第36話 再演

「おい! クルエラ! しっかりしろ! おい!」


 部屋の中は暗く、俺の目ではほとんど見えない。だが、このクルエラの反応、そして彼女を抱きかかえた時に感じた熱と塗れた感覚。間違いない。背中から刺されている。やったのは他でもない―――ツツジだ。


「何を……何をやってんだよ!」


 ナイフを握りしめたまま、石像のように固まって動かない彼女は、虚ろな目でじっとクルエラを見つめていた。


「そこまで彼女を―――責めるものではありませんよ―――なにせ彼女は―――」

「分かってるよ! 黙ってろクソ! 契約魔術だろ!!」

「へえ―――」


 よくわかったなと言わんばかりに、シスターは頷いた。


 目を合わせることで心を読むクルエラを罠にはめるのは難しい。目を合わせると心を読めるという能力を知っていたとしても、彼女と目を合わせるのを露骨に避けるわけには行かない。疑り深く、用心深いクルエラは、どんなにさりげなく目を逸らしたとしても、自分の目を見ようとしないことに違和感を覚え、そうした時点で警戒をされるだろう。クルエラは卓越した女傑だ。知略に優れ、二手三手先を読み行動する。そんな彼女に警戒されては迂闊に行動できない。

 だから、だからツツジを利用した。彼女の持つ紋章魔術の高い適正、それにより行使される、契約魔術を。


「心を読めるクルエラの懐にもぐり込むことは不可能だ。クルエラはどんな人間であっても必ず一度面会をする、今思えばそれはクルエラの能力発動のため、自らの居城に立ち入る人間の心の内を探るためだ。そうなれば、どれほどの計画があろうとその瞬間に総て露呈する……無論彼女との面会の際も最大限警戒され、そこで何かするのも難しい……どうあっても心を読まれるのは避けようがない。それを避けようとした時点で敵確定何だからな……だからお前はツツジの契約魔術に目をつけたんだ……それでこんな、こんなに酷いことを! お前!」

「あら―――あら―――あら―――」


 シスターは感心したように笑った。


「ただの娼夫だと思っていましたが―――存外に頭が回りますのね―――」


 どうやら、俺の思った通り、考えうる限り最悪の予想が当たってしまったらしい。

 心を読むという力は、無敵の力だ。恐ろしい力。これを打ち破るのは困難を極めるだろう。だが、自分自身で直接対峙するわけでないのなら、やりようはある。一つは、嘘の情報を信じ込ませた人間を送り込むこと。心を見抜けても、その相手が真実だと信じる虚構は見抜けない。この対策としてクルエラは裏取りを重視していた。どれほど裏取りをしても、そのすべてが虚構ならば意味はないが、それをするには手間がかかりすぎる。

 もう一つの方法、理論的には最適解だが、技術的に不可能な方法。けれど、ツツジの契約魔術があれば実現できてしまう方法。それは―――


「ツツジの記憶を消したな……! お前と、お前の存在、今回の計画に辿り着きうる全ての記憶を消して、クルエラと引き合わせた……!」

「よく分かりましたわね―――ええ―――そうですわ―――ツツジちゃんは本当にいい仕事をしてくれましたの―――」

「何が! 何がいい仕事だ!」


 俺は激怒した。簡単な治癒魔術なら使えるというトロンにクルエラを任せ、立ち上がってシスターを睨みつける。


「分かってたんだろう! お前は! 分かってなきゃ試す意味がないからな! お前は! お前はツツジの願望を! 憧れを! その心を! 分かっていてけしかけたんだ! ツツジがお前に関する記憶を消して! この世界に来たばかりの頃と同じような状態に戻ってからクルエラに会えば! きっとクルエラに憧れを抱き! クルエラのそばで役に立とうとするだろうと! そんなツツジの心の内を! まっすぐに自分の事を信頼してついてくるツツジにクルエラが絆されることを! 分かった上でやったんだろう!!」


 ギュウッと拳を握りしめる。叫んでいなけりゃあ噛み締めたその力で奥歯が砕けてしまいそうなほどの怒りが、俺の全身を駆け抜けていた。


「そしてお前は! クルエラが、クルエラッドのレガリアを取り返しに来る、この重要なタイミングで、王宮への登城に同伴を許すほど! 俺を待つ間二人だけで行動するほどにクルエラがツツジに心を許していることを確認した上で! ツツジの記憶を戻してクルエラを刺させた! 心が読めたって、心を許しきった相手の心をこの緊急時に読みには行かない、読みに行ったとしてもツツジの頭の中は急に蘇った記憶でグチャグチャだ! 読めはしない! そうして必ず生まれるその隙をついてクルエラを刺したんだろ!! どうして、どうしてこんな酷いことが出来るんだよ!! 心の底から信頼してた奴に刺されるなんて! 心の底から敬愛して、憧れてた人をその手で刺させるなんて!! なんで! なんでこんなことか!!!」


 叫びすぎて喉が裂けたのか、。俺はむせ返りゴホゴホと咳をした。そんな俺を見ながらシスターは、ゆっくりと答える。


「そうですね―――悲しいことですわ―――ですが」


 ニッコリと、何の迷いもためらいも持ち合わせては居ないであろう屈託のない笑顔で、


「これは仕方のない犠牲ですのよ」

「あぁ!?」


 思わずシスターに食って掛かるが、大柄なシスターの長い腕に俺の首根っこを掴まれ、俺は片腕でぎりぎりと宙に持ち上げられた。


「が、あっ……」

「世界は今―――大きな危機に瀕していますの―――」


 信じられない力だ。確かにシスターは体格がよく、その長い腕には相当な力があるだろう、だが、いくら軽いとは言え成人男性を片腕で、それも腕をまっすぐ横に伸ばした状態で持ち上げ、疲れるどころか顔色一つ変わっていない。やはりこいつは、ただのシスターではない。


「世界を救うには―――皆が力を合わせなければ―――でもそれは不可能ですの―――ですから特別な力を持った一部のものが―――正しくその力を使うことで―――皆の代わりに世界を救うのですよ」

「あ……ぃを……いっ……え」

「バルディン! クソ……! シスター! 気でも違えたか!!」


 クルエラに治癒魔術を使っていたトロンが、俺の様子に気づきシスターに殴りかかる。だが、シスターは迷いなく俺の体をトロン目掛けて投げつけた


「なっ!?」

「甘いですわ―――ね」


 飛んできた俺に驚いたトロンは、とっさに構えて俺を受け止めるが、シスターの信じられない膂力で放り投げられた俺を受け止めきれず、二人一緒に壁まで吹き飛ばされ叩きつけられた。


「大丈夫、か……バル、ディン」

「俺は、大丈夫、だ。お、前は?」


 トロンは俺を庇い壁と俺との間に入っていたため、相当のダメージを受けたようだった。


「ふん……野暮なことを、聞くな、たわけめ」


 トロンは強がって言うが、相当厳しいようだった。


「まだ、戦える……それより、クルエラ氏がまずいぞ。止血して傷を塞いだが、目を覚まさない……意識はあるようなんだが、眠っているようにうわ言を言うだけで反応がない。解毒の魔術もかけたが、何らかの呪いを受けたのかも知れない」

「呪!?」


 いや、だが、あり得る。あのクルエラがナイフで刺されたくらいで倒れるとは思えない。呪の類をかけられたのであれば理解は出来る。


「呪など―――かけてはおりませんわ」


 俺を軽々と壁に叩きつけたシスターが、何事もなかったかのような優しい声色で応えた。


「彼女は―――特別な力を持つ存在―――けれど―――その力を世界のために使おうとはしていない―――これは―――大悪ですわ」

「大悪……?」


 シスターは、不敵に笑う。


「だからこそ―――真なる目覚めを―――力の覚醒を―――その罪に穢れた魂の贖罪を」

「なにを……訳のわかんねえことを……」


 ふらつく身体にむちをうち、なんとか立ち上がる。


「彼女は使徒―――選ばれし存在―――だからこそ―――深い深い絶望と狂気が―――その真なる力を呼び起こすのです」

「使徒!?」


 クルエラが? やはり、やはりそうなのか? いや、だが、何故使徒のことをコイツが知っている?


「使徒の力は―――絶望と狂気の中―――それを打ち破るために最初の目覚めを迎えますの―――かつて国が滅んだ時―――最も信頼していた人間が―――最も愛した母親を殺した時に―――彼女は最初の目覚めを得たように―――」


 俺の疑問をよそに、シスターはゆっくりと歩みを進める。クルエラとツツジの方へと。


「その再演を―――ここに―――」


 シスターが指を鳴らすと、動かなかったツツジが動き始めた。全身はガクガクと震え、その表情に乏しい顔から、大粒の涙を零しながら、彼女はクルエラの前で、もう一度ナイフを構えた。


「や、やめろ! やめさせろ……っ!!!」


 俺は弾かれたように走り出した。全身はボロボロで、足を踏み出すたびに全身が悲鳴を上げたが、それでも。


「たわけ! 何をするつもりだ!! おい!!!」


 トロンの声を背中に受けながら、俺は覆いかぶさるようにクルエラの上に飛び乗った。

 瞬間、背中に重い衝撃。焼けた鉄を突っ込まれているかのように、背中が熱くなる。


「バル、ディン……? ツツ、ジ……?」


 ただでさえまともに見えないのに、更に霞んでいく視界の中、困惑し、怯えきった目のクルエラが写る。ああ、なんてタイミングで目を覚ますんだ。違うよ、違うんだ。あの子のせいじゃないんだよ、クルエラ、お願いだ、俺の目を見てくれ。俺の目を見て、俺、の、心……を……。


「信じた者に裏切られ―――愛した者を目の前で奪われる―――一度目の目覚めの再演を―――二度目の目覚めをここに―――真なる覚醒をここに―――!」


 俺が最期に感じ取ったのは、クルエラの声にならない叫びと、彼女の身体から吹き出す漆黒の闇だった。

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