第20話 特別な何かに
「いやー色々買えて良かったよ。ありがとうね、ツツジさん」
「いえ、喜んでもらえたようで何よりです」
あれから三時間ほど、いい具合に日も暮れだした頃、一通りの買い物を終えて私たちは王都の通りの中にある噴水のほとりに腰掛けていました。バルディンさんはたくさん買い物をしていましたが、買ったものは全てお屋敷に送ってもらうように頼んだようで、今は荷物もほとんど持たず水筒の水を一口飲んでいました。
「ツツジさんも一口いるかい?」
「大丈夫です」
まあツツジさんも自分の分買ってたしね、とバルディンさんはもう一口水を飲みました。
バルディンさんはかなり豪快に買い物をされていたようですが、どうやら彼が毎日の仕事で稼いでいる金額は相当なものらしく、クルエラさんに天引きされ、自分用のトレーニング器具や書物の買い入れに使っても尚使い切れないほどの大金を有しているそうです。本人曰く、そもそも娼館に出入りする業者に買い付けを頼むくらいしか使い道がないんだから貯まる一方だし、こういう機会にパーッと使い込んどかないとね、とのことでした。
パーッと使う使い道が、自分自身のものではなく娼館の仕事仲間たちへのお土産というところがバルディンさんらしいといえばらしいのでしょうか。
「そういやさ、ツツジさん」
「何でしょうか」
「何か悩みでもあるの?」
不意に、不意にそんな事を言われて、私は思わず固まってしまいました。
「それは、どういう」
「いや、深い意味はないんだ。何か色々考え込んでるみたいだし……勘みたいなもんっていうか、ほら、君は異世界から呼ばれてきたんだろう? だからその関係で何か悩んでんのかなってさ」
「そう、ですか―――そう、ですね」
今日一日、私が上の空だったことに彼も気づいていたようです。それで、今日の用事も終わり、後は帰るだけとなった今、向こうから話を切り出してくれた、と。
「前の世界に、未練がないかと言われると否定はできません。続きの気になる漫画やアニメ、残してきた家族。心残りは山程ありますし、正直男の人が少なくて女の人が多いこの世界の価値観もよくわかりません」
「あーわかる! わかるなぁ……! この世界本当になぁ……!」
「え?」
「あ、うん、続けて?」
何だかバルディンさんがしきりに頷いていたのが気になりましたが、多分聞き上手なだけでしょう。
「でも、そこは別に問題ではないんです。何と言うか、こういう別の世界に喚ばれて、みたいなのは元の世界の創作でよくあって、憧れのようなものもありましたから。平凡で何も起こらない、ただ今日を繰り返すだけの日常から抜け出したかったと言いますか」
「…………」
「でも、実際来てみると、何も起こらなかったというか、私が特別な何かになれたわけじゃなくて、背景にいる、いてもいなくても変わらない平々凡々な神村躑躅のままで、結局のところ、私は周りや環境のせいで平凡な人間なのではなくて、異世界に来たって変わらないくらい私そのものがどうしようもなく平凡なのだな、と自覚してしまいまして」
「えっ平凡……? えっ……?」
そうかなぁ? そんな平々凡々とかかなあ? ものすごい強烈なキャラしてると思うけどなぁ? バルディンさんはそう言いながらしきりに首を傾げています。
……ええ、きっと私に気を使ってくれているのでしょう。優しい人です。
「そんなこんなで、ぼーっと過ごしていた時に、クルエラさんに声をかけてもらったんです。……衝撃でした。こんな人がいるんだって思いました。鮮烈で、強引で、まるで私の好きな物語の中から飛び出してきた主人公みたいで、脳が揺さぶられました。ああ、これがそうなんだ、これが、私の憧れた主人公なんだって。それで、私はこの人の傍にいたいって思ったんです。特別な何かになれなくても、私はこの特別な人を傍で支える人になりたいって、そう思えたんです」
思えたのに。
「でも、でもダメなんです。私は」
ぎゅっ、と拳を握りました。
「クルエラさんは滅んだ国を再興するために出来ることをやっています。一国の王女だったのに、娼館の主に身を落としてまで王国の中に深く入り込んで、あらゆるツテやコネを作って力を蓄えて、確実に前に進んでいます。クロウさんはこの国の次期国王という立場にあっても民のことを考えて行動しています。周りの誰も動かない中、たった一人で娼館に娼夫として潜入してまで、民を苦しめる誘拐事件の真相を探ろうとしています。バルディンさんは優しい人です。自分がどれだけ苦しい状況にあっても、いつも周りの人のことを見ていて、困ってる人や悩んでる人がいたらそっと寄り添って話を聞いて、その人が本当に苦しんでたら、その身を投げ打ってでも手助けしようとしています。本当に三人とも、三者三様でキラキラしていて、眩しくて」
握る拳に力が入ります。
「それに、それに比べて私は、私自身は、何も変わらないまま……! キラキラで、素敵なものたちを、冷たい画面の前からただ眺めてるだけの神村躑躅のまま……あの日のままで、何者にもなれないままで、ずっとそこで足踏みをしてる……」
悔しくて、口惜しくて、涙が出そうになります。どれだけ環境が変わっても、どれだけ特別な力を手にしても、どれだけ素敵な人の力になりたいと思っても、私自身は何もできないまま、ずっと変わらず同じ場所にいる。その事実が、現実が、躑躅が、私を掴んで離してくれません。
「私は……」
すっと、私の拳に温かいものが触れました。
「別に、今すぐ何者かってやつにならなくてもいいんじゃないか?」
バルディンさんが、私の手にそっと触れていました。
「ツツジさんも、素敵な人だよ。何者かにならなくったって、ツツジさんのままで」
少し照れたように、はにかんだ様に彼は笑いました。
「俺もさ、そんなに人に偉そうに言えるようなやつじゃ無いんだけどさ、きっとそのキラキラってやつは自分じゃ見えないもんなんだと思うんだよ。クルエラも、殿下も、それに俺も、別に自分がキラキラしてるなんて、素敵な人だなんてこれっぽっちも思っちゃいないんだ。俺たちはただ、何もできない自分をどうにかしたくて、力の足りない、頭の足りない、そんな自分をどうにかしてやりたくてもがいてるだけなんだ。何者かになろうとしてるわけじゃない。ただあがいて、もがいてるだけ。それでもきっと、ツツジさんから見てそれがキラキラだって言うんなら、ツツジさんだってキラキラしてると思うぜ? 変わりたくて、何者かになりたくて、涙まで流しちゃうくらいそれと面と向き合ってもがいてるツツジさんは、俺からしたら充分キラキラで、素敵な人だ」
そう言って、バルディンさんは私の頬を拭いました。
「クルエラも、殿下も、俺も、目指してる場所にたどり着いたわけじゃない。なりたい何かになれたわけじゃない。そこを目指してもがき続けてるだけだ。そんな姿をキラキラだって言うんなら、ツツジさんだって同じことをしてるんだぜ? 自分じゃ気づいてないのかもしれないけど、それはきっと、自分じゃ見えないだけなんだよ。何者かになれなくたって良いじゃないのさ。ツツジさんは今、涙を流して、力いっぱいそこを目指してる途中なんだから」
「そう、ですか。そう……ですか」
バルディンさんがせっかく拭ってくれたのに、後から後から涙が込み上げてきて、息が詰まってしまいました。
「それにあれだよ、何かになりたいっていきなりクルエラとか殿下を引き合いに出すのは間違ってるよ。あの人たちおかしいもん。目的意識が強すぎるっていうか……ありゃあさ、ものすごい信念がないとどうにもならない領域だぜ? そこをいきなり目指そうってのは無茶だわな。最初はほら、俺ぐらいにしときなって。俺ならほら、そんなたいしたことないし?」
「いえ、たいしたことは、あると思いますよ」
「え、そうかな? 面と向かってそう言われると照れるな……」
たはは、と。いつもの照れたような笑いを見せてから、バルディンさんは優しく私の背中を撫でてくれました。
「まああれだよ、目をろくに見えないし、背も低いし力もないし、魔法だって使えない俺からしたらツツジさんはすげえ頼りになる人なんだから、胸張っていこうぜ。紋章魔術なんてレア中のレア魔法なんだから。それを使えるよう頑張って勉強したツツジさんは充分素敵だよ」
「口説いてるんですか? それ」
「えっ? 俺また無意識に口説いちゃってる? 俺やばいやつじゃん……」
ああ、良くない。良くないですね。これは。
私は主人公のクルエラさんを支えていこうって思ったのに。クルエラさんが、バルディンさんのことを好きなんだなっていうのはわかっているのに。
「ふふふ、バルディンさんはやばいやつですね」
「ち、違うって、やばいやつじゃないって! ただちょっと親身になって話をしたら結果的に口説いてしまうというだけで!」
「それはかなりやばいやつでは?」
「たしかに」
私まで、彼のことを好きになってしまうだなんて。
「本当に、やばいやつですね―――私」
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