第24話 信じて、頼る

 余は、男が嫌いだ。ナヨナヨしていて頼りがないし、チビで、やせっぽちで、何もできない種馬だ。

 余は、女が嫌いだ。ガツガツしていて品がないし、どいつもこいつも自分の欲に忠実で、見境のない下賤な奴らだ。

 余は、人間が嫌いだ。表ではニコニコとしていても、腹の底は知れぬもの。家族のように思っていても、いや、家族であっても、軽々しく裏切る、救いのない奴ら。

 嫌いだ。嫌いだ。大嫌いだ。


 ―――嫌いなのだと、少なくとも自分ではそう思っている。バルディンの奴め、余のことを人間好きなくせに人間嫌いを装うお人好し呼ばわりしおって。余は全然そんなことはない。余ほど人間というものを蔑視し、毛嫌いしているものなど、そうはいない。冷徹な女王とでも呼んでもらいたいくらいだ。

 だがしかしあの軽薄な尻軽男は、どうにもヘラヘラと笑いながら、それでいて裏表のない真っ直ぐな目でこちらを見て、何でもないことのように言ってのけるのだ。あなたは人嫌いなふりをしているがお人好しだと。困っているやつを放っておけない優しい人なのだと。

 あのバカ者が、どうしようもないバカであるということは分かっている。だが、瞳を通して心の内の真実を見通す余の魔眼の権能を以てしてもどうにもならぬほど、あけすけに自身の心の内をさらけ出しているあの男が、迷いもためらいもなくそうだと言ってくるものだから、もしかしたらそうなのかもしれないと騙されそうになる。

 余が、信じられずとも。どうにも眩しいアヤツが、そうだと胸を張って言うのなら。もしかしたら余が勘違いをしているだけで、実は本当はそうなのではないかと。思ってしまうことがある。

 ……あるだけだ。


「バルディンさんは、大丈夫でしょうか」

「……もう日が沈む頃か」


 隣に座るツツジが心配そうに口を開いた。ツツジ・カミムラ。異世界から来た紋章士。歳の頃はバルディンと同じ十八、余より十歳年下になるか。こことは違い、争いとは縁遠い世界から来たというコヤツは、どうにも不思議な女だった。口数が少なく、表情に乏しいと思えば、無表情のまま突拍子もない事を口走るし。黙っているかと思えば、頭の中では随分な大騒ぎをしているし。妙なやつだな、というのが素直な感想だろうか。

 最も、初めて会ったときは驚いたものだ。まるで何かがすっぽりと抜け落ちてしまったかのような顔で、王宮の庭園の中で一人椅子に腰掛けていた彼女は、こちらを見るやいなやワッと感情を爆発させた。畏敬、感動、尊敬、憧憬。おおよそ余が受け慣れない感情をいっぺんにぶつけてきて、正直面食らった。

 余だって人間なのだ。バルディンの時もそうだが、正面から好意を向けられるのは、その、弱い。

 まあ、なんだ。兎に角余は有能な人材を欲していた。人は裏切るものだが、余には人の心を覗く力がある。裏切りなどはいくらでも備えようがあるのだ。だか、裏切りに備えるのなら周りに置く人間は少ないほうが良い。そのほうが対処がしやすい。だからこそ、一人で複数のことをこなせるような、一人で、百人でも代えがたいような特別な力を持つ有能なものを揃えておきたかった。

 その点で言えば、紋章士というのは適切である。紋章魔術、契約魔術、魔術の解析、改造……。出来ることを挙げれば暇なく、そのどれもが一級品。全てを一人で行えるというのも良い。

 余に対して好意的であるというのも都合が良かった。余に従うように躾ける必要もなく言うことを聞くし、反抗もしない。実に使い勝手の良い手駒が出来たと、そう思っていた。


「こんなに、時間のかかるものなんでしょうか……」


 思っていたのに。


「心配するな。あいつもプロだ。半日だろうが一日だろうが、大したことではない」


 ツツジが、真っ直ぐに余を信じるものが苦悩するさまを見ると、胸が締め付けられるようになった。

 バルディンのせいだ。あのバカ者が、余の凍りついた心を溶かしてしまったのだ。余には為さねばならないことがある。何に替えてでもやり遂げなければならないことが。その為に、冷徹であれ、冷酷であれと、王であれと自らに律してきたのだ。人を信じるとロクなことが無いから、何も信じず、力を魔力を能力を権力財力を、ただそれのみを信じよと、それ以外のことは全て、総て、不必要なのだと、言い聞かせてきていたのに。バルディンの顔が脳裏をよぎるのだ。あのバカの何も考えていない間抜け面が、あのバカの嘘も隠し事も出来ないバカ正直なその言葉が、余をじっとりと締め付けるのだ。あの眩しいものが、余の薄暗い物を曝け出してしまうような気がして、バルディンの目をまともに見れない。あの目の奥に、瞳の中に映る本心を覗けない。

 余の中のわずかな良心が呼び覚まされたのか、余が、必死に押し殺し、冷たい氷の中に沈めてきた余の心が、溶け出してしまったのか。

 バルディンと同じ様に、真っ直ぐに余を見つめるツツジの苦悩を、見過ごせなくなってしまっていたのだ。余が、人を慮るなど……。


「少し仕事が長引いているだけであろう。心配するようなことではない」


 余だって。心配でたまらないのに。今すぐ駆け出して、彼の無事を確認しに行きたいのに。その思いを押し留めて、口からこぼれたのはツツジにかけた言葉だった。

 変わってしまった。随分と。こんな余でも、余の願いを果たすことは出来るのだろうか。


「ツツジよ」


 余の声に、彼女は顔をこちらに向けた。余は、ちらとその瞳を見つめる。


 …………………で、あるか。


 ツツジの胸の奥で渦巻く物を見届け、余は口を開く。


「自らに何かできることはなかったのか、などと、思い悩むのはよせ。何かできたはずなのに、などと、思い上がるのはよせ」


 どうして余は、彼女のために言葉を紡いでいるのだろう。


「バルディンのバカ者が、助けてくれとせがんだのか? なんとかしてくれよと縋ったのか? 違うであろう。アヤツはそんな事を求めていたわけではない」


 どうして余は、誰かのために苦心しているのだろう。


「アヤツは……アヤツは、何も考えてなどいない。その時その時、ほぼほぼ反射的に動いているだけだ。それが正しいことだと信じてな。そんな唐突な行動に対して責任を感じる必要はない。そもそもそれは貴様の仕事ではない」


 どうして余は、誰かを慰めるような事を。


「貴様の仕事は紋章士であろう。然らば、貴様のすべき事とは何かできたはずと悔やむことではなく、何が出来るのかと前を向くことであろう。起きてしまったこと、終わってしまったことにばかり目を向ければ、また仕損じるぞ」


 余の気持ちも、ツツジの気持ちも分かるっているのに、どうして。


「クルエラさん……」


 ツツジは、何かを得心したように余を見て瞳を輝かせた。ああ、クソ。勝手に感動していろ。このバカめ。大バカめ。。余のだ。余のなのだ。

 泣きそうだ。泣かせてほしい。

 バルディンは、あの大バカは余のことを好いていると言ったのだ。貴様などお呼びでないのだ。何なのだ貴様は、何を余のバルディンといい感じになっているのだ。何がキラキラだ。何が主人公だ。何が憧れているだ。ふざけるな。いい加減にしろ。

 余が娼館の主になった頃からの仲なのだ。余が商人から買い取ったのだ。呪で煙たがれていたアヤツは、余が買わなければそこらで打ち捨てられ野垂れ死んでいたのだぞ。余はバルディンの命の恩人なのだ。バルディンだってそう言っていたではないか。この十年ずっと一緒にやってきたのだぞ。それを、それを、なんだ。何なのだ、突然出てきて、ヒロイン面を晒すなよ。何が主人公になりたいだ。今の貴様は主人公ではない。その主人公に優しく抱かれるヒロインになりたいのではないか。

 余の気持ちも考えてくれよ。何なんだよ。余だって、余だってバルディンと手を繋いで街をデートしたいのだ。はぐれないようにと適当なことを言って、強く手を握りたいのだ。疲れたから少し休もうと、木陰のベンチに並んで座って意味もなくただばんやりと一緒に空を眺めたりしたいのだ。本当は、本当はもう使命も目的も全部全部投げ出してしまって、この身一つでバルディンと結ばれて幸せになってしまいたいのだ。


 でも、だけど、そんなことは叶わないとわかっているから。余は、女王だから。失われた国を再び取り戻さねばならないから。その為にはどんなこともすると決めたから。その結果、余は、余の目的のためにバルディンを危険な目に合わせているのだ。男たちを次々と再起不能にしてしまっていると噂のたつ女の元へ一人送り込んだのだ。

 一体どの面をさらしてそんなうわ言が吐ける? 余は娼館の主として、バルディンに酷い仕事を任せてきたのに? 普通の男ならそれを苦に自死すら選びかねないような真似をさせてきたのに? 辛い思いを、辛い思いばかりをさせてきたのに?


 そうまでして尚、余のことを好いていると言ってくれた男に、こんな仕打ちをしているのに?


 駄目だ。駄目だ駄目だ駄目だ。余では駄目だ。余では駄目なのだ。

 余はこんなにもバルディンの事を想っているが、全ては遅すぎたのだ。バルディンの隣には余はふさわしくない。だが、ツツジはどうか? 歳も同じくらいで、余のように汚い仕事に手を染めず、バルディンを直接傷つけるようなこともしていない。アヤツをまっとうに心配する権利がある。


 何だよ。何なのだよ。余よりもきっと、ツツジの方がお似合いではないか。

 二十八歳。結婚など十五の春には済ませてしまうこの世界では行き遅れの婆だ。こんな歳にもなって経験もない未通女だし、それに何より、彼にはひどい仕打ちばかりしてきている。こんな余が結ばれようというのがそもそもの間違いなのだ。


 ああ―――もう分かった。分かったから。これはきっと報いなのだ。目的の為、使命の為、そう言い聞かせて正当化し、酷いことをたくさんしてきたその報いなのだ。良いだろう。認めるとも。バルディンの隣に立つべきは余ではなくコヤツなのだ。だから、バルディンの隣に立つものなのだから、こんな所でいじいじおどおどされては困るのだ。


「貴様はどっしりと構えておけ。紋章魔術は魔術紋章そのものを操る繊細な技だ。何があっても対処できるよう、魔力を練り、精神を落ち着けるのだ。それが今の貴様に出来ることだ。違うか?」

「―――は、はい! 分かりました!」


 表情の機微こそ乏しいが、それでも先程よりは明るくなった。

 まあ、いいだろう。今はこれで。成長など、はなから一朝一夕で成るものではないのだ。いつか、信頼できるまで力をつけてくれれば良い。

 信頼、信じて頼る、か。余には縁遠い言葉だと思っていたが、今はバルディンを信頼し、彼を信じて頼っている。余も、変わらねばならない時が来たのだろうか。いくつか計画に修正を施さねばならないだろう。

 それに、もしも遠くない未来に、バルディンが言っていたように彼が旅立つ時が来たのなら、その時はツツジに任せよう。紋章士としての力は、きっとその旅の力になってくれるだろう。余には、出来ないことだ。だから信じて頼るのだ。人に。

 ……何だ、結局バルディンの言う通りなのかもしれない。余は、人が嫌いなふりをしているだけで、実のところは好きなのかもしれない。好きだけれど、また裏切られるのが怖くて逃げているだけの臆病者なのだ。

 なんだ、そうか。腑に落ちた。難しい話などではなかったな。

 そうなると、そうか、バルディンが帰ってきたら、彼に謝罪を……いや、それよりもまずは礼を伝えねばならないだろうか。

 人を信じるということ、頼るということ。まだ少し怖いが、まずバルディン、次にツツジ。その次くらいにはクロウ殿下も信じてやっても良いかもしれない。

 前向きに考えよう。余は余なりに、少しでも良いのだ。

 今はただ、バルディンの無事を祈ろう。そうしよう。


 そう、考えていたところ。


「おや―――、奇遇ですねツツジさん―――本日はどういったご用向きで―――?」


 昼頃に聞いた不気味な声。その声を耳にし、その姿を目にした瞬間、猛烈に嫌な感覚が余の中に広がってきた。

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