第4話 約束と、愛と
「それで本題に戻るですが」
「あ、うん。どうぞ」
デストーリアの言葉に素直に頷く。そうだった、ここが死後の世界で、目の前にいるのが冥界の神様であるという事は分かったが、何のために俺が冥界からこの境界という場所につれてこられたのかがまだ分かっていない。
「先程伝えた通り、あなたは英雄の魂です」
「そう、らしいね? いや自覚がないからあれなんだが……」
自覚があろうとなかろうと、英雄の魂である、と理解しているならいいです。そう言ってデストーリアは続けた。
「端的に言えば、あなたの役目を果たしてほしいのです。英雄としての責務を」
「責務?」
「はいです」
デストーリアはパチンと指を鳴らし、また冥界の水を引き上げて球体を造り出した。透明な球体にわずかに色がつき、その色が流れとなって流動を始めた。
「これを一つの世界とするです。世界の中にはいくつもの力の流れが存在し、それが絶えず流動することで世界全体の力の濃度のようなものを保っているです。ところが」
彼女がすっと手をかざすと、球体の水の流れがおかしくなり、流れが止まるところ、逆流するところが現れ始め、水の色の濃淡がはっきりと分かれていく。
「なんらかの原因でこの流れが乱れると、このように世界を構成する力が偏るです。そしてその偏りはやがて世界そのものの輪郭を乱し―――」
ぱしゃん、と水の球が弾けた。
「崩壊を招くです。英雄の責務とはこの流れを正すこと。魔王、邪神、異界からの侵略者、そして人々の暴走。流れを乱そうとする者たちは、流れを乱すという自覚のあるなしに関わらずその結果として大いなる力の流れを破壊し世界を崩壊へと導くです。英雄は、勇者として、冒険者として、指導者として、将として。様々な形でこれらに立ち向かうものなのです」
「えっ…と、ちょっと待ってほしいんだけど、俺がその役目を果たさずに死んだってことは俺のいた世界は……?」
不安になり尋ねる。
「いや、あの世界については心配する必要はないです。あの世界は今大きな変革の時期を迎えていて、その巨大な流れの異変を正すために多くの英雄が生まれているですから、あなた一人分抜けた程度では問題はないです」
「そ、そうか……」
俺の兄弟たちのいる世界が俺が死んだせいで滅ぶなんてことにならなくてよかった。いやしかしそうすると―――
「俺はもう死んでるだろ? 死んでしまっても俺のいた世界に問題がないって言うなら、俺にどうやって責務を果たせっていうんだ?」
そう尋ねたところ、彼女はまっていましたと言わんばかりにもう一つの球を造り出した。
「あなたのいた世界にあなたを蘇らせることはできませんです。なので、あなたのいない別の世界にあなたを生まれ変わらせるです。あなたの責務は、その世界で果たしてもらうです」
「別の世界?」
「はいです。我様の管理する世界は一つではありませんですから、あなたには世界の流れを正す英雄の足りていない世界に生まれて貰うです。そのために死者の安息の世界である冥界から、世界と世界を繋ぐこの境界へとあなたを連れてきたのです」
「生まれる……ってことは、赤ちゃんから?」
「はいです。生きていれば転送もできたですが、死んでしまっているので赤子からの生まれ変わりになるです」
赤子から……赤子からか。何とも実感のわかない話だが、そもそも死んで冥界に来てそこから引き上げられて女神様と話をしている時点でそんなことを気にしている場合ではないか。
「無論、ただでとは言わないです。あなたは本来その善き行いの報いとして冥界で安らかな眠りを享受するはずの魂ですから、相応の礼はするですよ」
「礼?」
「祝福を与えるです」
デストーリアの周りに円を描くようにばばば、と十三の火が灯る。
「あなたには、その生まれにちなんで十三の祝福として、十三の権能を与えるです。この権能はその一つ一つが神の領域に手をかける亜神の権能です。一つ持って生まれるだけで間違いなく英雄となるであろう権能を十三与える、これがあなたへの報酬である十三の祝福です」
「報酬……祝福……」
その言葉を聞いて、思わず考え込んだ。死んだはずの俺がわざわざ別の世界に生まれ変わり勤めを果たす、その対価としての報酬。なら、ならば、きっと、もしかしたら―――
「その、報酬ってのは祝福じゃないと駄目なのか?」
「――というと?」
「その、例えば、例えばだ」
嫌な汗をかいた。俺はこれからこの神様相手にものすごく自分勝手なお願いをする。向こうは完全に善意で提案してくれているであろうことはわかる。それに水をさすようなことを今から口にする。
「その、祝福を、返上するので。その祝福と同じくらい価値のある、別なことを報酬にしてもらうってのは、出来るかな」
「―――は?」
「例えばその――――兄弟たちと、話がしたい、とか」
まるで。まるで雷鎚を頭から落とされたような気分だった。
全身に衝撃が走り、身体は縫い付けられたように動かず、どこか安らぎすら感じていたこの空間は今や
まずい。これは間違いなく彼女の逆鱗に触れてしまった。
「先ほど、元の世界には蘇れないと言ったです。聞こえていませんですか?」
「いや、聞こえてい」
「ではあなたの頭には脳みそが詰まっていないですか?」
しくじった。先程見せていた怒りとはわけが違う。
あれは俺に対する扱いに対しての同情から来るものだったが、これは彼女自身から来る彼女の怒りだ。
「我様は冥界の管理者として、死者の眠りを妨げることの次に嫌いなものがあるです」
死んでしまっているのに死にそうな気持ちになる。
「それは死者が生者に関わろうとすることです」
ずしり、と。空間そのものに押しつぶされそうになる。
「死者とはその命を終えたもの。その世界での役目を終えた演者。終わったものが舞台に上がってくることは許されることではないです」
「だ、だがっ」
全身が総毛立つが、何とか声を震わせる。
「今、一番許せないことは死者の眠りを妨げることだと言った。だが君は今こうして俺と言う死者の眠りを妨げている! だからこその、祝福なんだろう? 君は、今世界を守るために君自身にとって許すことのできないことをしている。だからこそ、それに対する対価、代償、君なりの俺への詫び、そういった意味で俺に過ぎた祝福を与えると言った。そうなんだろう?」
「……」
答えはない。沈黙があるだけだ。それでも俺は頭を下げて、懇願する。
「だが、俺はそんなものはいらない。神に近い力なんていらない。そんなものは必要ない。――ただ、ただもう一度だけでいい、兄弟と話をさせてくれ」
「…………」
「生き返らせてほしいだなんてそんなことは言わない。ただ一度、この夜が明けるまででいい。今俺が見たあの景色の、あの窓に映る山々に日が差すまでの、その一刻の間だけでいいんだ。それ以上は何も望まないから、どうか」
「足りないです」
彼女が口を開いた。
「あなたに与えるはずの十三の祝福、十三の権能。それだけでは足りないです」
彼女は静かに続ける。
「罪に対する贖いを。夜が明けるまでの一刻の黄泉帰り、それは十三の祝福、十三の権能で以てその対価とするです。ですが罪が残る。冥界の掟、死者の法に対する罪が、その贖いが。あなたはそれをどうするつもりですか?」
「この身で、以て」
「あなたは死した身です。その贖いは生まれ変わった次の人生で行うことになるです。十三の祝福は十三の呪禍と変じ、あなたの魂を縛り、肉体をむしばみ、心を折るです。十三の権能は、そのそれぞれが十三の使徒に宿り、あなたの敵対者として行く手を阻むです。困難な―――言葉では表せない程苦難に満ちた人生を送ることになるです。そのうえで英雄としての責務も果たさねばならないのですよ? あなたにそれができるですか?」
冷たい、冷たい、突き放すような言葉。俺の心の芽を摘む様な、丁寧な丁寧な否定。警告。
死ぬ前の俺には分からなかったが、今の俺にはそれの意味するところが分かる。
「優しい、な」
「…………」
「きっと、君の言うことはすべて真実なんだろうと思う。君の裁量でどうにもならないことなんだろうと、俺にも分かる。君は、君の感情に関わらず、俺がそうしたのなら冥界の神として必ず俺にそうしなければならないんだろう。だから、こうして俺をビビりあがらせて、脅かし散らして、やめさせようとしてる。本当に優しい、君は」
「なら、どうして」
震えた声に、思わず顔を上げた。
彼女は―――泣いていた。
「どうしてそんな酷いことを言うのですか? あなたの行いが、その結果が、我様にあなたを苦しめさせると分かっていて、どうして」
美しい双眸から、真珠のような大粒の涙をぽろぽろとこぼす。
「はっきり言うです。我様はあなたのことを好ましく思っているです。好いているのです」
目の前の彼女は、子供の様に泣きわめく。
「あなたの魂は、力の流れの奔流に惑わされ、その大きな狂いの中、戦乱の時代の中にあって尚、燦然と輝いていたです。多くの人間が自らの欲の為に力を振るい、他者を傷つけ、奪い、殺し、そのちっぽけな自尊心を守り抜くことに必死になる中、それでもあなたは最後まで誰も恨まず、憎まず、愛してくれているのかさえ分からないその他大勢の誰かのためにその命を使い果たしたです。それが一体どれ程の事なのか、どれ程我様の心を揺らしたのか、あなたはわからないのです?」
息を詰まらせ、嗚咽を漏らし、とても神様とは思えない姿だった。
「わっ、我様は、はじめてだったのですよ? ずっとずっと生きてきて、神様としての務めを果たし続けてきて。はじめて、はじめて直接会って話がしたいと思ったです。心の内で、泣いて、喚いて、えっちしたいだなんてばかみたいなことを願いながら、それでも誰かのために命を使う覚悟を決めた、そんなどうしようもないおばかさんに、会いたくなって、だから、だからやっちゃいけないことをしたです。死者の眠りを妨げた、です」
肩を震わせて、彼女は続ける。
「これは、これは、その、罰なのですか? 我様は、あなたと直接会って、話をして、嬉しかったです。楽しかったです。十三の祝福も、十三の権能も。あなたが無事にその責を果たして命を全うしたなら、またここに戻ってこられるから、また、また会いたかったから。そのためにあげるつもりだったです。もっと、もっと一緒にいたいですが、そのためにはあなたが真の英雄にならなければならないです。世界を救って本当の英雄になったら、死後神の座に上がれる、ずっと一緒にいられるから。なのに、なのになんでそんなひどいことを? あなたがそうすれば、我様は冥界の神としてあなたを呪わなければならない。あなたを苦しめなければならないです。なのに、それでもあなたはそうしろと言うですか? これは、これは我様が、我様のために、責務だなんだと言ってあなたの眠りを妨げた。あなたと共にいたいという個人的な願いの為に神の力を振るおうとした、その、罰なのですか?」
「―――違う!」
俺は彼女の肩を強くつかんだ。つかんで、離さなかった。
「違うんだ、聞いてくれ。そんなつもりじゃなかった。俺の提案が君をそんなに傷つけるなんて分からなかったんだ。ただ―――本当に、ただ会って話がしたかっただけなんだ」
俺の言葉に、彼女はその大きな瞳を揺らめかせた。
「どうして、そうまでして会いたいのですか? あなたがそうしたところで、あなたは何も得るものはないですよ? あなたの次の人生に関わることはないです。あなたにとってすべてが終わり、過ぎ去った後の世界のことなのですよ?」
「―――俺は」
どう、言葉を紡げば、伝わるのだろうか。こうして面と向かって誰かと話をしたことなんてほとんどない。女性と話をしたことなんて数えるほどだ。
「俺はね」
けれど、ばかな俺なりに、少しでも伝えられるよう、真心を込めて言葉を紡ぐのだ。
「俺は、今救われたんだ。救われてるんだ。兄弟たちにも、そして、君にも」
恥ずかしいけれど、気後れしてしまうけれど。彼女の目をまっすぐに見つめる。ばかな俺にはこれくらいしかできないから。
「誰かが俺を愛してくれた。それだけで、それだけでいいんだよ。俺はね。それだけで十分なんだ。山ほどの金銀財宝も、ほっぺたが落ちるくらいのごちそうも、立派なお城も、鎧も、剣も、いらないんだよ。こんなばかな俺のことを、涙が出るくらい愛してくれた人がいる。それだけで俺はもう大丈夫なんだ。これだけで俺はもうぜんぜんなんでもへっちゃらなんだ」
「………」
彼女の濡れた瞳に、泣きそうな顔をした俺がうつっていた。
「だから俺は無敵だ! なんとでもこいだ! 十三の祝福も権能もいらない! 呪いだってどんとこいだ! 権能を持った使徒が出てきたって全部やっつけてやるさ! 魔王が何だ邪神が何だ侵略者がどうした人間が戦争やろうってんなら俺が王様ぶん殴ってでも止めてやる! いいか! そんなもんこんなもんぜんぶぜーんぶ跳ねのけて! 俺が全部見事に解決しちゃって! それで! それでさ―――」
すうっと、息を吸い込んで。
「君の愛に応えるよ」
ぐいっと両手で彼女の口の端を持ち上げた。
「まだ会ってちょっぴり話しただけだけど、俺も君のことが好きだよ。だって、俺なんかのためにルール破って冥界から連れ出してさ。俺なんかのために怒って、俺なんかのために笑って、それで―――俺なんかのために、泣いてくれたろ。俺は、その愛に応えるよ。その優しさに報いたいよ。だから、約束する。たとえ祝福が無くても、権能が無くても、呪いを受けて、使徒と戦う定めにあっても。俺は必ず世界を救うよ。君がそう願ったから、君の願いに応えたいんだ。誰かの愛を願った俺に、君が応えてくれたみたいに」
「―――は、恥ずかしいやつ、ですね、あなたは」
すっかり泣き止んでいた彼女は、火が着いたように真っ赤な顔でそう呟いた。
「どうしても、会いたいですか?」
「―――彼らの愛に、応えたいんだ」
俺はもう十分に救われた。俺を救ってくれたデストーリアの愛には、これから先の人生全てで以て応えて見せる。でも、残してきた兄弟たちは? あの不器用で頭が悪くて勇気がなくて利口じゃない―――けれども優しい、俺は愛してくれた人たちは?
「その愛に応えられるのは、今しかないんだ。今、俺は救われたけど、あの人たちは絶望のど真ん中だ。真っ暗闇の中にいるんだ。誰かを愛したことが。愛して想ってやったことが。それが原因で死なせてしまった。その本心に気付けなかった。あいつはきっと見限って逃げだすだろうって、命を懸けて戦った大馬鹿野郎の事をそんな風に思ってたってことが、今俺の大切な兄弟たちを苦しめてる」
会いたい。会って話がしたい。
ごめんねっていいたい。ありがとうっていいたい。気にするなよって笑って。お元気でってお別れをしたい。
彼らのこれからの人生に、その道程に、俺と言う陰を落としてしまいたくはないんだ。
「そっか、そうですか」
むりくり笑顔にしていた俺の手をつかんで、彼女は自分で微笑んだ。
「結局あなたは誰かの為、なんですね」
「それが俺のいいところらしいから。だろ?」
「ですね」
クフフフフ、と小さく笑い、彼女はこちらをまっすぐに見つめた。
「騎士バルデールよ。英雄の旅を道半ばで終えた高潔なる魂よ。あなたはこれより冥界の神デストーリアより賜りし十三の祝福、十三の権能をこれに返上し、それを以て夜が明けるまで一刻の蘇りを果たす! そして十三の呪禍をその身に受け、十三の使徒との戦いを以てその罪、その咎の贖いとする! ―――これに相違ない、ですね」
「―――ああ」
彼女の問いに、厳かに答える。
話したいことがたくさんある。伝えたいことがたくさんある。それが叶うのなら。呪いが何だというのか、使徒が何だというのか。そんなもの全部まとめてやっつけて。世界なんてこの手一つで救って見せて。そして―――
「彼らにあって、生まれ変わったなら。ちゃちゃっと世界を救って―――君のところに帰ってくるよ」
にっこりとほほ笑んで、彼女の手を取った。
「―――いつか帰ってくるなら、これは、いってらっしゃい、ですね。バルデール」
「うん、行ってくるよ。女神様」
こうして、俺の長い長い旅が始まった。
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