王位を継承させてから教えようと思ってたんだけどね」
ヴィオレットは鍵のようなものを取り出してスカーレットに渡した。
「これは?」
「鍵ね、西にある遺跡の鍵。私はこれからあそこに向かい、内部に設置された太陽の祭壇を使って儀式魔術を行いレガリアを発動するわ」
「儀式、魔術?」
「王家にのみ伝わるレガリアのさらに上の隠された力を呼び覚ます特別な魔術のことよ。この国では長らく封印されてきたけど、今回その封を解きます。儀式魔術でレガリアの真の力を引き出して、その全力をあの魔王にぶつけるのよ。あの魔王が伝承にある通りのフォルネウスなら、勝てるかどうかは五分五分ってところかしらね」
儀式魔術……レガリアの解放……初めて聞く話だったが、それを使えば単騎であの強大な魔王と五分五分まで持ち込めるなんて、とんでもない技なのは間違いないのだろう。
「じゃあ、私がでていった後は、任せたわね」
「…………はい、ご武運を」
伝えることは伝えたと言わんばかりに立ち上がったヴィオレットは、スカーレットに後を託し、彼女は静かに頷いた。
ヴィオレットはそれに少しムッとした顔になる。
「もう、そうじゃないでしょ?」
母の態度に、少しきょとんとした彼女は、何かに気づいたようにはにかんで言った。
「あ、あの、いってらっしゃい」
「うん、待っててね、私の可愛い。スカーレット」
そう、微笑んで、彼女は飛び出していった。狂気を生み出す魔王の影は広がり続けている。今や、別れを惜しみ猶予すらなかったのだ。
スカーレットもそれを分かっていて、何とか笑って彼女を見送る。
けれど、けれどもこれが、このやりとりが、彼女たち親子の最後の会話になってしまうのだ。
俺は一人唇を噛んだ。
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