第18話 決行当日の朝

「本当に、大丈夫ですか?」

「大丈夫大丈夫、気にしないでいいよツツジさん」


 昨晩の三人の秘密の話し合いを終えての朝、私は身支度を済ませて馬車の中にいました。馬車の中はそれなりに広くゆったりとしていて、私クルエラさん、それに正装に着替えた殿下と、バルディンさんの四人が座っています。

 バルディンさん。平民の出のため苗字はなく、ただのバルディン。幼い頃、修道院に行くのだと連れ出され、そのまま娼館へと身売りをされた男の人。見たところ中学生くらいにしか見えないのですが、この世界の男の人は総じて幼い外見で成長が終わり、年をとっても中々老いないそうなので、これでも私と同い年だそうです。

 私が小学校に入るくらいの歳から娼館で働いてきた同い年の男の子。いえ、男女の貞操観念が逆になっているこの世界では、男の人は実質女の人みたいなものらしいので、私の世界の感覚で言えばそれくらいの歳から娼館で働いてきた女の子ということになるんでしょうか。

 ……そう考えると、かなり辛いものがあります。私だったらきっとおかしくなってしまっているかもしれません。そんな環境で過ごしてきたというのに、彼は他人のために泣くし、笑うし、行動します。今回だって、クルエラさんのために、男の人達を次々に再起不能にしてきたという第三王女に抱かれに行こうとしています。

 何をどうやったらこんなに高潔でいられるんでしょうか。いえ、高潔というのも少し違うのでしょうか? クルエラさんのことを陛下と呼んでからかってみたり、複雑な心境で悩むクロウさんをキスで黙らせて無理矢理正気にさせたり、結構お茶目なところもあるみたいですし。不思議な人です。今こうして王都に向かう馬車の中でも、他の二人はこれからのことを考えて少し重苦しい雰囲気になる中、当の本人のバルディンさんは「ところで娼館の皆へのお土産とか買ってきたほうがいいかな? 王都って銘菓とかそういうのあるんでしたっけ?」と完全に観光気分ではしゃいでいます。一体どういうメンタルをしているんでしょう。


「俺としては食べ物とかより王都で売ってる化粧品とかもありなんじゃないかって思うんですけど、殿下ってそういうの詳しい方です?」

「うぇっ? あ、うん。一応王家に献上されてる御用達の店とかなら知ってるけど……」

「御用達か……そりゃちょっと高くつきそうですね……。クルエラはなんかそういうの知ってます?」

「え、あ、ああいや、分からんな。余は男ではないから化粧に気を使ったことなど無いのだ。悪いな」

「へえ、そうなると空いた時間で適当に王都を観光しながらお土産探さないとっすねー」


 いやーこれは忙しくなるぞーと嬉しそうにバルディンさんは笑っています。完全に観光気分。日本で言うところの修学旅行で初めて都会に出てきてはしゃぐ中学生みたいな雰囲気でしょうか。見た目も相まってそうとしか思えません。これから一番大変なのは彼自身のはずなのに。


「あ、そういえばツツジさんはこっち来てから一月くらい王都に住んでたんだっけ? おすすめのスポットとか知ってる?」

「私ですか? そうですね」


 言われて思い返してみます。

 ……………あれ?


「ちょっと思いつきませんね」

「ああそうなの? まあでも魔術の勉強してたんだっけ? なら外出してなくても仕方ないよな」

「ええ……」


 いや、違う。違います。確かに魔術の勉強はしていたはずです。ですが、一ヶ月もの間魔術の勉強だけするはずはないですし、何より、その魔術の勉強についてすら、どこで誰に教わったのか思い出せません。


「そういやどれくらいで王都に着く予定なんです? 着いたらどういうスケジュールで動きます? 今のうちに旅のしおりとか作っときます?」

「いやなんで貴様はそう行楽気分なのだバルディン……」


 私が一人過去の出来事を思い出そうとしている隣で、バルディンさんとクルエラさんが話し始めました。


「娼館のあるアルデラ地方から王都方面に向かうには、ここから南西の町クロイスから出ている魔導列車を使うのだ。クロイスには今日の日暮れ前に着くので、そこで一泊して明日の朝魔導列車で王都に発つ。王都に着くのは明日の昼過ぎ頃だな。クラレンス王女との約束の時間は明後日の正午だ。明後日は朝から身なりを整えたり王宮に登城したり色々やることがあるから、自由に動けるのは明日の昼から日暮れまでだな」

「じゃあ半日は自由に過ごせるわけですね」


 それを確認したバルディンさんは殊更嬉しそうに笑ってとんでもない発言をしました。


「それじゃ俺とデートでもします?」

「ぶっ!!??」


 ものすごい音を立ててクルエラさんはむせ返りました。


「んなっ、何を言っている……!?」


 クルエラさんはゴホゴホと咳をした後、キッとバルディンさんの方を睨みつけ、顔を真っ赤にしました。恐らく、嘘を言っているかどうか分かる力というのが発動したのでしょう。えっじゃあ今本気でデートのお誘いかけたのバルディンさん? えっ、本当にどういうメンタルしてるの? ここまで来るとバルディンさんがこの世界では珍しいものすごい女好きの男なんじゃないかと思えてきました。 この世界の男の人は貞操観念の問題や人口比の問題で女の人が苦手な方が多いそうですが、バルディンさんがものすごい女好きなんだとしたら色々と辻褄が合う気がしてきました。


「え、いや、このご時世いくら何でも男一人で街を出歩くのはどうかと思ってエスコートを……と思っただけだけど……」

「あ、あー……うむ、それは確かにそうだな。男一人で出歩くのは良くないしな……」


 バルディンさんの言葉に、納得しつつも少ししょんぼりするクルエラさん。……彼女がこんな顔を見せるなんて、出会ったばかりの私は思ってもいませんでした。彼女はキラキラの主人公で、こんなふうに人に翻弄されたりはしないものかと思っていたのです。

 と、しょんぼりしているクルエラさんにバルディンさんはニヤニヤしながら顔を近づけました。


「ああでも、クルエラとデートしたいなってのは本当に本当ですよ? ほら、こっち見てー?」

「んなっ、がっ」


 バルディンさんはからからと笑っています。クルエラさんは顔を赤くしてバルディンさんを指さしました。


「あっ、あのなあ! あまり余をからかうのもいい加減にせよ! だいたいなんだ貴様は! この間は余をあんなに情熱的に口説き落としたかと思えば! その直後にクロウ殿下にチュウしたりしおって! あんな、あんな、余に見せつけるようにだ!」

「ご、ごほっ」


 突然の飛び火に今度はクロウさんがむせ返りました。


「あー、あれですね。いやあれは流石に殿下に悪かったかなーと思ってお詫びも兼ねてぶちゅっと」

「……何故余への告白がクロウ殿下に悪いのだ?」


 バルディンさんの言葉に、クルエラさんが怪訝そうな顔をします。


「いやだってほら、殿下って俺のこと好きですもんね?」

「ごっごほっ! げほっ!」


 突然のカミングアウトに殿下は激しく咳き込み、顔を真っ赤にして涙目になっています。や、やはりそういう関係でしたか……。そうじゃないかなと思ってたんですよね。


「ど、どうしてそういうことを言っちゃうんですか……? というか気づいて……?」

「隠すようなことでもないでしょう……っていうかあれでバレてないつもりだったんですか!?」

「えっえっえっ? 本当なのかこれ? え? ちょっと待ってくれぬか前から思っておったが余のバルディンちょっと人たらしすぎぬか? 一週間もしない間に一国の王太子殿下口説き落としておったの? ヤバくない?」


 正直ヤバいと思います。一週間で一国の王太子をここまで落とすとか乙女ゲーの主人公だってもう少し段階踏みます。というかそれで考えてみるとこの空間私以外バルディンさんに矢印向いてるのすごい怖いですね。なんか私もそのうち落とされそうな気がしてきました。

 ……いや、正直言うとこんなに優しくて誰かのためにがむしゃらになれる人が、その思いをこっちにまっすぐ向けてきたらもう太刀打ち出来ないと思いますが。


「まあそれで殿下が俺のことを大好きなのがわかった上でクルエラに好き好き言ったでしょう? 殿下は頭が良いからそれでもあの場で俺がしたことの必要性とかはわかってくれたと思うんですけど、あの時の殿下は自分が何もできない無力感とか、結局俺が動いていることに対してのもどかしさとか、好きな人が他の人へ愛を囁いてる事へのなんとも言えない気持ちなんかが入り混じって爆発しそうになってたんで、なら仕方ないから先に爆発させとくかぁ……と思ってこう……ぶちゅちゅっとね? 俺バカだし娼夫だしであんなやり方しか知らないもんでして。たはは」

「……むぅ、むむむ、むぅ……。そういうとんでもないことを本気で言っておるからたちが悪いのだよなバルディンは……。まあそう言うことなら、まあよい。チュウの件は不問にしてやる」


 クルエラさんは心底悔しそうにそう言って落ち着きました。

 馬車の中は、顔を赤くしてブツブツと文句を言うクルエラさんと、真っ赤な顔を手で隠して恥ずかしがるクロウさんと、満足そうに腕を組んで微笑むバルディンさんがいます。


「な? 大丈夫だったろ? ツツジさん」

「え? あ、あー……なるほど」


 にっこりとこちらに向かって微笑むバルディンさんの言葉に、私はハッとしました。つい先程まで、これから王都に着いたあとのことを考えて重苦しい空気に満ちていた馬車の中は、すっかり雰囲気も明るくなっていました。照れたり恥ずかしがったりしてはいますが、それでも先程よりもずっと空気がいいです。


「俺ってばあんまし頭良くないからさ。怖がったり不安がったりするみんなを落ち着かせるような名演説は出来ないわけよ。でも、俺でもこうやって多少無理はあるやり方でもさ、風通し良くしてやるくらいは出来るのです。えっへん」


 すごい。やっぱりこの人はすごい人だ。途中ただの女好きなのでは? と思ったりもしましたが、とんでもありません。この人は、自分が一番つらい状況にあっても周りの人のことを考えて、少しでも気が楽になるようにおちゃらけて見せたのです。


「すごい、すごいですね」

「えっ俺のチュウのテクニックの話?」

「違いますけど」


 むっとして答えるが、ニヤニヤとした彼の顔を見て、これも私の緊張をほぐそうとしてくれているのだと気づきました。敵いません。本当に。

 そんな和やかな空気が流れる中、ふいにクルエラさんが口を開きました。


「あー、そうだ。デートの件だが、残念だが余は別件の仕事があって行けそうにない。エスコートはツツジに頼んでくれ」

「えっ」


 こうして突然に、私は明日バルディンさんと王都デートすることになってしまったのです。

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