第11話 宣誓魔術
「紋章士。ですか?」
「ええ、クルエラは彼女の王国に害をなそうとする人物にはどこまでも冷徹で苛烈な人物ですが、そうでないものに対しては偏見なくその実力や能力、もたらす利益にのみを見て行動します。敵意は無く、あくまで情報がほしいだけだと主張し、あちらにとって利になる提案をできれば活路が開けるかもしれません。そのために、まずは紋章士を味方に引き入れる必要があるんです」
俺たちは自室を出て入り組んだ廊下を歩いていた。今いるのは娼夫たちの生活している居住エリアの三階であり、ここから連絡通路を通って本館に向かっていたのである。
「紋章士の使う魔術の中に、宣誓魔術があります。魔術の発動時に宣誓した内容を規定時間の間強制させる効果がある、契約魔術の亜種です。殿下は今、クルエラにとって王国を脅かす敵対者に他なりません。これを使って誠実さを見せることで、少しでも相手の心象をよくしたいんですよ」
もちろんそれだけではありません、と続ける。
「宣誓魔術には、こちらの宣誓の他に両者ともに遵守する規則を制定することができます。これでお互いに虚偽の発言を行えないようにして、少しでもこちらの不利を潰したい」
「不利を潰す? 有利を得るのではなく?」
「それは望み過ぎです、殿下。あくまで宣誓魔術はこちらの誠意として見せるもの、こちらが一方的に有利になる行為に誠意も何もないでしょう」
言いつつ、三番目の角を左に曲がり、扉の先の階段を抜けて降りた先を反対方向に向けて歩き、右の扉を開けて隣の通路に出る。
「クルエラは俺の知る限り最も優れた人物です、驚くほど頭が回り、勘が冴え、嗅覚が鋭い。彼女が本気でこちらを煙に巻こうとすればこちらには逆立ちしたって勝ち目はないでしょう。だからこそ、殿下はまず敵対する意思がない事、娼館を害する意思がない事、誘拐事件について調べに来ただけであり、その過程で得たいかなる情報も娼館に対し不利になるような使い方はしないことを宣誓して誠意を示してください。その上で互いに嘘をつけないというルールを定め、話し合いの準備を整えてからこちらから娼館に提案できる利を差し出すんです。最善は事件の決定的な証拠を暴き出すことですが、欲をかくことは死につながるでしょう。まずは次善、ここからの五体満足の脱出を目的とすべきです」
「……随分と、クルエラの―――彼女の肩を持つんだね」
「勿論でしょう」
連絡通路へとつながる扉に手をかけて、俺は殿下の方を振り返った。
「殿下の行い、その覚悟と愛には敬意を表しますし、その人間性もはっきり言って大好きですよ。ですが、あなたと私の間にあるそれは昨日今日生まれた信頼関係です。クルエラは確かに傲岸不遜でおっかないしちょっと何言ってんのかわかんない時もありますが、俺は仕事を対価として彼女に真っ当な生活を保障してもらっています。一娼夫としては考えられない厚遇を受けていますし、恩義を感じています。たしかに非合法の娼館ではありますし、俺もなかなか過酷な仕事をしてきた自負はありますが、それはそれとして、彼女は一度たりとも俺との約束を破ったことは無いのですから、彼女には感謝こそすれ、恨む道理もありません。本当なら彼女と争いたくはないんです―――だからこそ、あなたがこの娼館を潰しに来たわけではなくて安心しましたが……殿下? 聞いてます?」
「す、好き……大好き? バルディンさんが、ボクを、うへ、うへへへ……」
「でぇんかぁ?」
だーめだこれ俺の話したいこと一つも伝わってねえわこれ。
正直なところもう男だろうが何だろうが俺に好意を持ってくれるというのは大変うれしい。うれしいのだが、だが、だ。もうちょっと時と場合を考えてほしい。全部終わった後ならいくらでも付き合ってあげるからもう少ししゃんとしてくれ殿下。
俺は深くため息をつきながら連絡通路の扉を開ける。
「まあとにかくですよ、クルエラは凄い人だ。今言ったことを全部やったうえで話に持ち込めたとして、勝率は一割もないでしょう。俺の方である程度サポートはしますが、それでも結局は殿下の申し開きと、殿下の差し出せる条件次第なんです。そこのところは分かっていますよね?」
「あ、ああ、うん。分かっている。むこうの欲しているもの次第ではなるが、ある程度までは王太子の権限で何とかして見せるよ」
「左様で」
壁の無い、館と館を繋ぐ連絡通路に冷たい夜風が吹き抜ける。
「まあそれもこれも紋章士を抱き込めるかどうかにかかっています。紋章士の宣誓魔術と言う、絶対不可侵の公平性があって初めて俺たちはクルエラに誠意を示せるんですから、殿下も紋章士の説得手伝ってくださいよ」
「うん、任せてくれ。ボクはやるときはやる男だからね」
ふんす、と自信ありげに鼻を鳴らす。かわいい。チュウしたい。
「いやそうじゃないそうじゃないな俺」
危ない、俺はもう本当にチョロい奴なので目の前にいるこのかわいい生き物が俺に好意をぶつけてくるというだけでころっと絆されて手を出してしまいそうになるのだ。相手は次期国王だぞ、というか男だぞ。落ち着きなさい俺。
「はぁ……ところで、殿下は雇われたという紋章士に心当たりはありますか?」
「心当たり?」
「ええ、紋章士なんてもんはそうそういないですから。王太子殿下ともなれば、例えば宮廷魔術師とかそういうので心当たる人物はいないんですか?」
俺がそう尋ねると、殿下はうーんと唸る。
「王宮には紋章士は二人いるが、流石に彼女たちもここに雇われたりということは無いだろうし―――そうすると、彼女かなぁ」
「おや、思い当たる人物がおありで?」
「うん、一人だけ」
殿下はしばし考え込むようなそぶりを見せて、小さく頭を振る。
「今更機密だなんだと言っている場合ではないね……バルディンさんは、召喚の儀については知っているかな」
「召喚の儀、ですか」
確か、遠く昔に失逸したという、異界より特定のものを呼び出す儀式、だったか。
「一応、触りくらいは、その儀式がどうかしましたか?」
「その儀式で呼び出された少女が、どうやら紋章魔術の適性を持っていた様なんだ」
少し言いにくそうに殿下は説明してくれた。
この王国では、古より国難に際し召喚の儀で「聖女」と呼ばれる特殊な力を持った人物を異界から呼び出していたそうなのだ。他力本願かよ、と思ったが、聞くところによれば、召喚の儀により呼び出されたものは皆特殊な力を持ち合わせているのだとか。追い詰められた状況で、それを打破できる能力を持った人間を呼び出せる力があるとするならば、それが正しい事なのかはともかく、その魅力に抗うのは難しいだろう。
そして、殿下が言うにはこの一か月ほど前に、第一王女派の者たちが独断で召喚の儀を行い、二人の女性が呼び出されたのだそうだ。一人は聖女で間違いなかったのだが、もう一方の女性は、特殊な魔術の適性を持っていたが、聖女ではなかったとして王宮で持て余していたそうなのだ。
勝手に呼び出しておいて勝手に持て余すとか勝手にもほどがあると思うのだが、ともかくその聖女で無かった方の彼女が、紋章魔術の適性を持っていたらしい。
王宮魔術師が引き抜かれることは無いそうなので、国内から見つけてきたというのであれば、間違いなく彼女だろうということだ。
「勝手に呼び出しておいて、最低限の食事の世話くらいしかしていなかったそうだから、クルエラがスカウトしていたなら彼女は間違いなくすんなりとクルエラに従っているだろうね」
「……そんな自分勝手なやりたい放題してるんですか? 第一王女は」
そう尋ねると殿下は苦笑いをした。
「まあ、この国だけじゃないけど、力のある貴族や王族は平民とか他国の人間に対しての扱いが雑だからね。異世界の人間ともなれば、まあそれはそれは……」
殿下の言葉に思わずげんなりする。件の彼女がどこの世界から来たのかは知らないが、異邦人と言う意味では俺と似たようなものである。俺は名も知らぬ同胞に小さく同情した。
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