第8話 愛の為に

「いやーどうすればいいんだろうねこれ」

「…………」


 あの後何事もなく部屋に戻された俺とクロウ殿下は、部屋の中で呆然としていた。

 俺としては本当に寝耳に水。仕事から帰ってきたら突然腹を刺されたくらいの衝撃で、今必死に今後のプランの変更を練り直しているところだが、計画を看破され逃げ道を立たれた王太子殿の動揺具合は俺の比ではなかった。


「な、なあ殿下? 大丈夫か?」

「ど、どうしよう、ばれてた? いつから? 契約紋を刻まれる前に逃げ出せば……いやでもばれてるならもう警戒されてるはず」


 顔面蒼白といった様子でぶつぶつと独り言を繰り返している。俺のほとんど見えない呪われた目でもパニックに陥っているのが理解できたほどだ。

 まあ、当然と言えば当然か。クルエラと言う女は、自らを女王と名乗り、この娼館を王国と呼ぶくらい傲慢な女だが、それが全く気に障らない程のやり手だ。

 俺がここに来た数年前にどこかから現れて潰れかけだったこの娼館を買い取り、法に反したやり方ではなったもののこの国の有力貴族たちを次々と抱き込んで規模を拡大。周りの土地を買い上げ増築に次ぐ増築を重ね、いまやこの娼館は巨大な要塞のような、迷宮のような魔窟と化している。娼館に努めている私兵の数と練度は王国の正規軍とすらまともにやりあえるほどでだし、そもそもクルエラはここの顧客について知り尽くしている。後ろ暗い国の重鎮はこの娼館を攻めることさえできない。

 まさしく「王国」。一個の独立した国家と言って差し支えない程の組織である。

 それをたったの十数年で作り上げたクルエラは、俺の知る限り最も賢く冷酷で計算高い女である。そんな女の棲家に単身乗り込んできた度胸があっても、彼女に直接見据えられ、その企みを暴かれたのだ。その恐怖は察するに余りある。大丈夫なはずがないのだ。


「殿下、落ち着いてくださ―――」

「きゃあああああああああ!!」

「うわっ」


 心配した俺の手が肩に触れた瞬間、クロウ殿下は飛び上がるように反対側に飛びのき、そのまま腰かけていたベッドの上に転がって両手で肩を抱いてガタガタと震えた。


「―――失礼しました、殿下」

「はぁ……はぁ……い、いや、いいのだ。気にするな」


 虚ろな目で何とか呼吸を整え気丈にふるまうが、体の震えは収まらない。歯はがちがちとなり、顔面にびっしりと冷汗が浮かんでいた。


 ―――無理もない。これからのことを考えれば。


 俺はなんだかんだでこの仕事を楽しんでいる節がある。そりゃあ基本的にはやばめの怪物連中とド迫力のバトルを繰り広げる羽目にはなるが、王国一の娼館のナンバーワン娼夫ということもあり、娘をひとつ女にしてやろうという親心で金のある商家やそれなりの貴族の子女が処女を捨てるため姫初めに来ることがあるのだ。完全な役得である。前世の貞操観念からしてみるとご褒美みたいなもんでうっひょひょいと言った感じだし正直それを楽しみに毎日仕事してる節もあるくらいだが、そんなことを言えるのは俺が前世の価値観のままこの世界に来ているからだ。

 つまるところ男女の立ち位置を変えてみればいいのだ。ここは非合法の娼館。王国の有力貴族も顧客になり国も手が出せない実質独立国家のような無法地帯で、まだ二けたにもなっていない女の子たちが連れてこられる。そうして、ひととおりの訓練を受けた物から、化け物みたいな贅肉塗れのおっさんや性に狂ったジジイ共の慰み者にされ、あげく金持ちや貴族の子息の童貞を捨てるためにとその体を弄ばれるのだ。

 …………そうして考えると、ここでの生活もそんなに悪くないよなとか抜かしてる俺ってやばい奴じゃない? というかそんな魔窟で一番なの俺? なんだかんだ前世の価値観でまあ仕事だけど女抱けるならありかなぁとか思ってたけどこの世界の価値観で見ると俺って相当悲惨な人生歩んでないか? ここにくる子たち大体みんなしばらくしたらやつれるか目が死んでるかしてるよなーとかのんきに思ってたけど冷静に考えたら俺がおかしいだけなのかこの職場。いやまあ一応俺も他の子がつぶれないようにやば目の客は俺に回すようにクルエラに伝えてあったし他の子はそんなにひどい目にあってないよね? いやひどい目にあってなくても男女を入れ替えて考えてみたらおかしくなって当然だわ。やばいところだったわここ。


「……ってことは、だ」


 目の前の王太子についても考えてみよう。彼がつまり彼女だったとした場合だ。

 目的は不明だが、きっと何か大変な理由があって、絶世の美少女と目される彼女が、身分を偽り単身この魔窟に挑んだと。実際にハードすぎる仕事をしながら仕事について俺から教わるのも大変な恐怖だっただろう。なにせ娼館一番人気の俺がそんな目に合うのだから、鳴り物入りで入ってきた自分が一体どんな目にあわされるのか想像するのは恐ろしい事だろう。

 しかし、まあ当たり前と言えばそうだが、彼女は当然何かしらの策を以てここにきていたはずだ。すると、あくまでもこれまでの恐怖は「失敗したらこうなる」というリスクでしかなかった。だから平静を装えていたのだろうが状況が変わった。

 この恐ろしい魔窟の支配者であるクルエラと言う男は、自分の計画などとっくに見抜いていて、絶対に逃げ出せない様に契約紋章と言う文献でしか見ないような貴重な魔術を扱える人材を用意していた。彼女はグリフォンの巣に飛び込んだウサギなのだ。最早逃げ出す手立ては残っていない。そうなるとこれまであくまでリスク、回避できるものとして想定していたおぞましい数々の出来事が、これ以上なくリアルな、「必ず訪れる未来」として今彼女の目の前に現れているのである。

 何かの為に決意を固めて飛び込んだ彼女を待っているのは何なのだろうか。間違いなくクルエラは彼女の身分をほのめかすだろう。声高に王女であるとは宣言しないだろうが、よく似た少女だ、などと遠回しな言い方で好事家に売り込むだろう。そうすれば醜く肥え太った悪徳貴族―――とくに普段の彼女を知る者などに滅茶苦茶に凌辱されることになるのだろう。悪徳貴族なんてものにとって正義感の在る王族ほど面白くないものはない。これ幸いにと犯され、辱められ、凄惨な目にあうだろう。


「……殿下、殿下」


 俺は本当にバカ者らしい。前世で嫌と言うほど味わい、何なら死んだ後もバカだなぁ俺はと悔やんだが、死んでも治らないバカだったようだ。目の前の人物が、小さく震えて涙を流すこの人物が、どれほどの覚悟で、どれほどの決意でここに来ているのか、男女を逆にして考えないと分からないなんて。俺の脱出に邪魔になるから、今は知らぬふりをしようと、関わらないでいようとしていたなんて。


「っしゃあ!!」

「きゃっ」


 バチーン、と大きな音が鳴る。俺が自分の頬を強くひっぱたいた音だ。


「殿下!」

「ひゃ、ひゃい」


 俺はがしっと殿下の両肩をつかんだ。―――線の細い肩だ。強く握れば折れてしまいそうで、とても俺と同い年とは思えない、可憐で弱々しい少女のような体。こんな小さな体の、どこにこれだけの覚悟を秘めてきたのか。どこにこれだけの勇気を隠していたのか。


「大丈夫です、殿下」


 結局これなのだ。俺はこれしか知らないのだから。俺は飛んだ大バカ野郎なのだから。これしかできないから、これをするのだ。


「あなたが何のために、どうしてこんな恐ろしい場所にやって来たのか俺にはわかりません。わかりませんが、大丈夫です。殿下。


 俺は、殿下の体の震えを鎮めるように、その小さく冷え切った体に俺の燃え盛る熱を宿すように、しっかりと肩をつかみ、鼻先が触れあってしまいそうなほど顔を近づけて、言った。


「あなたは確かに今窮地に立たされています。これから先の未来を思えば恐ろしくて震えてしまうでしょうが、大丈夫です。少なくとも殿下は一人ではありません。俺が付いています。だから大丈夫です。殿下」

「―――あ」


 自分自身にも言い聞かせるように、強く、強く、呪文のように唱える。


「大丈夫です。クルエラがどこまで知っているのか、どこまで探っているのかは知りませんが、大丈夫です。紋章士による契約紋章がどれ程のものか分かりませんし、どう対策していけばいいのかもまだ思いつきませんが、大丈夫です。この娼館はバカみたいに増改築して迷路みたいな要塞で、正規軍にも引けを取らないクルエラの私兵が大量に詰めていますが、大丈夫です。ここに来る客はほとんど全員ろくでもない性欲に支配された化け物みたいなババアばかりできっと多分いや間違いなくひどい目に合わせに来るでしょうが、それでも大丈夫です」


 すうっと息を吸い込んで、肩から手を放し彼を強く抱きしめる。


「俺がここにいます。十年以上ここで働き続けてきた俺が、クルエラよりもよっぽどここに詳しい俺が、俺がいます」


 ぎゅうっと、苦しくなるくらい力を強める。


「―――すごい、からだ、だね」

「そりゃあ鍛えてますから。皆からは変わり者って言われますがね」


 嗚咽交じりの声ではあったが、殿下の口がゆっくりと開かれる。


「どうしよう、どうしよう、ボク、ボクとんでもないことになっちゃった」

「大丈夫です。俺が付いてますよ」

「契約の紋章なんて、あんなのどうしようもないよ」

「どうにかするんで大丈夫です。俺がいるんですよ」

「ボク、ボクがなんとかしなきゃって思ったんだ、それで、でも、こんな、どうしようもなくなっちゃって」

「ところがどっこいどうしようもありますんで大丈夫ですね。俺もいますし」

「バルディンさんの仕事見てて、こわくて逃げ出したくなっちゃって、覚悟してたはずなのに、結局ボクは自分が可愛くて、だめだ、だめなやつなんだ、ボクは」

「男なら誰だって嫌ですよこんな仕事。自分が可愛いのだってみんなそうなんですから大丈夫です。俺がおかしい奴だっただけですし、こんなおかしい俺がついてますよ」


 弱々しかった鼓動が、少しずつ強くなり、冷たい彼の体から、ほのかに熱を感じられるようになった。俺が彼を抱きしめていた手を離すと、彼は少しだけ名残惜しそうな顔をしていた気がするが―――俺は目が悪いので見間違いだろう。


「バルディンさん―――いいや、バルディン殿」


 ぐしぐしと涙を拭って、殿下は俺の顔をじっと見つめた。


「あなたは、ここで不動の地位にあるはずだ。ここにいれば、過酷な仕事だろうが、それでもあなたは安泰のはずだ。ボクに力を貸す理由なんてないだろう。それどころか、あなたの立場すら危うくなる、最悪死ぬよりひどい目に合うかもしれない。それでも、見ず知らずのボクに力を貸してくれるのか?」

「勿論ですとも」


 まっすぐに見つめ返す。


「何故? 何故そうまでしてくれる? あなたはボクの目的を知らないはずだ。ボクに手を貸す理由などないはずだ。王家に恩を売れると考えているのだとしても、それは無事にここから脱出出来てからの話だ。あなたの申し出はありがたいが、それでもボクはあなたの行動の真意が分からない。クルエラが僕を油断させようとして差し向けているのかもしれない」


 殿下の言葉から、彼の不安が伝わってきた。ここまで来て尚、信じきれないほどに彼は今追い詰められている。――その一端は、彼を見なかったことにしてやり過ごそうとした俺にもある。だが、俺の頭では今の彼の猜疑心と言うモヤを振り払ってあげられる気の利いた言葉などは思いつかなかった。だから、だから俺の素直な本心をぶつけることにした。俺はバカだから、これしかないんだ。


「愛です」

「…………あい?」


 俺の返事に、戸惑ったように声を裏返していたが、俺は構わず続ける。


「信じられないかもしれませんが、俺は一度死んでいます。これは二度目の生なのです」


 端から信じてもらえるとは思っていない。俺の本当の想いを伝えなければならないから伝えただけだ。


「前世で俺は、愛を求めて生きました。ただ愛が欲しかった、ここにいてよいという赦しが欲しかった。ただ愛されたかった。そして、愛のために死にました。俺に向けられた不器用な愛に、俺が気づけなかったばかりに」


 殿下はだまって俺の話を聞いている。


「死したのち、冥界にて兄弟からの愛を知りました。欲しい欲しいとねだるばかりで、俺は自分がもうそれを得ていることに気付かなかった。確かに不器用な愛でした。回りくどい愛でした。正直ほかにいくらでもやりようはあるだろうとも思いましたが―――それでも、それは確かに俺の求めた愛だったのです」


 この十八年、この世に生まれ落ち、この娼館で日々を過ごしながらも、心の中で確かに熱く燃えていたものがあった。それを、言葉にして、吐き出す。


「俺には使命がありました。俺はその使命のためにこの世界に生まれ落ちたのです。ですがその前に俺は、愛の為に罪を犯しました。俺の為に涙を流す兄弟たちに、愚かな愛を、暖かな愛を持っていた彼らにもう一度会いたいと神に願ったのです。願いは果たされ、代わりに俺はその罪を呪いとしてこの身に受け生まれ落ちました。この全身を覆う黒い痣が、その呪いの証です」


 彼の小さな手を、ぎゅっと握る。


「俺は愛を求め生き、愛の為に死に、愛に報いるため罪を犯し―――呪われました。けれど、この呪いすらも、愛なのです。俺の為を想い、俺の為に泣いてくれた大切な神様から頂いた愛なのです。だからこの人生は、愛の罪を贖い、愛の呪いに報いる為の旅路なのです。俺の魂の旅路はいつだって愛と共にありました。この二度目の人生もまた、愛の為に生きているのです」


 殿下のお心に、俺の言葉は届いているのだろうか。急にこんなことを言われて、困ってはいないだろうか。そんなことを考えながら、それでもバカな俺は、どうしようもない俺は、思ったことしか言えないから、言葉をつづけた。


「殿下の行いの、その理由はわかりません。俺はとんだ大バカですから。ですが、そんなバカにも分かることがあります。こんな恐ろしいことは、こんな無謀なことは、自分の利益のために行えることではないという事です。それならばきっと、これは誰かのための行いなのです。誰かの事を想ってなされたことに違いないのです。ならば、ならばきっとそれは―――愛です。愛なのですよ、殿下。俺はあなたの決意に、覚悟に、勇気に、愛を見出したのです」


 握りしめた殿下の手を、彼の胸元まで持ち上げる。俺はそれを外側から両手でぎゅっと握りなおした。


「あなたは誰かの為に、愛の為に、こんなにも恐ろしいたいそれたことをしたのだと、俺はそう感じました。だから俺は力を貸します。俺にできることなら、なんだって惜しみはしません。クルエラは強大で恐ろしい敵です。この娼館もまた魔窟でしょう。ですが、それが何だというのですか。そんなものは俺が蹴散らして見せましょう。ぶっ飛ばして、投げつけて、しっちゃかめっちゃかにして、そして、殿下の助けとなりましょう。あなたが誰かの為を想い、その小さな体に信じられない程の勇気を詰め込んでここに来たのなら、俺はあなたのその暖かな愛に応えましょう。俺はそのために生きているのです。ここであなたの愛が欲望と謀略に絡めとられ散り果てていくことを指をくわえて眺めているようでは、そんなものは生きている甲斐がないですから」


 もう一度、もう一度その言葉を紡ぐ。


「だから大丈夫です、殿下。俺がいます。愛の為にその身を投げ出したあなたを、決して一人にはしませんとも。正直ぶっちゃけどうすればあの女王を出し抜けるのかさっぱりわかりませんし、もう数日も時間は残されていないでしょうが、でも、大丈夫です」

「―――うん」

「俺が付いてますよ、殿下」

「―――うん、うん」


 俺の言葉をかみしめるように、殿下は何度も頷いた。ぽろぽろと大粒の涙をこぼしながら、なんども、なんども。


「分かってくれましたか。それはよかった」


 俺はそう言って殿下の涙をハンカチで拭いた。


「ほら、殿下は大変可愛らしいんですから、泣いているより笑っている方が素敵ですよ―――まあ俺は目が悪いので見えてはいないんですけど、きっとそうです」

「―――うん、そうだな」


 そういって、彼は優しく微笑んだ。


 ―――なんだか、俺を見つめるその視線がやけに艶っぽかったというか、熱っぽかった気がするのは、きっと気のせいだな。うん。

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