第29話 職業病

「よし、そろそろ王女様が恥ずかしそうだしやめとくか。ちょっとはしゃぎ過ぎたわ」


 ひとしきり王女様をヨイショしまくった俺は、パンパンと手を叩いて椅子に座った。


「いやあ楽しかったですね姫様、これ定期的にやります?」

「やめ、やめて……」

「あら~、恥ずかしがる姫様も素敵でしたよ~?」

「素敵とかじゃないから……」


 トロンとコロンが仲睦まじく王女様と話をしている。先程までの重苦しい空気は払拭できたようだ。


「うーん……今の話お目付け役としては……でも彼女たちの気持ちも分かるし……うーん……うーんんん……」


 いや、弱冠一名まだ唸っている人がいた。俺はよっこら椅子から飛び降り、さささっと団長のそばに近寄って耳元で囁く。


「ままま、そんなに気にしちゃよくないよ。真面目なところはいいことだけど、仕事と感情とで板挟みになって悩むことはないって。何も聞かなかった。それでいいんじゃない? ね、

「う、うむむ……むむむむむ…………」


 俺の悪魔の囁きにローちゃんの口元がへの字にひん曲がる。悩んでいる悩んでいる。もう少し後押しすればこちらに転がりそうである。彼女には悪いが、ここはひとつ彼女に折れてもらおう。


「大丈夫だって、別に悪いことをしているわけじゃないし、最初に言い出したのはこちらかもしれないけど、今外で噂話をして男たちをこちらに向けてこないのは全部向こうの判断だろ? 王女様は何も法に触れることもしてないし相手がいないのもほかの家が男を出さないからであって彼女の責任じゃないよな? だったら何も悪いことなんてしてないんだし、優しい優しいローちゃんが胸を痛めてまで報告を上げるようなことなんて何にもないじゃない? どうかな? ね?」

「う、ううん。まあ確かに? 誰かを怪我させたわけでも違法な手を使ったわけでもないし? うん、そうだな。報告しなきゃいけないことなんてなかったし、私は何も聞いてないな、うん!」


 落ちたな。俺はにっこりと笑ってローちゃんにひしと抱き着いた。


「ありがとうローちゃん! やっぱりローちゃんは優しいね、次来てくれた時はサービスするよ」

「え? いいの? いやぁ悪いな……何してもらっちゃおうか考えとかないと……」


 ローちゃんは真面目で善良で立派な人物だが、その善良さゆえに、同情の余地がある王女相手にどういうスタンスを取るべきか測りかねていたようだが、要は最後の決断をさせる何かが欲しかったのだ。親しい間柄にある俺が、情に訴えつつ逃げ道になるような屁理屈をこね上げてやれば、ローちゃんはころっと転がってくれた。

 基本的にお人よしなのだ。できる事なら誰にもつらい思いをしてほしくないと思っている優しい人なのだ。今回の件についても、跡継ぎを産んでくれないことについて王家は頭を抱えるだろうが、上の姉二人もいるし、うち一人は内政を担当している。戦死してしまって断絶ということも考えにくいだろうし、どうにもならないほど困る、というようなことでもない。まあ確実に困りはするのだが。手を尽くせばどうとでもなる範囲だし、お人よしの彼女がこれらを天秤にかけた時どうなるか、ということである。つりあっている天秤を多少手で引いてやったが大切なのは彼女の意思で決めてくれたということだ。自分で決めたことに対して彼女は真摯で実直だ。彼女がこの件を口外することはないだろう。

 そんなわけで彼女への感謝を含めいつも通り抱きしめてよしよししていたのだが。


「――――――え?」


 そうだった。ここは娼館じゃないのでした。

 直接的にやばいことはしていないが、薄着の男が女に抱き着いて抱きしめてよしよしと撫でるのは非常に危険な行為である。まず間違いなくただならない関係ですよと言ってしまっているようなものだ。


「あ、あ、あ、ど、どういう、関係で……?」

「あーいや、その、これは」


 まずい、目が見えなくても王女様がものすごい顔をしているのがわかる。なんなら隣のトロンとコロンもすごい顔で固まっている。

 ち、ちが、ちがう、違うんです。そういう、そういうあれではないんです。他意はないというか。職業病というか。特別な地位も力もない、その上呪われていて一般的に忌避される立場にある俺が生き抜いてくるためには、こうやって味方に引き込めそうな人は速攻で引き込んで、迷いや後悔で決断が揺らがないよう相手の喜びそうなことをやって満足させたりっていうのは息を吐くようにやってしまうんです。本当なんですお願いです信じてください。


「き、きき、貴様らどういうことだこれはァ! いや、確かにさっき貴様はとんでもないスケベだと自白してはいたが! いたがだな! この空気で状況で王女様でも私たちでもなくそちらの騎士団長にいくのはどういうことなんだこのたわけェ!! というかどういう関係なんだよ貴様ら! 絶対初対面ではないだろう!!」


 固まっていたトロンが顔を真っ赤にして詰め寄ってくる。


「い、いやあそんな変な関係じゃないんだけど……客と娼夫の関係っていうか……お得意様っていうか……」

「きゃ、客ゥ!? お得意様ァ!?」


 トロンは俺の胸ぐらをつかんだまま、俺とローちゃんの顔を交互に四度見くらいした。訂正、今六度見になった。


「まっ、マジかァ!? マジなのかバラント団長貴様ァ!? いかにも真面目な仕事人間みたいな面しといてやることやりまくってんじゃねェかよォ!!」

「や、やることやってるとはなんだやることやってるとは!! 私はいつ死んでもおかしくない前線に立つ騎士だぞ!? 叙される前に娼館で処女捨てるくらいやるだろ!?」

「処女捨てるくらいって……ま、まさか貴様その頃から!? その頃からずっとバルディンのところに通っているのか!? ええ!?」

「いやぁつ、ま、そ、―――そうだが!? 何か問題でもあるか!? わたしはちゃんと自分で稼いだ金でバルディンを買って夜を共にしてきただけだ!!」

「えええええええマジかこいつマジかァ!? おい嘘だろ貴様私だってこの歳になっていまだに処女なんだぞッ! 王宮には偉い家の男しかいないから出会いもないし仕事柄娼館にも行けないし姫様の件で男自体嫌になってたからなんかもうそういう気分でもなくなってきてたし!」

「なら問題ないだろ!?」

「あるわ!! 問題あるわ!! 女だぞ!? 性欲とかもうすごいんだぞ!? でもどうしようもないから一人さみしく慰めてんだろうが! だってのに同じ王宮勤めの貴様は男とやりまくりかよおかしいだろ!!」

「やりまくりじゃないわ! バルディンくんは行くたびに人気が上がっててどんどん指名料が上がっていっててもう今じゃ給金の半分以上を持っていかれてるんだ! 月一でしか通えないのにそんなに持ってかれるんだぞ!? でもちゃんと自分で稼いだ金で買ってる!! 誰かに非難されるいわれなどない! ないぞ!! ……え? ないよな?」

「ないから、大丈夫だから。落ち着いてよ二人とも……」


 あまりにもひどい喧嘩である。思わず両手で顔を抑えてうなだれる。いい歳した大人の女の人の会話とは思えない。まあでも貞操観念が逆転していると考えれば仕事柄童貞捨てる機会無く悶々と仕事してたら新しく配属された真面目そうな騎士が娼館で美女とやりまくっていたという状況になるのだからこれくらいの喧嘩……いややっぱりない。男だったとしても酷い。


「ええいバルディン! 貴様も貴様だこの大たわけのヤリチン男め!! ほかの男とは違うなって! ちょっといいかもなって思ってたのに!! この淫売!!」

「え、泣いてる!? ご、ごめん! ごめんって!! でも俺はそもそも娼夫なんだからヤリチンの淫売なのは職業柄仕方なくないかなぁ!?」

「うわあああ知らん知らん知らんぞたわけェ!! こんなのおかしい! 間違ってる!! 軟弱なだけの他の男と違ってちゃん鍛えているし! 目が見えない体でも物おじせず堂々としているし! 自分の恥ずかしいことも全部喋ったうえで姫様のことを考えて身を引けるし! 私が自害しようとしたら真っ先に刃を握りこんで止めるくらいの優しくて熱い男だなって思ってたのに!! 何なんだよ貴様はァ!! 私のときめき返せよォ!! うわあああああん!」

「えっと、その、ごめん。ほんとごめん。悪かったよ……」


 特に何か悪いことをしたつもりはない。ないのだが、トロンの心を傷つけてしまったようだ。座り込んで泣き出してしまったトロンを抱きしめて謝る。しょうがないじゃないか俺だってやれることを必死にやり切ってるだけなんだからと言い訳をしたい気分だが、そんなことをしたって仕方ない。こういう時はもう謝るしかないのだ。


「うう……触るなァ……不潔だァ……商売男めェ……」


 困った……困ってしまった……わんわんわわーんと泣き出したいのは俺の方だった。正直言うと俺とローちゃんの関係を嫉妬して泣いてしまうくらいトロンが俺のことを気に入っていたというのはものすごく驚きだし、正直ものすごくうれしいのだ。場所が場所じゃなければこのまま優しく諭してベッドインまでこぎつけてしまいたいくらいの気持ちだが、そんなことをすれば更にこの地獄の修羅場は加速してしまうだろう。さすがの俺にだってそれくらいのことはわかる。

 というか今こうしてトロンをなだめているが、これをやるとそれはそれでローちゃんも心配である。まあ彼女はとてもやさしいからトロンのこんな姿を見てしまった以上さっきみたいに嚙みつくことはないだろうが、何かしらのケアは必要だ。いやでもケアって言っても俺のやり方は娼夫のやり方なのでこの場合さらに話がこじれないか? 職業病にしてもひどすぎる。俺は自分のふがいなさを呪った。

 残る二人も気になる。コロンは多分大丈夫だとして、王女様の反応はどうか? さっきから黙りこくってしまっているが、嫌な予感がする。

 俺はちらと彼女の様子をうかがう。はっきりと目が見えなくとも、その姿をぼんやりとでも見れば状況くらいは……。


「え? な、泣いてる?」


 まずい。修羅場が止まらない。

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