第43話 星の無い夜

 先程の光景は何だったのだろうか。そんな疑問が迫るよりも足早に、クルエラ―――スカーレットの記憶は駆け抜けてゆく。

 彼女が十五を超えたあたりから、不穏な空気が漂い始めていた。


 各地から、魔物の目撃情報が増えているとの報告が多く寄せられていたのである。

 最初は少しばかり早く魔物の繁殖期が来たのかと思われていたが違った。それは、日に日に数を増し、ついには村や町が被害を受けたという報告へと変わった。国の騎士団や狩猟ギルド、戦士ギルドなどから人員が派遣され、遂には同盟国への救援要請が出るまでに事態は進行していったのである。


 ―――魔物。魔の、物。人の理解の範疇を超えた悪しき存在。戦うべき敵であり、生存競争を競い合う、一個の命。……いや、あれは命なのか? 生命なのか? 本当に?

 ゴブリンやコボルト、オーガなどの小型の魔物や、ドラゴンやワイバーンなどの中型の魔物は確かに生物で間違いないだろう。彼らは彼らなりに生態系を持ち、営みを行い、そのなかで人々と衝突するだけだ。だが、一部の魔物は違う。神話や伝説の中にのみ現れる、本当の意味での魔物。生物としての枠組みを超えた、超自然的な存在。―――すなわち、魔王。

 知識としては、そう聞いて、知ってはいた。本当に恐ろしい、英雄や勇者と呼ばれる者たち、それか国を守護するレガリアの力によってのみ立ち向かうことができるとされる古の魔物。恐ろしい物たち。

 クルエラッドは魔物たちの氾濫によって滅んだのだと聞かされていた。だが、日々の営みを行う、生きた生物である魔物が、ある日突然国を滅ぼすほど体力に湧いて出るなんてことがあり得るのか? その答えを今、俺は目の当たりにしていた。


 夜。夜がそこにあった。あまりにも大きく、あまりにも高く、天を埋め尽くすそれは海の向こうから現れた。

 真っ黒なその体は、山をいくつも飲み込んでもなお足りないほど、大陸一の平原をまとめて三つ飲み込んでしまうほどに、大きかった。

 海に住む、エイと呼ばれる魚によくにた姿のそれは、信じられないほどの高さに浮かび上がり、空を覆い隠すベールのようにゆっくりと海からクルエラッドの上空へと向かってきていた。

 魔物たちは数が増えて氾濫を起こしたのではなかったのだ。ただ、人間たちよりも野性的な危機察知能力に優れていた彼らは、海から迫るそれにいち早く気づき、逃げていたのだ。

 人々は、それを視界に捉えてから初めて事の重大さに気がついた。

 初めは、雷雲か何かだと思われていた。黒い雲がそう見えているだけだと。しかし、その姿をハッキリと目視できるようになった時、それが一つの巨大な生き物であることに気がついた。

 国中の学者たちが総動員され、過去の文献や伝承をあたりその正体が特定された


 魔王フォルネウス。別名、【星の無い夜】。

 そのあまりにも大きな体から、一度浮上すれば空を覆い尽くし昼を夜に変えてしまうという強大な魔王だ。その恐ろしさから、各地で、太陽と星を司る鳥の神達を全て呑みつくしてしまうから、星も何も無い真っ黒の夜が現れるのだと、そう伝承に残るほどの巨大さだった。見ているだけで震えが来る。なるほどそうか、これが魔王か、これがそうなのか。

 確かにこんなものが迫ってくるのだとすれば、それはもう逃げ出してしまいたくもなる。一斉に巣や縄張りを飛び出して海から逃げようとした魔物たちの気持ちがよく分かった。 俺自身もまた、あくまで記憶の中の光景なのだと分かっていても動けなかった。足がすくんだ。全身が震えた。あれは、あれは本当に人間の敵う相手なのか? あんな、あんなものが魔王なのだとして、今この世界に差し迫る危機というものが、魔王が原因であったのならば、俺はこれからあんなものたちと戦い世界を救わなければならないのか?

 これまではただ漠然と口にしていた世界を滅びの危機から救うという言葉が、その重みが、戦うことになるかもしれない相手を前に恐ろしくリアルにその恐怖を俺に刻み込んでいた。怖い、怖い。逃げ出してしまいたい。それは、記憶の中のスカーレットも同じようだった。


「逃げましょう! 逃げるか、隠れるかするんです! あんなものに人間がかなうわけがありません!」


 王城の会議室で、十七歳のスカーレットは悲痛な叫び声をあげた。椅子に腰かける国の重鎮たちも、仕方がないと言った顔で黙り込んでいる。

 当たり前だ。夜そのものがこちらに向かってきているようなものなのだ。かなうはずがない。あれに追われてきた魔物たちにすら手こずっている現状なのだ。戦ってどうにかするよりも、何とかやり過ごす方法を考えた方がマシである。


「そういうわけには、いかないな……」


 それに異を唱えたのはクルエラ―――ヴィオレットだった。


「王よ! ですが一体どうなさるおつもりなのですか!?」


 スカーレットがそう尋ねるが、ヴィオレットからの答えはない。ただ、いつもの春の日差しのような暖かな笑顔ではなく、全てを焼き尽くす灼熱の太陽のような苛烈な存在感があった。彼女は、重々しく口を開く。


「既に、フォルネウスは上陸を果たしている。奴の生み出した影の領域……星の無い夜に、身をさらした者たちは酷い恐慌状態に陥り、最後には正気を失ってしまっていると聞く。あれがもしこの国全体を覆い尽くすようなことがあれば、この国は終わりだ。太陽の王国が、夜に飲まれて消えることになる。それだけはいけない」


 彼女はそう言って立ち上がった。


「あれはこの国だけではない、この大陸、いやこの世界にとっての恐怖、終わりを意味する夜だ。であればこそ、太陽の王国を名乗る国として、太陽を追う者として、我々はあの夜に立ち向かい、落陽を打ち払い、新たなる日の出を世界に示さねばならない」


 彼女は、力強く、高らかに叫んだ。


太陽クルエラが出るぞ! 真なる夜明けをあの憎き魔王に見せつけてやる!」


 この国の女王が、クルエラが、力強く叫んだ。

 けれど、俺は知っている。この後、この国は……。

 待ち受ける結末を知ったうえで、俺はこの破滅の物語を見届けなければならないのだ。

 もうじきに、夜が、来る。




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 近況ノート更新しました。お気に入り1000件突破ありがとうございます。おまけでトロンのイラストを載せています。

 それと誤字修正を行いました。報告してくださった皆さんありがとうございます。

 今後ともよろしくお願いします。

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