第42話 母と父と
それからしばらく、俺は途切れ途切れに現れる幼き日のクルエラ―――スカーレットと、その母ヴィオレットとの幸せな記憶の中を進んでいた。
スカーレットは天真爛漫で、大輪の花が咲いたように笑う可愛らしい娘だった。時折妙な方向に頭の回った謎の発言をしてはヴィオレットを苦笑いさせていたが―――本当に幸せそうだった。眩しいくらいに。
ヴィオレットは、女王とは思えない性格をしていた。明朗快活でよく泣き、よく笑い、驕ることなく人々に優しく接し、とても女王には見えなかったが、それでも人々を惹きつける確かな人望があった。そこにいるというただそれだけで民に安心を与える力があった。
これがクルエラ、これが太陽を追う者。自らを燃やして灯りとし、大地に住まうものを照らす道を選んだ煤被り―――神鳥クルエラを目指した王家の人間。
厳しくも優しく、ユーモアと知性に溢れ、共に笑いあい過ごす日々。俺には随分と眩しかった。
これが母親なのか、と。これが家族の温かな時間なのか、と。ぼんやりとそんな事を考える。
俺の前世、バルデールの母は、俺を産んでしばらくして流行病で死んでしまった。乳母も、必要最低限のやりとりだけ。七歳だか八歳だかのころから、それまで優しくしてくれていた兄弟たちも俺を無視するようになり、家族というものなんて縁遠いものだった。
今となっては、兄弟たちが急に余所余所しくなったのは、俺の武の才能を見た第一夫人が自分の息子の将来を脅かされると考え、俺を排除しようとしていたのを止めるためだった。と、分かってはいる。いるが、そうだな。それでも家族というものに憧れる気持ちはある。あるのだ。ついぞ俺の手の内に収まることのなかった幸せを。求める気持ちはあるのだった。
今世も、自業自得とは言え俺の身に持って生まれた呪禍を恐れ、この世界での俺の家族は俺を遠ざけた。遠ざけられたまま七つくらいまで生きて、そのまま修道院を騙る人攫いに攫われて娼館へと売られた。
家族など……人並みの、幸せなど……。俺には眩しい。余りにも。
しかし、スカーレットを羨むような気持ちは起こらなかった。それどころか、あまりにも悲しくて見ていられなかった。
なぜならこの後、スカーレットはすべてを失ってしまうのだ。この温かな愛しい日々を。全て、全て失ってしまうのだ。愛する家族も国民も、国も城も何もかもを奪われ、命からがら逃げ延びるのだ。
それはどれほど変えたいと願っても変わることのない過去であり、起こってしまった悲劇で、その果てに今があるのだから。……覚悟を決めなければならない。
辿り巡る記憶の旅は、少しずつ前に、今に、近づいている。
俺はこれから、俺の愛する人が全てを失い打ちのめされ壊れていくさまを前に、何も出来ず眺めるだけの観客となるのだ。記憶の中の彼女がどれだけ絶望し、苦しみ、涙を流していたとしても、俺はその涙を拭ってやれない。俺は隣にいてやれない。これは全てスカーレットが立ち向かい、乗り越えてきた過去なのだから。そこにいない俺は、俺の知るクルエラを信じるしかないのだ。俺の知る、人を嫌いだとのたまうくせに、母親譲りのお人好しで、どうしてもほうっておくことが出来ないあのクルエラを。俺が、ツツジが信じて憧れた、あのクルエラを。
信じて進む。進むのだ。それは今まさに苦しみの中にある彼女のもとに辿り着くため。クルエラならばきっとこの絶望を乗り越えてくれたのだと信じて、今苦しんで、涙を流す彼女の隣に立ち、その涙を拭ってあげるために、進むしかないのだ。
視界がゆがむ。俺の意識を鳥かごの中に入れて、めちゃめちゃに振り回したように全てがぐちゃぐちゃになる。次の記憶へと進むのだ。俺は歯を食いしばり衝撃に備えようとして―――
「がっあぁ!?」
頭に響いた突然の痛みに悶絶した。白く塗りたくられたような記憶と記憶の間の空間が大きくひずみ、白は剥がれ落ちて黒の世界が現れる。
「やあ、いつも君には世話をかけるね……」
新しい記憶。間違いない、次の記憶が始まった。だが、様子が違う。スカーレットの記憶はどれも鮮明で、ただヴィオレットとスカーレットの目元だけが見えなかった。だが、この記憶は酷く不確かで、至る所が滲んでおり判別がつかない。
恐らくは部屋の中、声から察してヴィオレットと思しき人物と、あと一人誰かがいるのがわかった。
「そんなつれないことを言わないでくださいよ。ヴィオ様。ぼくはこれでもあなたの夫なんですから。頼ってくれて良いんですよ」
「助かるよ、ラザロ」
ラザロ。知っている。記憶の中で見た。
ラザロスライド・ウィンメイン・ヴァロッサ。現ヴァロッサ王の弟君で、王家に生まれた男ではあるが、兄よりも後に生まれたことで王位につくことが出来ず、同盟国であったクルエラッド王国の女王ヴィオレットの後夫として嫁いできた男だ。
スカーレットの実父であるアグニ卿が早逝した後やってきたため、スカーレットからは義理の父にあたる人物だ。
他の男達の例に漏れず、小柄で少女のような出で立ち、落ち着いた物腰でおだやかな人物であり、スカーレットもよく懐いていた。
「ヴァロッサからわざわざ来てもらっているのに、君には迷惑をかけている」
「いやなに、分かっていますよ。貴女が亡きアグニ氏を心から愛しておられて、操を捧げられていることは承知しています。あくまで形だけ、国同士のつながりとしての婚姻ですから。気になさらないで下さい」
おかげて城では好きにさせてもらっていますし。そう言ってラザロは笑う。
「そう言ってくれて助かるよラザロ。君には助けられている。娘もよく懐いているようだし」
「スカーレットか……彼女はとても聡明ですね。将来が楽しみになります」
「ああ、それは私もだ。あの子はきっと良いクルエラになる」
自慢げに笑うヴィオレット。
「クルエラ、ね……」
ラザロはしばし考え込んで聞いた。
「世情に疎いので、恥を忍んで聞くのですが」
「なんだい?」
「各国の王は、王の血を引くものだけが使えるレガリアで国を守っているでしょう?」
「そうだな、わが国ではこの王冠になる」
そういって彼女は、自らの頭に手を触れた。そこには真紅の星が三つ連なったようなデザインのティアラのような形の王冠がある。おそらくあれが、クルエラの言っていたクルエラッドのレガリアなのだろう。
「これがどうかしたのか?」
「いや、なんといいますか。それは王家であれば誰でも使えるのですか? 例えば貴女になにかあった時、スカーレットがすぐにそれを使えるのですか?」
「ああ、特別な資格は王家の血筋であることだけだ。触れれば使い方もすぐに理解出来るし、あの子ならきっとすぐにでも使いこなしこの国のために戦えるだろう。……それがどうかしたか?」
「いや、何でもないですよ。ただ、最近は魔物も増えていますから、もしもの時は、と思いましてね」
それを聞いて、ヴィオレットは少しだけ遠くを見つめた。
「なに、どんな魔物が現れようと、クルエラとして、この国に住まう民のために戦う覚悟だが、まだ幼い娘を残して死ぬつもりはないよ」
「そうですか、それはよかった。教えてくれてありがとうございます」
何故だろう。少し嫌な予感が。
「本当に、ありがとうございます……」
穏やかで優しげな彼の微笑みが、どこか酷く不気味なものに思えた。
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