第21話 登城

「へぇー、ここがヴァロッサ王国の王宮ですか……広いっすね」

「王宮まで来た感想がそれか……いや、目があまり見えないならそういう感想しか出ないのか?」

「まあ装飾とか建築美とか言われても見えませんからね」


 昨日デートで思わぬ一悶着があったものの、俺とクルエラは例の第三王女と会うために王宮にやって来ていた。聞いている感じだと王宮はかなり豪勢な作りらしいが、俺の目ではぼんやりとシルエットくらいしかわからないので広いなぁくらいしか言いようがないのであった。

 今朝から俺は、王宮に上がる為に服装を整えろと言われ今まで着たこともないような服を着せられ、化粧をしてと忙しかったが、なんとか昼前には来ることができた。約束は正午ごろの予定なので、王宮内の役人と取次を行い、第三王女の居室のあるクランドロ離宮を目指して歩いているところだ。


「しっかし俺が第三王女殿下に呼ばれてきたって言ったら役人の人すごい顔してましたね」

「……まあ、数々の男を潰してきたと言われる王女だからな、この後何をされるか考えてしまったのだろう」


 クルエラの言葉に俺はげんなりとした顔をした。やっぱりそういうことかぁ。


「正直その噂ってのも怪しいと思いますけどね」

「というと?」

「だってほら、本当に男を潰してきてるんなら、潰された男が出てこなきゃおかしいでしょう? 証拠隠滅してるにしても、噂になってる時点で証拠隠滅出来てないようなもんですし、なーんか引っかかるんですよねぇ」


 そう、何となく中途半端なのである。本当に男を潰しているにしろ、いないにしろ、こんな噂が出回っている事自体がおかしな話なのだ。第三とはいえこの国の王女だぞ? こんな酷い噂が放置されてる事自体、違和感があるのだ。王女の悪い噂なんて国にとっちゃ害しか無い、普通はもみ消すなりなんなりするだろう。それが王宮の中や貴族たちの間だけとはいえ広まってしまっていること、それに何より。


「あの殿下のお姉さんでしょう? そんな悪い人じゃないと思うんですよねぇ……」

「……まあ確かにそうだな。余も直接顔を合わせたことが無いので王女殿下の胸の内を覗いたわけでも無し。まあだが警戒しておくに越したことはないだろう」

「そうですね」


 クルエラに手を引かれて王宮の庭を進む。俺の話を聞いてから、少し彼女の表情の強張りが和らいだような気がした。ところで、


「なんか、あの日以降ちょっと優しいですよね。何かありました?」

「何かありましたとはなんだ。何かありましたとは」


 俺の質問に、少しムッとした様子でクルエラは答えた。あらら、変なことを聞いてしまったかな。


「いやぁまあ確かに勢いでものすごいこと言っちゃった気はしますけど、こういうのを気にするんだなと思いまして」

「……ふん」


 クルエラは少し遠くを見ながら、俺の手をぎゅっと強く握った。


「別に、どうということではない。ないが、なんだ。いつか余のそばから消えてしまうとしても、それまで余のそばで余のためにいてくれるというのだ。だから、その、余も。余もそれなりに貴様のことを考えなければと思っただけで……な」


 照れくさそうにそう吐き捨てる彼女の瞳がこちらを―――


「―――あれ?」

「うむ? どうした?」


 今、今たしかにクルエラの顔がはっきりと見えた。切れ長で少し垂れた瞼、十字架のような、星のような不思議な文様を浮かべた真紅の瞳、金色の髪は陶磁器のように透き通った美しい肌の上を彩るように流れ、紅いメッシュがそれらを際立たせていた。そしてシルエットだけでもわかっていたことだがクルエラのその豊満なオッパイいや待って本当にすごい体だったんだけどえ? 俺の幻覚とか何かではないあの現実感あの質感あの存在感は俺の妄想の産物などではなく間違いなく本物であるはずで生まれ変わってから初めて目にする鮮明な女体に俺は


「ど、どうした?」

「あ、いや。何でもない。何でもないよ、うん」

 

  何とかギリギリ踏みとどまり、やや前傾姿勢のままクルエラに答える。


「ちょっとクルエラがあんまり綺麗なもんでさ。思わず見惚れちゃって」

「……ふん、目も見えないくせにお世辞だけは上手だな?」


 そう言うクルエラの声は少し明るかった。

 ……しかし、さっきのは一体何だったんだろうか。今たしかにクルエラの姿をはっきりと見ることができた。この世界に生まれ落ちで十八年と少したつが、初めてくっきりと鮮やかに見ることができた。どういう理屈なのかは分からないが、今あの瞬間、俺の呪禍が解かれたとでも言うのだろうか? いや、一瞬でもとに戻ったことから解けたと言うよりは緩和された?

 わからないことだらけだが、この瞳に光が戻るというのなら、悪いことではないだろう。下手にみんなに話して糠喜びさせるわけにもいかないし、今は目の前の仕事に集中するべきではある。あるが、ここにいる間に調べられることは調べるべきだろう。

 それに、ほんの一瞬ではあるが、クルエラは本当に美しかった。



◆  ◆  ◆



「は―――い、そこで止まってくださいね―――」

「うむ?」

「あい?」


 急に横から声かけられ、俺たちは歩みを止めた。第三王女のいるというクランドロ離宮の入り口で、俺たちを呼び止めたのは修道女シスターだった。


「ワタクシは聖教会はクランドロ離宮支部に勤めるラナン・ダラと申します―――貴女がたはどちら様でしょうか―――? 本日はご面会なさる方の連絡は頂いていないのですが―――?」


 語尾の伸びる、のんびりとした口調で彼女がこちらに話しかけてくる。


「【クルエラの嘴】から来た。館長のクルエラだ。第三王女から話は来ていないのか?」


 クルエラが動じることなくそう聞き返すと、修道女は笑顔で声を上げた。

「ああ―――うかがっております―――。クルエラ様ですね―――、こちらへどうぞ―――」

「うむ」


 とりあえず話が通じたのか、クルエラを案内する修道女。手を引かれたまま俺ものついていこうとすると、彼女は静かに俺の歩みを手でいさめた。


「どうして男がここに―――? 通すように言われているのはクルエラ様だけですよ―――? それに―――、クルエラ様も商品を手渡したのなら入り口で帰ってもらうようにと申し付けられております―――」


 ピリッと緊張が走った。穏やかな口調である。静かで、優しく、敵意のない声。それでも俺は、かなり明確に死を感じた。それほどの気迫である。この女、本当にただの修道女か……?


「ラナン嬢、戯れはそれほどにしておけよ。その男が王女殿下のお望みの「商品」だ」


 険悪な空気に、すかさずクルエラが口を差した。


「あら、あら、あら―――そうでしたの―――? それは失礼をいたしました―――」


 クルエラの言葉に、ラナンと名乗った彼女はその涙が出るほどの殺意をすっと消し去った。


「貴方が―――王女殿下の仰っていた方ですのね―――あらあら―――貴方が―――」


 その糸のように細められた目で、こちらの全身を品定めするようにじろじろと見られているのが分かる。嫌な視線だ。その目に怯えていると、「こら! 何をしている!」と部屋の入り口から大きな声が聞こえた。

 声の主はガシャンガシャンと鎧を鳴らしながらこちらに近づいてきて、ラナンの前で歩みを止めた。


「シスター・ラナン! 貴様何をしている! 今日王女殿下のお呼びしたお客人は女と男の二人組みだと伝えてあっただろう! 勝手な真似をするな!」

「あら―――怖い人が出てきましたね―――退散退散―――」

「あっおい! ……ええいあの自由人め! 何が修道女だ、一体あれでなんの道を修めているというのか……全く」


 足早に逃げ去ったラナンにぽかんとしていると、彼女を追い払った鎧姿の女がこちらに向かって歩いてきた。


「いやはや申し訳ない! 普段は私が番をしているのだが、急な呼び出しがあった故彼女に見張りを任せていたのだ」


 ばばっと豪快に頭を下げる。おや? なんだかこのすごく元気のいい感じ聞き覚えがある気がする……。


「こんな事態になったのも全て彼女に任せた私の責任だ! 処罰があるというのなら謹んでお受けしよう!」

「あ、ああいや、問題ない。気にするな。ところで貴様は?」

「む、これは失礼した」


 そう言うと彼女はガバッと背を正し、威勢よく挨拶をした。


「私は第三王女のお目付け役……ではなく、ヴァロッサ王国第五騎士団団長、バローバル・バロネス・バラントだ。バラント団長と呼んでくれるとありがたい。王女から全て聞いている。ここから先は私が引き継ごう! 何、安心してくれたまえ、私が責任を持って王女の下へと送り、無事に帰すことを誓おうではないか! さて、そちらの彼が今回王女が―――うぇ!?」


 台詞の途中でこちらに目をやり、そのままカエルを踏んだような声を上げ固まった。いや、なんだろうこの感じ、物凄く既視感がある。なんだろう、なんだかすごくよく聞いた声のような………。


「あ、あー!」


 思い出した。俺は思わず声を上げて彼女を指差す。

 バローバル・バロネス・バラント。特徴的な名前だし、普通は偽名を使ったり名乗らなかったりする中バカ正直に本名を名乗るし声がでかいしで記憶に残っていた。


「どうしたバルディン」

「あ、いやー……その」


 こちらを指さしたままパクパクと口を開くバラント団長を前に、何と言っていいものか口ごもる。


「あっと、その。そちらの団長さんなんですが、俺のお客様です……しかも毎月通ってる結構なお得意様です……」

「――――えっ?」

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