第33話 夜が、来る
「あー、完全に忘れてたな……」
俺はパシッと額に手を当てて項垂れた。いや、まさかこんな大事なことを忘れてしまうとは。我ながら流石にどうなのかと思う。このために来たはずなのに。いつの間にやらみんなとエッチするために来たみたいになってしまっていた。ああいやある意味ではその目的も大いにあったのだけれども。それはあくまでおまけというかサブミッションというか本題ではないわけで。いやあ本当にひどい。というかこれ待たせすぎてしまっているのでは? こんな所でくつろいでいる暇はないのでは? 正直もう今日は泊まりでクラーラ達とイチャイチャしながらなたいと思っていたがそんなわけにもいかないよなうんそりゃそうだよな当たり前だよな。そもそも男たちを使い物にならなくしてしまうとかいう恐ろしい噂の立ってる女のところに行って六時間くらい帰ってこないのはどう考えても心配させてるよねこれ参ったわどうしよう。
「あ、あの、どうかしたの?」
俺が急に唸りだしたので、俺を膝の上に抱いていたクラーラが心配そうに上から覗き込んできた。
「ああうん、実はな……」
◆ ◆ ◆ ◆
「ええっ、クルエラ殿って本当にあのクルエラだったの!?」
「な、何言ってんのローちゃん?」
俺が思わず聞き返すと、ああいやそうじゃなくて……とローちゃんは言い直した。
「クルエラは、かつて栄えていたクルエラッド王国の女王の呼び名なんだ。あそこの女王は代々クルエラという称号を受け継ぐんだ。クルエラッドという国の名も、確かあの国の古い言葉で「クルエラの巣」とか、そういう意味の言葉なんだよ」
「そうなのか……」
ローちゃんの言葉に、俺はしばし考え込んだ。
「じゃ、じゃあクルエラってもしかして……」
「ああうん、滅んだ国の女王の称号を勝手に名乗って娼館経営してるヤバい奴って認識だけど……」
「そりゃあヤバイ奴だな」
俺はゴクリとツバを飲み込んだ。事情を知らなければ俺もヤベえ奴としか思わないだろう。魔物の襲撃て王家が断絶し解体された国の女王の称号を勝手に名乗る女がとんでもない規模の娼館を経営していて王国の内部にも深く潜り込んでいて王宮にまで立ち入ってくるとか怖すぎる。
「成程な、王家は断絶したと聞いていたが、国が滅んだあの魔物の襲撃の際にレガリアを紛失していたのか。王家の血の証明は王のレガリアによってのみ行われる。レガリアがなければ正統な王家であることも主張出来ず、王家断絶の噂に対して反抗することも出来なかったわけか……」
ローちゃんは流石は騎士団長というべきか、俺の説明からある程度の事情を察したらしい。
「いやだがしかし、流石にクルエラの名を堂々と名乗るのはともかくそれで娼館経営を大体的にやるのはどうなんだ? 確かにただならぬ雰囲気だったし、並の出自ではないとは思っていたが、女王を名乗って娼館経営するやつが本気の本気で女王でしたなんて分かるわけ無いだろ……いや、それが狙いなのか? 堂々と名乗りつつも信じられないから結果的に身を隠して……? うーん……」
ローちゃんはすっかり頭を抱えて唸り始めてしまった。まあ確かにそのあたりは俺も思っていたところだが、結果的に王国内部の中枢部に発言権を得て、こうして俺を王宮に送り込む所まで来ているので天才の考えることは分からないが。
「まあ、そういうわけでクルエラは失われたクルエラッド王国のレガリアを探してるんだよ。それで、つい最近そのレガリア……紅星の冠らしきものが王宮に献上されたって聞いて、クルエラは王宮内を調べてたみたいなんだ。それで、どうやら本当に本物のレガリアが王宮にあるみたいだと気づいたらしくて……」
「私のところにバルディンをよこした、ってこと、だね」
クラーラはギュウッと俺を強く抱きしめた。少しばかりの震えが伝わってくる。
「ああ、違う。違うって」
俺は後ろから回されたクラーラの腕をそっと掴んだ。
「確かに俺がここに来た直接の原因はクルエラの指示だけどさ、俺はクラーラに会いに来たんだよ。俺は密偵でも何でもないただの娼夫だからね。実際この事を今の今まで忘れちゃってたわけだし……」
嫌でもやっぱり忘れるのは駄目だよな……。あんまり良くない気がする。俺がそんなふうに考えてションボリしていると、クラーラはふふと微笑んで俺を優しく抱きしめて静かに頬ずりをした。
「大丈夫、分かってるよ。バルディンがその、クルエラさんって人のこと、大切に想ってるんだなって思って、ちょっといじわるしちゃった」
ふふふ、と少し気恥ずかしそうに笑うクラーラ。うーん、可愛い。こんなに可愛いのにクール系の顔をしているからと世間では氷の美姫だの冷徹な氷姫だのと言われているのか。見る目がないのかクラーラが表では頑張って演技をしているからか。なにはともあれやられっぱなしというのも癪だ。俺はにやっと笑ってから唇を尖らせた。
「あークラーラそういうことするんだーふーんそっかそっかー……」
「あっ、ば、バルディン? 違うよ? そ、そんなつもりなくて……」
ふふふ、慌ててる慌ててる。慌ててるところも大変可愛い。このまま何でも聞いてくれそうな勢いなのでドサクサに紛れてチュウしたりオッパイ触ったりしてやる。
「コラッこのたわけ! 姫様で遊ぶな!」
「あいて! 殴ることはないだろ殴ることは……」
「軽く小突いただけだ、まったく……姫様気になさらないで下さい。このたわけは慌てる姫様が可愛らしいのでからかってるだけです。そしてそのまま流れでチュウしたりオッパイを触ろうとしていたのですコイツは」
「えっなんでわかるの怖……」
気が合うとかいうレベルじゃなくない? 俺の行動完全に読まれてない?
俺が恐怖に震えていると、トロンはいじけたようにズレた眼鏡を直した。
「全く……そういうことがしたいなら素直に言えばいくらでもやってやるのに……このたわけめ……」
「トロン?」
「何でもない」
すべて聞こえているがあえて聞こえないふりで聞き返すと、トロンはぷいっと向こうを向いた。えっ可愛い。
「全く……そういうことなら横から口を出さずにそのまま見ていてくれればよかったのに……」
「あれっ? 姫様?」
「何でもありません、ふふふ……」
「えっ、ええっ姫様ァ!? わ、私は良かれと思ってェ!」
「ふふふふふ……」
クラーラもトロンをからかって遊んでいた。可愛い。なんだこの空間。
こういう姿を見ていると、この人たちは本当に仲の良い人たちなんだなとわかる。殿下からは王宮は策謀渦巻く恐ろしいところだと聞いていたから、この人たちがこうして幸せそうにしているのを見るのは気分が良かった。
「こほん、まあそれはそれとして、だ。結局のところどうなんだ? クルエラが調べた話だと、クラーラがそのレガリアを持ってるって話だったんだけど」
話を戻すと、クラーラは俺を抱きしめたまま頷いた。
「うん、ちょっと前に献上されて、使い道もないからとりあえずそのままにしてあるんだけど……持っていってもいいよ?」
「えっいいのか!?」
俺は驚いて聞き返すが、彼女は優しく微笑み返した。
「元々レガリアはその王族にしか扱えないから、私が持ってても仕方ないし、それでバルディンが喜んでくれるなら、いいよ?」
「それは……いや、うん。ありがとう。助かるよ」
素直に礼を告げると、クラーラはそっと自分のお腹を撫でた。
「いいよ、その、バルディンにはもっと大事なものを貰ったし」
「お、おう……そ、そうだな」
そうだ、先程のえっちは、普段の俺の仕事とは違う。性処理としての奉仕ではなく、子供を作るための行為だったのだ。その事実に、思わず赤面する。
「その、出来てなかったらいつでも言ってくれよ。クラーラのお願いなら、いつでもすっ飛んで来るからさ」
「そう言われると、出来てて欲しいような、そうでないような……」
そういって彼女は困ったように笑う。あっ駄目。駄目だ。愛しさが込み上げてくる。出会ってからまだ一日と経っていない間柄だが、俺はどうしようもなくチョロい男なので愛しさで変になりそうだった。
そんな俺たちを見てトロンは「姫様……」と感極まって涙ぐんでるし、コロンは後ろの方で静かに目をつむりしきりに頷いていた。男性を怖がっていたクラーラが俺とそういう関係になったことが嬉しいのだろう。やっぱり良い仲の三人だ。……若干ローちゃんが疎外感を感じているような気がしなくもないが、まあローちゃんも良い人だからすぐに馴染んでいくだろう。
と、そのローちゃんが口を開いた。
「しかし妙だよな……」
「何が?」
「ああいや、異世界から召喚されたというツツジ殿は、今はクルエラ殿に仕えているんだろう?」
「うん、それがどうかしたか?」
「いや、だから妙だと思ってな」
ローちゃん、バラント団長は、しばし言葉を選んだ後に、信じられない一言を放った。
「あれを献上したのはツツジ殿だぞ」
もうじきに、夜が、来る。
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