第37話 早すぎた再会

「ちょっとお早いお戻りですね」

「いやあの……すいません」


 足元に広がる底の見えない水面、それ以外は何もない、どこまでも広がる広い空間の中、十八年ぶりに会う彼女は、何とも言えない顔をしていた。

 ここは【境界】、生者の世界と死者の世界の間にある、世界と世界の間の、神々の領域。そして、俺の目の前にいるのは俺をあの世界に送り込んだ冥界の神、デストーリアだ。


「ここにいる、それで、目が見えるってことは……」

「はい、あなたは死にましたです」

「…………そっかぁ……」


 シスター、ラナン・ダラの罠にはまり、ツツジの手によりトドメを刺されそうになっていたクルエラを庇い、俺は死んだ。死んだ、のか。

 俺が死んでしまって、皆は大丈夫だろうか。クルエラは平気だろうか。ツツジは気に病まなければ良いが。いや、それより何より……。


「ごめん! 世界を救ってからここに帰ってくるって言ったのに……世界を救えず死んじまった……」


 約束を守れなかった。世界を救えなかった。その後悔が今になってぐっと俺の心にのしかかってくる。


「…………いや、まだまだバルデール―――バルディンには頑張ってもらうですよ?」

「え?」

「あなたは死んだけれど終わってはいない、生き返るということです」

「ど、どうして?」


 すんとした顔でそう答えるデストーリアに、俺は間の抜けた声で聞き返した。

 俺の慌てる姿を見て、少しだけ満足そうに微笑んだデストーリアは、どこか遠くを眺めながら答える。


「バルディンは十三の祝福を十三の呪禍に反転させ、十三の権能を返上して生まれ変わりましたが、それですべての祝福がなくなったわけでは無いです」

「えっ? でも、デストーリアは十三の祝福って……」

「それは、我様の与えた祝福と権能です。我様以外にも、あなたに祝福を与えた大バカがいたということです」

「俺に……」


 俺に祝福を与えたやつが、他にもいたのか?


「それは、どんな?」

「返生の祝福です。一度だけ、死を無かったことにして蘇ることができるです。使い切りの、一度だけ効果を発動する祝福です」

「返生……そうか、それで」


 どこの誰がはわからないが、その祝福のおかげでどうやら犬死にせずに済んだらしい。助かった。


「その、誰かは分からないが、感謝を伝えておいてくれ、助かったと」

「礼なら自分で言うです」

「え?」

「まあ良いです。それよりも、このまま普通に生き返るだけではマズイです。あなたに伝えることがあってわざわざこの境界で引き止めたのですから」


 俺の疑問をよそに、デストーリアはパチリと指を鳴らし、冥界の水で椅子のような物を創った。


「掛けるです。少し長くなるですよ」


 デストーリアに促され、俺は水の椅子に腰掛けた。ふにふにとした不思議な感覚だ。


「まず最初に、あのシスターは使徒です」

「やっぱりそうか……何か知ってる感じだったもんな。じゃあ、クルエラも?」

「はいです。彼女は、あなたに与えられた権能の一つ、あらゆる真実と、心の内を見抜く瞳の権能、【天心通の神眼】を賜った使徒なのです」

「そうか……」


 デストーリアの言葉に、俺は考え込む。俺の予想は当たっていた。クルエラは使徒だった。しかし、立ちはだかるという話とは少し違うのではないか?


「あなたの疑問は最もです。ですが、立ちはだかるというのは何も戦闘に限った話ではないです。それは立場的な関係であり、何かを為すための障害でもあり、必ずしも戦い殺し合う必要などないですよ」

「……その言い方だとやっぱり、そうなのか? 俺は使徒を倒すんじゃなく……」

「はいです」


 デストーリアは静かに首肯した。


「あなたは、あなたの返上した権能を持つ使徒たちと相対し、時に戦い、時に話し合い、時に協力しつつ―――口説き落として、えっちするです」

「いやちょっとまってくれ思ってたのとだいぶ違う返答が来た」


 え? く、口説き落とす? えっちする? え? 使徒と? 十三人全員と?


「それぞれの権能はそれぞれの祝福……今は呪禍と対になっているです。この権能を持つ使徒たちと心を通わせ、真の意味でお互いに分かり合い、えっちして愛を育むことで、使徒の権能の力を以て呪禍を解除し、本来の力を取り戻すことが出来るです。無論権能は手に入らないですし、呪禍が祝福に転じるわけでもないです。ただ、マイナスがゼロに戻るだけの物と思うですよ。ですので、あなたはこれからあなたの前に立ちはだかる使徒たちをどうにかこうにか口説き落として心を通わせて幸せえっちに持ち込むことで呪いを解いていくですね」

「いやぁちょっと何言ってるか分かんないんですけど……」


 いや、まあ、原理……原理は分からなくもない。うん。つまり、本来対になるはずの権能を持った相手と直接つながることで、権能の力で呪いを解くのだと。うん、そこは分かる。分からなくもない。いや分かってっかなこれ。

 俺が何とも言い難い顔で唸っていると、彼女は静かに続けた。


「これは神々のルールにギリギリ抵触しないようあなたのサポートを考えた結果の措置です。本来であればあなたは呪禍を負ったうえで本来の権能を分散して持つ十三人の使徒とやりあいながら世界を救うことになっていたですが、流石にこれは無理だろうと我様からの支援です。えっちを条件に入れたのは我様からのサービスです。嬉しいですね?」

「いやまあそれは大変ありがたいと存じます……じゃなくて! えっ、俺の呪って解けるの!? 解く方法それなの!? というかその話だと今俺をぶち殺したあのシスターも口説き落としてえっちに持ち込まないといけないの!? 殺されたんだけど!?」

「まあそれも試練ですから」


 デストーリアは優しく微笑む。


「敵対者として出会う使徒、それも、亜神の権能を持つ強大な者たちを相手に、心を絆し、共に寄り添い、心の底から愛し合い、身体を重ねる。そこまでの一連のプロセスを一つの試練として見なすことで、罪への罰として科された呪禍を解くという試練への報酬を認めさせているですから。頑張って何とかするです。ほら、ここから見てた限りだと相当女をたらすのが上手くなったみたいですし、まあなんとかなると思うですよ」

「試練……試練か……」


 彼女の言葉から、彼女が俺を手助けするために苦心してくれたのが分かった。俺なんかのために、ありがたい話だ。

 これからやるべきことの方針は決まった。とにかく不思議な力を持つ使徒を探し出し、何とかして口説き落としてえっちをする。そうして仲間にして一緒に世界を救うために戦うと。改めて言葉にするとどうかと思うが、仕方ない。やるしかないのだ。いろんな意味で。


「それは分かったんだが、戻ってどうすれば良いんだ? 目が見えないからよく分からなかったが、クルエラから何かこう……出てなかったか? 闇みたいな……」

「ああ、彼女ですか……」


 デストーリアは目を伏せた。


「シスターの言っていたことを覚えているですか?」

「絶望と苦難が、力を目覚めさせる?」

「それは、ある意味では事実なのです」


 デストーリアは、淡々と続ける。


「使徒の権能はあまりにも大きな力です。産まれたその時から使えていては混乱をもたらしてしまうです。ですから……」

「絶望と苦難……つまり、本人が強く力を望むことをトリガーに目覚めるのだと?」

「はいです。しかし、絶望と苦難である必要はないです。自分自身を変えたいという願い、何かを為すために強く力を求めること、それが目覚めのきっかけになるです。ですが、彼女は自分が目覚めたその時の体験、そして、彼女が集めた他の使徒たちの境遇から、絶望と苦しみを与えることが使徒の覚醒を促すことだと勘違いをしてしまったのです」

「そんな……」

「あの世界は今危機に瀕しているです。魔物が溢れ、戦争や紛争が各地で起こり、世界は確実に崩壊への道を辿っているです。そんな世界で、力の目覚めとなるような出来事が悲劇しかないことは、ある意味では仕方ないことなのですかね」


 悲しそうに、本当に悲しそうに彼女は呟いた。


「力の覚醒……それじゃあ、あの黒いモヤみたいなのは」

「……無理に力を目覚めさせようとした弊害です。力を目覚めさせるのは、力を求めること、現状を変えようともがく意志、ですが、あまりにも、あまりにも深い絶望は、彼女から立ち上がる意思を奪ったです。力は目覚めることはなく、代わりに深い絶望で制御を失った神の力が彼女から噴出しているです。このままでは、彼女は神の使徒から破滅の死徒へと堕天してしまうです」

「どうにかする方法は……ないのか?」

「無いです」


 その言葉に、俺はぐっと唇を噛み締めた。あんなに苦しんでいるクルエラをどうにかしてやれないなんて……。しかし、デストーリアは続けた。


「………無いですが、あなたに返生の祝福を与えたものから、融通を利かせてやってくれと頼まれているです。ですので、こういった事態限定で使える権能を授けるです」

「ほ、本当か!?」


 なんてことだ、ありがたい。誰かは分からないが、本当に助かる。


「それはどういう権能なんだ?」

「対象の心の内、精神世界へと潜る権能です。あなたはこの力を使い、彼女が壊れてしまう前にその心を救い出してもらうです」

「精神世界に潜る……」


 どうなるのかは分からないが、それでクルエラを救えるのなら迷う必要はない。


「ありがとう、どうやって使えば良い?」

「力を使うことをイメージして対象に触れれば大丈夫です。……ただし、あの状態の精神世界に潜るというのは、家を吹き飛ばすような大嵐の中に裸で飛び込むようなものです。下手をすればあなたも心が壊れてしまう危険な手段だということを忘れないで欲しいです」

「なに、それでクルエラが助けられるかも知れないんなら、なんてことはないさ」


 まだ俺に出来ることがある。それは、ありがたいことだった。


「そうですか」


 デストーリアは俺の顔を見て、静かに微笑んだ。


「それでは気を付けて、次に来る時は、きちんと世界を救ってから来るですよ」

「ああ、行ってくる。待っててくれよ」


 ぎゅっと、彼女と抱きしめ合う。名残惜しいが、俺が世界を救い、人生をやり通してから、また会いに来るまでの別れだ。俺は、彼女から離れて現世の事を思った。

 体が薄く透けていき、魂が現世の体に引き寄せられていくのが分かった。

 さあ、復活の時だ。


「あ、そうです。貴方はもう既に一つ呪禍を解いていますよ」

「えっあっえっ何て?」


 今ものすごい重要なことを言わなかったか? 詳しく話を聞きたかったが、俺の体はそのまま薄くなり、境界の彼方へと消えていった。

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