第2話 騎士バルデールの最期

「これが、バルデール・ゴルドアン子爵令息の首です。ご検分を」

「…………そうか」


 私はなんとか絞り出すようにして返事をした。戦争こそ終わってはいないが、この度の戦闘で起きた諸々の処理はゴルドアン子爵家長男であるバーロット・ゴルドアンの仕事だったからだ。

 戦闘中に拘束した互いの騎士の身柄交換、賠償金の交渉、そして、首検分……。


「どうしてだ、バルディ。どうしてお前は……」


 目の前に置かれた首は、あちこち傷だらけでかろうじて面影がわかる程度のものと成り果てていた。

 私達の可愛い末弟は、変わり果てた姿で帰ってきた。


 バルディ――バルデールは、少々困った立場だった。元々父は好色で、第一夫人であり私の母でもあるロアンナの他に七人の妾を作っていた。

 だが、妾とはいっても彼女たちはただの平民ではなかった。男爵家の末の娘や、貴族ではないが貴族の血縁関係のある商家の娘など、ある程度の立場がある者たちだった。

 けれど、バルディの母だけは違った。彼女は本当に何の力も持たない平民の娘で、領地を回っていた際に一目惚れした父が無理やり妾として家につれてきた女だった。

 情婦として抱かれているだけなら何も問題はなかったろうが、父は彼女を孕ませてしまった。しかも、よりによって男子を。

 女であればよかったのだ。家督を継ぐ権利を持たない女子であれば誰も何も言わなかった。けれど男ではいけない。余計な火種を生んでしまう。それに、バルディは驚くほどの才覚を兼ね備えていた。


 初めに異変に気づいたのは私の弟で三男のローザントだった。

 ロアンナ付きの侍女が、もうすぐ4歳になるバルディの食事に何か細工をしているのをローザントが見つけたのだ。ローザントが侍女を問いただすと、体の弱いバルディのための薬だから、とロアンナに渡されたものだと語った。

 ――それは、薬ではなく毒だった。

 このときになって、私たちはロアンナがバルディを亡き者にしようとしていることに気づいたのである。


 ロアンナと違い、私達兄弟は歳の離れた弟を可愛がっていた。だから私達は何とかして彼を守ろうと考えを巡らし、彼を冷遇するようにしたのだ。

 私が継ぐはずのゴルドアンの家督を奪われるのを恐れているのなら、バルディが家督を継ぐことはありえないことだと周知させてしまえばいい。

 彼には私たちと違う食事を与え、違う衣服を与え、違う教育を与え、違う仕事を与えた。

 そういった態度を兄弟たちが取ることで、ロアンナは安心したのか彼に対して露骨に排除しようという動きを見せなくなった。


 幼い頃は花のような笑顔を見せていた彼が、次第に感情を表に出さなくなり始めた頃、彼はまたその才覚の片鱗を見せ始めた。

 誰に習ったというわけでもない完全な我流であったが、彼は山から下りてきた巨大な猪を竹の槍一本で打ち倒したのだ。バルディが八歳の秋の事だった。

 間違いなくバルディには騎士としての才能がある。けれど、今更彼を騎士にしてやることはできない。これまでの態度もあったし、今また彼をまともに扱いだせばまた危険にさらしてしまう恐れがあった。

 ゴルドアンは騎士の家系だ。末子とはいえ、戦場で多くの武勲を立てられるような力を見せれば、ロアンナが黙っていないだろう。

 私たちはバルディを家の外に出さないようにし、代わりに時々街の外での獣狩りや盗賊の討伐に連れて行ってやった。無論、きちんとした武具を授けるわけにはいかなかったので、彼には武器と言うにはあまりにもお粗末な竹槍を持たせることになってしまったが。

 それでも彼は強かった。神がかり的な槍さばきで、向こうが鉄の剣を持っていようが剣の腹を槍で叩いてその手からはじき、返す勢いでその喉を突いて倒した。

 十五の春には、同行した兵や兄弟たちから一歩前に出て戦い、やすやすと敵を打ち払うようになっていた。


 その頃になると、私たちの兄弟も何となく理解していた。バルディは、こんな所で燻っていていい男じゃない。

 騎士にはなれずとも、冒険者や傭兵、この世界にはその才能で食べていける職などたくさんあった。

 きちんとした装備を身に着け、きちんとした場所で、その強さとひたむきさにふさわしい栄光を浴びることができるはずだ。私たちはいつしかそう考えるようになっていった。

 だからこそ、彼に対してはいっそう冷たく当たるようになった。

 彼はこの家にいるべきじゃない。ここを飛び出して自由になるべきだ。だが貴族である以上表立ってそんなことは出来ない。正直に言ったって優しい彼は聞き入れないだろう。自分がそうすることで私たちに迷惑がかかるのなら、自分は一生この家で飼い殺されてもいいと、彼ならそう言うだろうという確信があった。


 だから、愛想を尽かして欲しかったのだ。こんな奴らのために戦っていられるものかと、俺はもっと自分を評価してくれる奴らのところに行くんだと、そう言って自分から家を飛び出して欲しかったのだ。

 そうしてくれれば、ロアンナはきっとバルディへの興味をなくすだろう。私たちももちろん彼を追うような真似はしない。


 彼はもっと自由になるべきなのだと、そう思った。思っていた。

 あの日、彼に二人だけという信じられないほど少ない兵をつけたのも、それに怒ってほしかったからで、怒ったそのまま逃げ出してほしかったからだ。

 戦争が始まってしまった以上、彼はきっと活躍するだろう。多くの武功を立て、伝説を作り、立派な騎士になるだろう。そうすればロアンナはきっとバルディを殺してしまう。だからそうならないよう、彼を逃がしたかった。残酷な戦争から、遠ざけてしまいたかった。


 だから、敵の部隊が怪しい動きをしていると嘘の報告をでっち上げ、戦場から離れた場所へ彼を送ったのだ。そのまま逃げ出して、幸せになって欲しかったのだ。


 それが、それがまさか、本当に敵の部隊が進軍していただなんて。

 それも、二つ名持ちの魔術師と、敵国でも指折りの騎士マルゼイルの一団だったなんて。


 その知らせを受けた時、私たちは全員膝から崩れ落ちそうになった。戦場から遠ざけるために向かわせたはずの末弟が、この戦場で最も警戒すべき一団と一人で戦っているだなんて、信じられなかった。

 彼の身につけていたものは、彼を怒らせるために用意した本当に粗末なもので、普通の兵士との戦いさえ馬鹿らしくなるような物だったのに。そんなものしか持たないあの子が、恐ろしい魔術師と騎士、その従者たちと一人で戦っているだなんて。


 どうしてバルディを一人置いてきたのだと、報告に来た二人を弟たちは切り殺そうとした。だが、彼らは涙を流しながら、崖を転がり落ちるようにして駆け下りてきたそのボロボロの姿で叫んだ。


 人でなし、鬼の一族め、どうしてあのような優しいお方にあんな仕打ちをしたのだ、と。


 そうして彼らの口から語られた言葉に、私たちは頭を金槌で殴られたような気持ちになった。


 あれだけの、あれだけの仕打ちをしたのに、バルディは私たちの事をかけらも恨んではいなかったのだ。仕方のないことだ、事情があるのだろう、そう言って彼は私たちを責めるようなことはなかったのだと言う。

 彼にしてみれば、命令のとおりに怪しい一団がいて、しかもそれはとんでもない強敵だったのだ。こうなることがわかっていて、こんな装備で、こんな部隊というのも憚られる戦力でぶつけたのかと、まるで捨て石ではないかと。そう思えたに違いないのに。


 彼は、子どもが欲しいと言っていたのだという。友だちを作り、愛する人を作り、夫婦の営みをして、家族に囲まれて暮らしたいのだと。

 けれどそれはきっと叶わないことだから、せめて貴族として、騎士として民を守るために戦うのだと。父を、母を、兄弟たちを、この地に住まう民を守るために、戦わないといけないのだと。

 そう言って彼は二人を逃がし、一人で強大な敵に立ち向かったのだ。私たちが彼に与えた、本当に粗末な武具に身を包み、戦いに身を投じたのだ。


 あんなにお優しい方は見たことがない。あんなに勇敢な方は見たことがない。彼のような素晴らしいお方が騎士でないというのならこの世に騎士など一人も居はしないのだ。叙されてなかろうがなんだ。馬を持たぬからなんだ。鎧を、剣を、槍を持たぬからなんだというのだ。誰がなんと言おうと彼こそが我らの騎士様だ、騎士バルデール様だ。そう言って二人はぼろぼろと泣いていた。


 不敬だから切るというなら早く切れ、あのお方の死出の旅路にお供できるならば本望だ。だがそうする前にあのお方の意志を無駄にするな、戦え、戦って民を守れ。そう言ってこちらを睨みつける彼らに、私たちは何も言えなかった。

 頭の中はぐちゃぐちゃで、腹の中身を全て口から吐き出してしまいたいような気分だった。

 けれど、それよりも前にやるべきことはわかっていた。


 私たちは各々の武器を手に取り、無言で陣から出て馬に飛び乗った。

 この腹の底から湧き上がるやり場のない怒りをぶつける為に、私たちの兄弟は皆鬼神のごとく暴れまわった。

 叫んで、喚いて。癇癪を起こした子どものような情けない姿で、目の前の敵を屠り続けた。

 その勢いは膠着状態にあった戦場を大きくかき乱し、私たちは辛くも勝利を掴んだ。


 ――――そして、ついぞ崖の上から火球が放たれることはなかった。

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