第9話 チョロい男

「まあとにかくです。ちょっと必要以上に盛り上がっちまいましたが、現状を把握しておきましょう。いいですね? 殿下。…………殿下?」

「あ、う、うん! そうだね、現状を把握しないとね、うん」


 殿下は先程まで青ざめていたその端正な顔を真っ赤に染め上げながら、あたふたと答えた。そうした後、またじりじりと俺に身を寄せ、ぴっとりと俺の体に寄り添うようにして俺の手をすりすりと触ってくる。鼻息が当たるくらいの距離から、俺の顔をじいっと見つめながら、殿下はぽうっとした顔でそうだね、うん、そうだね、と心ここにあらずといった様子で呟いていた。

 どうしよう、殿下が壊れてしまった。


「あの、殿下? 本当に大丈夫ですか? 一旦横になって休みますか?」

「うぇっ!? よ、横に!? や、休み!?」


 俺の言葉に殿下は更に顔を赤くし、細くてきれいな手で顔を覆って身を捩った。


「ええっ気が早すぎるよ、でもでもっ、彼はそういう仕事をしてる人だし、これくらいのスピード感で関係進めちゃうのかなっ、ど、どうしよう一回お風呂にいってきたほうがいいのかな」

「なんか良くない勘違いをしてませんか殿下」

「えっ……?」


 いけない方向にヒートアップしつつあった殿下をたしなめると、殿下は何かはっとしたような様子で、照れたように頭を掻いた。


「そ、そうですよね。バルディンさんがその、すごくかっこいいのでてっきり……」

「? まあやく分からないですけど分かってくれたなら……」

「ま、まずはチュウからですよね……」

「マジで何いってんだこの色ボケ王子」


 頭がくらくらしてきた。さっきまでの緊迫した雰囲気はどこへやら。すっかり頭の中までピンク色に茹だってしまった色ボケ王子はずっとこんな感じで話にならないのである。本当に壊れちゃったのかな?


「あのですね殿下? 確かに俺は殿下の助けになるつもりではありますが依然として俺たちが窮地に立たされてるという現実は変わってませんからね? ここからですからね? なんかもうすっかりエンディングまで走りきったみたいな顔で俺のことじっと見つめてきてますけどここからがしんどいんですからね?」

「うん、うん」


 だ、駄目だ。これは完全に壊れてしまっている。まるで恋する乙女と言わんばかりのうっとりとした艶っぽい視線が俺の顔に突き刺さる。いやおかしいって。なんだこうなってしまったんだ? そもそも俺達は男同士では?

 そこまで考えて、ふと思い出す。そうだ、ここは色々と男女間の考え方やなんかが逆転していたのだった。相互理解のためには相手の気持になって考えることが肝要なのである。向こうが勝手に壊れたように見えても、相手の気持を知り互いに歩み寄るためにはそれが必要なのだ。


 というわけで先ほどの出来事をまたもや男女逆転して考えてみよう。

 何かのために覚悟を決めて危険な娼館に飛び込んだお姫様が、絶体絶命もうどう手を尽くしても好色キモデブスケベ貴族の慰み者になるかもしれない危険な状況に立たされたと。そこで突然先輩娼婦がぎゅっと自分を抱きしめて君はひとりじゃない私がついているきっとなんとかしてみせると強く励ましたと。恐らくこんな危険なことを彼女本人がしているところを見るに周りからの理解を得られない中での凶行と察せられるが、そんな彼女の無謀な行いにも強く感銘を受けたのだとそれを肯定して手を強く握って―――


「うーんいやちょっとこれは俺も悪いか……ちょっぴり悪いかもな……ほんの少しは俺が悪いという見方も出来るかもしれんな……」


 立場のようなもの以外も、色々と逆転している世界だということを忘れていた。お姫様とか白馬の王子様とか、そういういわゆる乙女的な趣味嗜好、憧れのようなものは、この世界では広く男が宿す考え方である。つまりこの世界の男は見た目も心もほとんど乙女なのである。俺はもうずっと俺のままなので失念していた。

 乙女的なハートを持っていると仮定したうえで先ほどの俺の行動を見返してみるとこれはかなりまずい。俺としては尊敬できる盟友とも言うべき相手に対し激励を送ったようなつもりでいたのだが、これはもしかしなくても俺口説き落としにいってないか? 未来の国王を口説き落としてないか? あれだけの恐怖のどん底にいた人間を一気にピンク色の花畑みたいな乙女心満開状態に引き上げてしまったのではないか?

 もう本当にそういうところだぞお前。後先考えずにその場の勢いだけでどうにかしようとしやがって。結局自分でも考えてなかった方に話が転がって頭を抱えてしまってるじゃないか。

 いやまあ確かに今後世界の大いなる流れを乱す存在と戦うことを考えれば王太子と仲良くなるという結果だけ見れば悪くはないぞ? でもそれはあくまでこの娼館をなんとかできてからの話だし、そもそも男に好かれたってどうしろというのだ。俺はえっちで可愛くて俺のことを愛してくれる女の子としこたまえっちしたいわけであって別に男同士で―――いや待てよ、殿下の場合えっちで可愛くて俺のことを愛してくれるところまで条件クリアしてないか? しこたまえっちについても向こうは乗り気だしこうなってくると男か女かなんて些細な違いじゃないか? 普段俺が仕事してる相手のことを思うと殿下は可愛いとかそういう次元じゃないしついてるとかついてないとかって気にする必要ある? 無いんじゃない? 確かに現状の把握も必要かもしれないけどその前に殿下の穢れない身体を今のうちに味わっておくのも悪くないかな悪くないよねよし俺のオチ―――


「っと頭冷やしてきまーす」

「えっ、あ、うん」


 ざっざっざっ、ガチャ、キュッ、ザァーッ。


「どわぁ冷たっ!!」


 キュッ、ぐしぐしぐし、ガチャ、ざっざっざっ。


「頭冷やしてきました」

「物理的に頭に冷水かけてくる人は初めて見たかな……」


 危なかった。本当に危なかった。殿下はなんかこう全身からヤバいフェロモンでも出してるんじゃないだろうか。あり得る。王族の男だし、貴重な血を残すためにそういう特殊能力を持っていてもおかしくはない。

 確かに俺は世界一スケベな男を自称しているがさすがにこういった状況で自重するだけの自制心はあるしそもそも俺は男に興味がないはずだ。俺は女の子が好きなんだ。女の子の柔らかい体に抱きついたりそのすべすべの肌を撫でたりうわなんだ突然柔らかくてすべすべした腕が俺の体に触れてあっ


「―――ぶね!」

「うえっ!?」


 念の為桶に汲んでいた冷水を頭から被る。あ、あぶねぇ……何なんだよ殿下はよ……淫魔か何かなのかよ……。絶対魅了とか発情とかそういう能力隠し持ってるだろ……このセクシャルモンスターがよ……。

 いやしかしどうして急にこんなに殿下のことがえっちに見えてきたんだ?

昨日までは普通に俺が風呂に入れて体の丁寧な洗い方とか教えてたけどその時は何ともなかったぞ? というかほんのついさっきまで何とも無かったじゃないか。だというのにどうして急に……急に……。


 ――あれ俺もしかして愛に飢えすぎて体目当てとかじゃなく純粋に俺のことを好きでいてくれてるんだなって認識するとそれだけで辛抱ならなくなっちゃうの? それだけで俺も好きで好きで我慢できなくなっちゃうってことなの? いや流石にそれはチョロいとかいうレベルの話ではなくない? 

 いやでも現状これか殿下の体からなんかフェロモン出てるかの二択だから信憑性は高いのか……そうか……俺ってチョロかったのか……言われてみれば俺ってそれまでどんな扱い受けてようが実は愛してたからなんですって言われただけで即オチしてるからチョロいなんてものじゃなかったわ。そっかぁ俺ってチョロい男だったのか……。

 そんなバカなことを考えつつ、俺は極めて平静な姿を取り戻して声をかけた。

 

「よし、落ち着きましょう殿下。平常心です」

「いや今はちょっとバルディンさんのほうが平常心失ってたと思うけど―――」


 度重なる俺の奇行に、流石に殿下も冷静になったのか落ち着いて俺から手を離した。そしてちょっと離れたところに座り直す。

 …………うん、計画通り。計画通りだからこれ。完璧。完璧だから。これを狙っての行動だったから。……泣いてないから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る