第35話 正義の使徒
「この世界は今―――窮地に立たされていますの―――」
階段を下りながら、シスターは口を開く。気に食わない。こいつが一方的に余のことを知っていることも、これが間違いなく罠だと分かっていても後をついていくしかないことも、余の能力を理解しているのか余と決して目を合わせようとしないところも、総てが気に食わない。あと喋り方も無意味に冗長で腹が立つ。
「各地の魔物達の増加―――多数の伏魔殿の出現―――異常気象をはじめとする災害の増加―――支配階級の腐敗―――世界各地で起こる内乱に戦争―――枚挙すれば暇はありませんの―――」
知っている、そんなことは。百も承知だ。当たり前だろう。余の娼館には各地から権力や財力を持つ者たちが集まり、こういった場だからと油断して、娼夫たちにベラベラと不満を漏らすのだ。余はそういった場での愚痴を娼夫たちに報告させ、世界各地の情報を集めている。弱みに付け込んで取り入り、子飼いとした貴族たちも世界中におり、そこからの情報もある。
知っているのだ、世界が危ないということは。だからこそ、バルディンの突拍子もない話しも信用したのだ。余の力は目を合わせた者の考えていることを読み取る力、その相手が狂っていた場合や、嘘の情報を真実として教えられていた場合など、弱点は多い。だからこそ裏取りや調査を入念に行い判断している。その余が信じるほど、バルディンの言葉には説得力があった。今この世界は危機に瀕している。
だからこそ、余は急いでいるのだ。王のレガリアは奇跡の力。国防の要なのだから。レガリアを回収し、クルエラッドの正統な王であることを宣言し、国家を立て直し、民を守る体制を整える。それを急務とし行動している。
分かりきったことを抜かすなよ、その言葉を余は静かに飲み込んだ。
「ですが―――誰もそれを深くは―――受け止めておりません―――誰もがどこか他人事―――確かに降りかかるこの厄災に対して―――あまりにも悠長です―――」
それがどうしたのだ。何故この女は決まりきったことばかりを話す? 余は静かに苛立ちを募らせている。余を苛立たせるためにこうしているのかと思うほどだ。
「ですが私は―――天啓を得たのです―――」
階段を降りきった先、厳かな造りの扉の前でシスターは立ち止まった。ゆっくりとこちらを振り返る。
「この世界を救うため―――英雄が―――救世主が降臨するのです―――けれど―――その救世主は死んだ後重い罪を犯し―――救世主たる証―――神の祝福と権能を奪われ呪われてこの世界に降り立ったのです―――」
待て、今の話は、聞いた、聞いたぞ。バルディンの口から聞いた話とよく似ている。奴は確か、世界を救うために女神に送り込まれたと、その際罪を犯し、与えられるはずの祝福と健康を失い呪いを受けて産まれてきたのだと言っていた。つまり、この女の話す英雄……救世主とはバルディンのことだということか? 救世主は男で、しかも全身に呪いを受けた娼夫だと?
馬鹿げた話だ。馬鹿げた話ではあるが、あの正直者のバルディンと、バルディンとは一切面識のないはずのこの女が、全く同じ話をしているのは事実。つまり、この話は真実なのだ。信じがたい話ではあるが、この世界は本当に滅ぶ寸前にあり、それを救うために神から遣わされた救世主は男で呪われていて娼夫だと言うことだ。
「それだと、世界はこのまま滅びを待つばかりに聞こえるが?」
余が聞き返すと、シスターは、不気味に笑う。
「いいえ? ―――違うのです―――違うのですよスカーレット王女殿下―――真なる天啓はこのあと―――」
また、その名を口にする。余は静かに怒りを募らせた。余はクルエラだ。クルエラなのだ。クルエラッド王国の正統なる王、女王クルエラである。
怒りを内に宿す余を尻目に、シスターは感極まったように続けた。
「祝福は呪禍へと変じました―――では権能は―――? 神が救世主に与えるはずだった―――神に次ぐ―――亜神の権能は、どこに?」
シスターは、扉に手をかけた。
「使徒です―――神の手によって選ばれし十三人の使徒。彼女たちが一つずつ救世主が手放した権能を―――絶対の力を有しているのです」
ぐぐぐと力を入れて扉が開かれる。暗い部屋だが、誰かが部屋の真ん中に立っているようだった。
目を凝らしてみると、その女は力なく項垂れており、立っているのではなく柱に縛られていると分かった。一体誰が―――
「つ、ツツジ!?」
馬鹿な! ありえない、つい先程までツツジは余の後ろをついてきていたはずだ。いつの間に先に部屋に? それよりもなぜ縛られている? シスターの手によるものか? 一体何故?
余は部屋の真ん中のツツジのもとへと駆け寄り、彼女の拘束を解いた。
「おい、しっかりするのだツツジ! 一体何があった!」
ツツジを強く揺さぶるが、反応はない。うつろな目のまま、どこか遠くを見つめている。ほうけているのかと思ったが、目の焦点は定まっている。一体何を見つめているのか。余はその視線をたどり後ろを振り向いた。
シスターが、パチパチと拍手しながら笑っていた。
「強大な力を持つものは―――その力を正しいことに使うべきなのです―――皆のため―――世界のためにね―――」
ドンッ、と、後ろからぶつかる何か。それが何かを確認するよりも早く、じんわりと背中のあたりが熱くなるのが分かる。
身を捩り、後ろを見ると、そこには血に塗れたナイフを持ったツツジが立っていた。
「貴女に言っているのですよ―――スカーレット―――いえ―――第五の使徒」
「なぁにやってんだァお前ェ!!!」
不敵に笑うシスターの向こう、血相を変えて余の名を叫びながら飛び込んでくるバルディンの姿をぼんやりと眺めながら、余は、膝から崩れ落ちた。
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