第7話 紋章士

「あーっと……なんて言いました?」

「紋章士を雇った、と言ったのだよ。貴様なら一度聞いただけで理解できるものと思っていたが?」

「いやぁほら、聞き間違いかもしれませんし」


 たらりと嫌な汗が頬を伝う。ここは館長室―――クルエラは、謁見の間と呼ばせているが―――であり、俺はクルエラに呼び出されてここに来ていた。クロウも一緒である。クルエラはなんというか教養があるので俺としては話してて楽しい人物ではあるのだが、彼女の口から飛び出してきた言葉が問題だった。


 紋章士。取り寄せた文献で見かけたことがある。通常、魔力により錬成した陣―――魔法陣を描くことにより魔術を発動するのがこの世界の魔術士である。紋章士とは、紋章と呼ばれる特殊な魔法陣を扱う魔術士のことで、この高度な魔法陣は通常の魔術よりもかなり柔軟に融通が利き、独自の魔術を開発することができる数少ない魔術士である。

 その特異な能力から一目あってみたいものだとは思っていたが、それは娼館から出てからの話である。この娼館の中では絶対に会いたくはなかった。紋章士は出来ることが多いが、娼館なぞで使うような使い道となると自ずと候補が絞られてくる。


「契約紋章の魔術……ですかね?」


 俺がそう口にすると、クルエラは満足げに「うむ」と頷いた。


「やはり貴様は理解が早いな。男にしておくには惜しい」

「それはどーも……」


 最悪だ。もう本当に最悪だ。俺はここで思いっきりため息を突いて地面を転げまわってしまいたい気分だったが、へその下にぐっと力を込めて耐えた。


 契約紋章魔術。紋章魔術最大の特徴である「純粋なエネルギー体である魔法陣を物理的に物体に刻むことができる」という特性を生かした恐ろしい魔術である。

 通常の紋章魔術は、独自に内容を書き換えた魔法陣を道具や武器に刻み魔道具を作成するのにつかわれるが、契約紋章魔術は、契約者当人の肉体に魔法陣を刻む。契約の強制的な履行や、契約に反した行動を行えないようにしたりなど、かなりやりたい放題できる恐ろしい魔術なのだ。

 そんなものを使える魔術師をわざわざこの娼館で雇用した。それがつまりどういうことかというと―――


「貴様も知っての通り、人間というものは信用のならんものなのだ。だが、魔法陣による魔術は、正しく行われれば必ず正しい結果を導く。ならば、余の王国の臣民たる貴様たちにをその身に刻んでもらおうと思ってな」

「あ、あはー。それは素晴らしいお考えですねー」


 やばい。

 もう本当にやばい。

 俺の「娼館と言う安全な場所でトレーニングをしつつ知識を蓄えて来るべき戦いに備えよう大作戦」は、いずれこの娼館から脱出することを前提に成立している。

 しかし、契約魔術を刻まれてしまえば俺はこの娼館の女王と交わした契約を破ることはできなくなってしまう。―――つまり、自分を買い戻すか身受け先を探さない限り一生この娼館から出られないということだ。


「随分と青い顔をしているではないか」

「いやー、ほら、あれです。おしろいを塗りすぎちゃったノカナ? あはははは……」


 俺が何とか笑顔を取り繕って返事をすると、クルエラは鋭い眼光を俺―――ではなく、俺の後方に向けた。


「そら、貴様も何か言い返してみたらどうだ? 殿?」

「!?」


 ビクッと大きく震えあがるクロウ。クルエラの様子からして、紋章士の導入は俺の脱走を見越してのモノではなくクロウを警戒しての事だったのか? 確かに俺から見ても分かるくらいに彼は何かの目的があって潜入してきたように見―――待てよ。


「で、殿下ぁ!? クロウ殿下ってまさか、クロウ・ノクトゥス・ヴァネッサ王太子殿下なんですかぁ!?」

「まさか、気づかれていたとは……」


 俺の言葉に、俺の後ろで控えていたクロウ―――いや、クロウ殿下は、悔しそうに歯噛みした。

 クロウ殿下と言えばこのヴァネッサ王国の王太子、すなわち次期国王であらせられる。身のこなしや立ち振る舞いから高名な貴族かなにかだろうとは思っていたが、まさか王太子だったとは。え? いやうそでしょ? 冗談だよね? いくら何でもどんな目的があったとしても王太子殿下が娼館なんぞに潜入するはずないよね? というか潜入っつってんのに名前そのままで来るはずないよね? いくらなんでもそんなことありえないよね? いや本当にマジでうそだよね?

 そんな期待を込めてクルエラの方を見やるが、うすぼんやりとしか見えなくともその気迫からこれが冗談でも何でもないことが伝わってきた。


「え、えー……ま、まじで王太子殿下なんですか?」


 最後の望みをかけてクロウにそう尋ねる。


「……はい、騙していたことを謝罪します。バルディンさん」


 クロウ殿下は申し訳なさそうに唇をかんだ。

 えっ……? いやマジでマジなの? え? いやだって……え?


「ふむ、バルディン。貴様はいつも背伸びをして必要以上に利口そうにふるまっているが、こういう時に慌てふためく貴様の姿はなんとも愛らしいものだ。我が王国一の稼ぎ頭であるだけのことはある。―――つくづく、男にしておくには惜しい」

「えっありがとうございます」


 いかん。つい反射的に礼を言ってしまった。前世からの悲しい習性なのだが俺は褒められたり認められたりと言った経験に乏しいので褒められると無条件で嬉しくなってしまうのである。

 そんな俺の姿が、「威嚇して強そうに見せてくる小型犬を撫でたらすごい尻尾振ってくる感じに見えて可愛い」だのなんだのと客や娼館スタッフから聞くのだが、俺ってそんな感じなの? マジで? 俺としては孤高の一匹狼的なスタンスでやらせてもらってるつもりなんですけど?


 って違う。そうじゃない。俺が可愛いとか可愛くないとかそういう話は今どうでもいいから。


「貴様が何を嗅ぎまわるつもりでここにやってきたのかは知らないが、貴様は潜入するために身分を偽りこそすれ、こちらと正式に契約を交わしている。つまり、今貴様に契約魔術を行使すればどうなるかは分かっているな?」

「くっ……」


 クルエラの言葉に、クロウ殿下は焦りをのぞかせた。彼も契約魔術については知っているようだ。……契約を交わした? 正式に? ここって非合法だし契約なんてないんじゃなかったのか? 少なくとも俺は交わした記憶がない。いやまあ俺がここに来たのはかなり昔なので今は違うのかもしれないが。


 ……ともかく、これで今回の全容が明らかになってきた。

 どういう理由があってこんなことをしているのかは知らないが、何故かこの国の次期国王であるクロウ王太子殿下は自らの身分を偽って娼館と契約を交わし潜入。

 それに気づいていたクルエラは、クロウ殿下を自由に泳がせながらクロウ殿下を完全な支配下に置くために、契約の履行を強制させられる紋章士を独自に探し出し雇用していた。ということか。成程。


 ―――――――――――あれこれ俺とばっちりじゃない? クロウ殿下が来たことで俺の計画ガタガタになってない? コレ相当余計なことされてない?

 俺が怒涛の展開に開いた口が塞がらなくなっていると、クルエラは静かに立ち上がった。


「まあそういうわけだ、クロウ殿下。貴様が何をしようとしているかなど今となっては些末なことだ。余は国の法にのっとった正式な形での契約書を基に契約魔術を行使し、何も問題の無い法的拘束力のある契約の下、貴様に娼夫として働いてもらうだけだ」


 クルエラは全てを見通しているかのような冷たい瞳で微笑んだ。


「精々頑張ってくれたまえよ。ここの客は曲者ぞろいだからな」

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