第13話 女王クルエラ
「そこの椅子を使って下さい。今お茶を淹れますね」
「「……」」
俺たち二人は、無言で顔を見合わせながら彼女に促されるままに椅子へと腰掛けた。貴賓室は、主に来客をもてなし、数日から一月ほどの滞在を考えて作られた部屋である。応接用の区画と、パーテーションで仕切られた向こう側に寝泊まりするためのベッドがあり、娼館の他の部屋と違い、落ち着いた高級感のある仕上がりになっていたが、俺たちの心は落ち着きとは縁遠かった。
クルエラから、俺たち二人が来ると聞かされていた。彼女の話が本当なら、俺たちの行動は全て筒抜けということか? いや、違う。クルエラの謁見の間は此処からかなり距離がある。俺たちが部屋を出たのはついさっきの事だ。あらかじめ伝えておかなければ間に合わないだろう。
「あの……俺たちが来ることを聞いていたって話なんだが……一体いつ頃その話を?」
「? そうですね」
パーテーションの向こうでお湯を沸かしながら彼女は答えた。
「十日程前です。私が城でクルエラさんにスカウトされた直後ですね」
「……………は?」
思わずフリーズする。え? なんて言った? 十日前? スカウトした直後?
全身から血の気がさぁっと引いていくのを感じる。隣では殿下も青い顔をしていた。
確か、俺の記憶では殿下が俺の下に付けられたのは三日前、殿下が偽装書類を出して娼館に入ったのは一週間前だ。
「殿下が、ここに来る前から? 殿下の話を聞いた俺が殿下の援護に回ると考えて? その時に直接対決を避けて交渉に走るだろうと、そうなれば俺たちの誠意を示すために紋章士を頼るだろうと? いや、そんな、殿下はまだ娼館に来てすらいないだろ……?」
いや、だが、確かに。殿下は周りの反対を押し切って強硬に出たと言っていた。つまり、ごく少数ではあるが殿下の計画を知るものはいたはずだ。クルエラは常々情報は力だと言っていた。その迅速は金よりも尊いものだとも。知っていたのだ。彼がここに来るよりもずっと前から、彼がここに来るであろうことを。そして、それに合わせて準備を進めていた。
王宮で秘密裏に行われた聖女召喚、そしてその際に一緒に召喚されてしまった、聖女ではない特異な魔術士。彼女が紋章魔術の適性を持つ珍しい魔術師だということ。そんなトップシークレットの情報すら彼女は手に入れていたのだ。王太子殿下の無謀な計画を知ることも彼女にとっては容易いことだったわけだ。
王宮内すら見通すほどの恐ろしい情報網で、彼女は必要な準備を淡々と進め、十日も前から俺たちの行動を予測し、ツツジに伝えていた。
つまりこれは最初から彼女の手のひらの上だったのではないか? だが、彼女が望んでこの光景を作り出したのなら、術はある。それは―――
「余が王太子に何かさせたい事があり、その首を縦に振らせるためだけに入念な準備を進めていたのではないか? それならば、我々にもまだ希望は持てるのではないか? 相手が何も求めていないのならその交渉は困難極まりないだろうが、少なくとも向こうには目的があって、望むものがあるのだから。そこを軸に話を進めればある程度こちらでも有利に話を進められるのでは?」
ツツジの口から出た言葉に、心臓が止まりそうになる。
「バルディンならそこまで考えるだろうが、気を抜くなと伝えろ、と言伝を受けていたのです。やらせたいことがあるのは確かにその通りだが、それでハイ安心ですねとはならんぞ、と。生かすも殺すもこちら次第なのだから、精々失望させないようよく話し合うのだ、と」
駄目だ。ちょっと強すぎる。先見の明があるとか、頭が切れるとか、そういう次元の話ではない。ほとんど未来予知じゃないか。
「ほとんど未来予知じゃないかこんなの、ずるいぞと思うだろうがそんな便利な力はない。深く深く根を張るように仕込んだ情報網と、確かな観察眼さえあれば誰にでも分かることだ。とも言っていました」
「待ってくれよ嘘だろ……」
うちの上司が有能すぎる件。もうここまでくると笑うしかない。もう絶対未来見えてるだろあの人。
「……ありがとう、ツツジさん。とにかくあの人は俺たちに何かを求めていて、それに自力でたどり着けるだろうと踏んでるわけだな。高く評価いただいてるみたいで何よりだ」
「……驚きました」
盆の上にティーカップを三つ乗せて帰ってきたツツジはカップをテーブルの上に並べながら、その凍りついたように動かない表情をわずかに動かした。
「……何か?」
「いえ、お茶を淹れてカップを出すあたりであの男は観念するだろうと言われていたので、本当にそうなったなと少し驚きました」
「あー……こっちはもう驚きようもないんだが」
静かに閉口する。お手上げ、降参、参りました。裏をかこうとか、なんとかしようとか、そういう事を考えるのは止めよう。今の俺に出来るのは彼女の期待を裏切らないように無い頭を働かせることだけだ。
そう思ってカップを持ち上げると、俺の隣でカップからお茶の香りをかいでいた殿下が固まっていた。
「どうかされましたか?」
そう尋ねると、殿下は静かに何度か香りを確かめ、一口含み、噛み締めるようにその味を確かめ、答えた。
「スカーレットブラウ……」
「スカーレット……なんです?」
「お茶の葉です。スカーレットブラウの葉。通常の茶葉と違い、紅葉したかのような紅い葉をつけるのが特徴で、少し辛味のある、清涼感の強い葉です」
「へぇ……」
殿下に言われて俺も一口含んでみるが、俺は味覚もほとんど無いのでほぼお湯である。味気ない。
「で、これがどうかしたんですか?」
殿下は静かにカップをテーブルに戻して、小さく息を整えた。
「これは、今はもう作られていないはずなんです。栽培方法が特殊で、唯一の産地であったクルエラッドという王国は、もう十年以上も前に魔物の大氾濫が原因で滅んでいます。クルエラッド王家は断絶し、以後はこの王国をはじめとする諸国が破綻した国土を分割し管理しています。確か崩壊後、新たにこの王国の領土として復興が進められた地域でも栽培されていたそうなんですが、魔物により殆どの資料や畑が焼かれたために再現が出来なかったと……どうかしましたか? バルディンさん、すごい顔をしていますが」
「……」
いや、まさか。流石にそれは。しかし、ここまでの彼女の行動を思えば、この茶を出したのも理由があるはず。十数年前に滅んだ王国でしか栽培されていない茶葉を出した理由が。
滅んだ王国。突如現れ娼館をこの一帯ごと買い取ったクルエラ。自らを女王と呼ばせ、娼館を王国と呼び、砦のように堅牢に作りかえられた建物。謁見の間と呼ぶ執務室。魔物の襲撃で断絶したクルエラッド王家……途絶えたはずの、女王の血。
「あの立ち振舞、あの教養、どこぞの大貴族の出かとは思っていたが……まさか、そうなのか? 女王ってのは自称でもなんでもなく、本当に正統な女王だった……? 隠すつもりも騙すつもりもなく、自らが女王であると公言していたのか……? 滅んでなどいないと、断絶などしてはいないと示すために? いやそれにしたって名前もそのまんまだろ、誰か気が付かなかったのか? いや、誰も亡国の女王が娼館の主などするはずが無いと思ったのか? クルエラという名も、たちの悪い冗談か何かだと思って、彼女の言動を真に受けていなかった……?」
「ま、まさかバルディンさん、それって……」
俺の言葉に、何か勘づいたのか殿下が顔を強張らせた。
「ああ、恐らくクルエラは、十数年前に滅んだとされたクルエラッド王家の正統な後継者。……そんな女王陛下が、王侯貴族連中を娼館を使ってズブズブに依存させ情報網を築き上げ、スカウトのためにと本人が直接王宮に乗り込めるまでに力をつけ、その上この王国の次期国王たる王太子殿下の身柄を抑えてまで要求することは恐らく―――」
今は亡きクルエラッド王国の再興。すなわち魔物の氾濫後、混乱に乗じて奪われた国土の返還である。
―――――――
はしがき
ちょっとライブ感でプロットを弄りすぎたので、「第5話 決行前夜」を一部修正しています。
詳しい修正内容については近況ノートでお詫びのクルエラ立ち絵と共に公開しています。
読み返さなくても問題はありませんが、作戦目的が娼夫たちの解放ではなく、あくまで黒幕との対峙になりました。
勢いだけで書いててすいません……。なんとかバルディンを山賊にだけはしてみせるのでこれからもよろしくお願いします……。
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