第12話 神村ツツジ

「着きましたね」


 俺は本館四階にある来賓室の前に立った。


「ここに紋章士の方が?」

「恐らくですがね。ここ数日娼館スタッフが見慣れない格好をした女が来賓室に出入りしているって話をしてましたし、タイミング的には間違いないかと」


 この娼館は非常に入り組んだ作りになっており、慣れているものでさえ迷ってしまうほどだ。その為、外から来た人間を留め置ける場所というのはいくつか候補が絞られてくる。ここで働いている者たちからの情報も照らして考えれば、ここにいると思うのだが。


「問題はどうやってアプローチを仕掛けるかですよねぇ……」


 正直な話、適当な紋章士なら色仕掛けで落とすつもりでいた。俺は一応娼館一の娼夫なわけだし、この世界の女性は俺の知る限り前世の男性並みに性欲が強いので何とかなるだろうと高をくくっていたのだが。


「異世界から来た。となると、俺みたいな価値観の世界から来てる可能性もあるしな……」


 もしもクルエラに雇われた紋章士が本当に異世界から来たのだとすると、俺のように男女同じくらい生まれて、男性の方が性欲が強い世界から来た可能性もある。そうすると、色仕掛けで懐柔するのは難しいだろう。


「殿下、召喚されたっていう例の彼女について、他に何か知りませんか?」

「そうだね……」


 殿下は腕組をしてしばし考え込んだ。


「確か彼女は、チキュウという世界の、ニホンという国から来たらしい。そこでコウトウ学校という学校に通う学生だったようだよ」

「学生? というと貴族階級でしょうか。学問に通じる貴族というと法衣貴族でしょうかね」

「いや、彼女の言うには、彼女の世界では多くの国で身分に関係なく一定の年齢までは学校に通って勉学に励むそうだ。彼女の国では貴族というものもないらしい」

「皆が勉学に励む上に貴族階級のない社会? ちょっと想像がつきませんね……」


 学のある人物、というのも気にかかる。文化的な違いは仕方ないにしても、正式な制度として勉学が組み込まれている社会で育った人間というのはいかほどのものなのか。俺のは所詮バカがバカなりに賢く振る舞うために本を読み漁っただけに過ぎない。立ち振舞などから学のない男だと知られると、話し合いに支障が出るかもしれない。その時は学もあれば品もある殿下にお願いするしかないだろうか……。


「他には何か?」

「……確か、男がいないことに戸惑っていたような気がする。宮殿内の侍男たちを見た時も、女の子かと思ったも言っていたね。女たちの服についても、露出が高い、とか、大事なところが隠れてない、とか言っていたような」

「……おっと?」


 これは重要な情報だ。男が少ないことや男の見た目に戸惑い、女の格好をはしたないと思う感性があるということは俺の前世と近い価値観の世界から来たのかもしれない。色仕掛けは難しいかもしれないが、周りの連中が軒並みおかしな事を言う恐怖は俺もよく知っている。似たような男女感を有しているのであれば、そこを糸口に話ができるかもしれない。


「分かりました。ありがとうございます、殿下」

「いや、こんなことでよければ……しかし、大丈夫でしょうか?」


 不安そうに苦笑いする殿下に、俺は小さく微笑んだ。


「なあに、なるようになれ、ですよ殿下」


 そう言って俺はこんこんと扉をノックした。


「失礼する。紋章士殿はおられるか?」


 どうぞ、と扉の向こうから返事があり、俺は殿下に軽く目配せをしてドアノブをひねった。


「では失礼しまっ―――」


 ばふん。扉をくぐった瞬間何か柔らかくて大きなものに激突した。突然の出来事に思考がフリーズする。目の前は真っ暗で何も見えない―――まあ元々あんまり見えないが―――し、何だかふわふわであったかくていい香りがする。なんだろうかこれは。扉の前にクッションでも置いていたのかな?

 俺は目がよく見えないため、いつもの癖で手でその正体を確かめようと顔を覆うそれを鷲掴みにした。


「あっ」


 頭の上の方からなんだか色っぽい声が聞こえた。


 ふむ、この顔を包み込む柔らかな2つのふくらみ、掴んだ手のひらから伝わる幸せな感覚、そしてこの位置から声が聞こえると言うことは……。


「ちょ、バルディンさん! おっぱいを鷲掴みにしないでください」

「わーやっぱり!?」


 殿下の声に俺は飛び跳ねるようにして後ろに飛び退いた。

 くっと目を細めてみると、扉のすぐ後ろに人影のようなものが見える。

 やってしまった。中々にひどいファースト・コンタクト、初手・オッパイ・ワシヅカミーである。これはまずい。


「お、おわっ、こ、これは失礼した。俺は目がよく見えないので触って確かめようとしただけなのだ。ご容赦願いたい……」


 もうどうしようもないので、平に謝る。これがこの世界の女ならむしろ向こう的にはラッキースケベといったところだが、彼女が俺の前世に近い感覚の持ち主なら初手セクハラにほかならない。確実に好感度マイナススタートである。


「……扉を開けたらゼロ距離に人がいてビックリする。というものを真似してみたのですが、身長差のせいでぱふぱふをする羽目になってしまいました。その上おっぱいをがっしりつかまれてしまうなんて、いっぱい失敗です。おっぱいだけに」


 黒い髪―――この世界ではほとんど見かけない―――を頭の後ろで結び、尻尾のように後ろに流した彼女は、感情の読み取れない表情で、抑揚のない声で語りかけてきた。


「タトゥーのイカしたあなたがこの娼館一の娼夫バルディンさんで、隣のチャーミングな銀髪のあなたがクロウ殿下ですね」


 驚く俺たちをよそに、彼女はその長い黒髪をたなびかせるようにして身を翻した。


「クルエラからあなたたちが訪ねてくるだろうと聞かされていました。立ち話もなんですし、中へどうぞ」

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