第2話 8か月

 何度目かの覚醒でようやく私は理解した。これは夢ではなく現実なのだと。

 どういうわけなのか分からないけど、私は赤ちゃんに生まれ変わってしまったらしい。

 純恋の身体は死んだのか、もしやあの面接は死後の世界だったのかもしれないが、誰も答えを教えてくれない。


 夢オチだったらいいけど、その場合は現実の私がどうなっていることやら。昏睡状態で病院にいたとしても面倒をみてくれる身内はいないので、近い未来に安楽死ということもあり得そう。


「あうぅ……(やるせない……)」


 シンドい気持ちをこぼしても、赤ちゃんの身体では可愛らしい声がこぼれるだけ。

 もう純恋の身体に戻れないのだろうか。まだ二十九年しか生きていなかったのに、死んじゃったとしたら残念すぎる。

 正直死因がわからないので、死んだ自覚はまったくない。記憶もなければ夢が覚める気配も訪れない。頭上をクルクル回るおもちゃを見つめながら、ため息を吐いた。


 ところでこのベビーベッドに飾られているおもちゃの製作者に物申したい。


 正式名称なんてわからないけど、赤ちゃんをあやすために飾られていることは理解できる。動物を模したおもちゃはみんな上を向いていて……利用者である私には動物の裏側とお尻しか見えない。


 おもちゃの裏側を見せられてもなんも面白くないけど、逆にシュールで面白いということなのかな。あえてなのか、うっかりなのか気になるところだ。私が読み書きできるくらい成長したらおもちゃ会社に意見を送ろう。


 無の境地でお尻を見つめていると、部屋の片隅からカタン、と物音が聞こえた。


「う?」


 部屋に誰かいる?


 この家はどうやら使用人のメイドが数人いるようだ。私の面倒をみてくれる女性が代わる代わる私をあやしてくれるが、実はまだ両親が誰だか分からない。


 メイドさんたちは私を「お嬢様」と呼んでくれる。実はかなりいいところに生まれたんじゃないかな。それに生まれ変わっても言葉が理解できるのはありがたい。私には日本語に聞こえるけれど、実際は日本じゃなさそうだが。


 数人のメイドさんを雇えるほどの家なら相当裕福なはずだ。純恋の時は早くに家族を亡くして天涯孤独だった事を思うと、生まれ変わった世界では家族に恵まれるように誰か……神様的な人が采配してくれたのかも! 

 純恋の最後の記憶を思い返す。てっきり転職の面接だと思っていたけど、もしやあの人事課長が神様だったんだろうか。っていうか海外から来た役員のアシスタント業務ってなんだったの。あれはどういう意味だったのか、今になっては謎でしかない。


 なにはともあれ、今まで真面目にコツコツ生きてきた甲斐があった。

 まだ状況が飲み込めていないし、本当に転生なのかは分からないけど、裕福な家庭のお嬢様に生まれたのなら衣食住に苦労することはない。


 頼れる身内がいなくてアパートの契約に不便を感じることも、会社が倒産して家賃の支払いに苦労することも、パワハラ上司に振り回されてハゲることも、厄介な親戚に無職でギャンブル好きな息子を押し付けられそうになることもないね! 

 なんだか思い返したら泣けそうになってきた。


「……はぶぅー(よく頑張った、私)」


 これからはのんびりした生活が送れたらいいな。仕事に追われて趣味の時間も作れずに、せかせか生きるのは心が疲弊する。

 今度こそ穏やかで人間らしい生活を送るために、記憶を維持したまま赤ちゃんになったのかもしれない。純恋のときには無縁だった青春をたくさん楽しめそうだ。

 ご機嫌な気持ちで寝返りをうつ。乳児の身体は毎日成長していて、昨日できなかったことが今日はできたりするんだから、赤ちゃんってすごい。

 ベビーベッドの柵を何とか掴んでよろよろ立つと、ラブリーな子供部屋に似つかわしくない等身大のマネキンが座っていた。

 昨日までは見たことがない精巧な出来の人形に驚いて、思わず尻もちをつく。すると足音が近づいてきた。


「(人だったの!?)」


 ベビーベッドを覗きに来たのは、神々しいほど美しい男性だった。

 肩につきそうな長さの緩やかな銀髪と、深い海色の目がとても印象的だ。あれは染めているんじゃなくて地毛なのだろうか……耽美で人外のような美貌の男から目が離せない。

 きっと普通の赤ちゃんには美醜の価値観など備わっていないだろうけど、中身は二十九歳の日本人なので……そっくりそのままの感性で相手を見入ってしまう。


 でも暴力的なまでの美の権化に見つめられるのは居心地が悪い。私は視線から逃げようとベビーベッドの中を動き回った。

 よく考えたら、これまで生きてきてイケメンと喋った記憶なんてほとんどなかった。外国人の知り合いも、高校の時の英語教師くらいだった。あの先生は今頃なにをしているだろうか。失恋して号泣したのをクラス全員で慰めた記憶しかないけど。


「っ!?」


 男が私の身体を持ち上げた。赤ちゃんを抱きなれていないどころか、犬猫すら抱っこしたことがないと思われる手つきで。


「(下ろしてください……!)」


 言葉にならない抗議の声をあげると、部屋に入ってきたメイドさんがニコニコ声をかけてきた。


「まあお嬢様、よかったですね。お父様に抱っこされて」


 ……なんだって?

 背中の服を掴んで持ち上げるような男が、今世の私の父ですって!?

 いくら顔がよくても、いたいけな赤子をこんな雑に扱う男はドン引きだ。初めての育児書を暗記するくらい熟読してほしい。


 手足をバタバタさせて暴れると、彫像のような男は私をベビーベッドに下ろした。

 その顔は可愛い愛娘を慈しむようでもなく、無表情そのもので一切表情が読めない。でも無関心だったらわざわざ部屋に来ないだろうし、私を持ち上げたりもしないと思うけど……何しに来たんだろう。


「旦那様、本日はこちらにお茶を運びましょうか」

「ああ」


 気の利くメイドさんがお茶の準備をしに出て行った。

 私はじっと無表情で眺めてくる男と二人きりになってしまった。めちゃくちゃ居心地が悪いんですが!


「(メイドさん、早く帰ってきて……!)」


 閉じられた扉を見つめてしまう。私は滅多に顔を見せない美形の父親よりも、私のお世話をしてくれる可愛いメイドさんの方が安心するよ……!


 気まずい空気が流れている。

 先ほど一言発しただけで、父親は私に声をかけなければあやそうともしてこない。


 でも考えようによっては、私はこの人外並な美貌の遺伝子を継承してるってことよね? つまり私は赤ちゃんモデルにでもなれそうなほどめちゃくちゃラブリーなのでは?

 銀髪を継承してたらちょっとテンション上がりそう……純恋の時はお金が勿体なくて美容院代をケチるために髪の毛を染めたことがなかったから。二十九年間ずっと黒髪のままだった。

 どこかに鏡はないかとキョロキョロしていると、目の前の男に頭を掴まれた。


「(ちょっと、いたいけな乳児になにをするんですか!)」


 力は入っていないから痛くはないけど、急に触られてびっくりする。

 しかも何故か念入りに、頭の骨格を確かめるように触られた。

 まだ私にヘッドスパは早いと思うんだ……。


 前頭葉のあたりを中心的になでなでされた後、コロンとうつ伏せに寝かせられて、背中をさわさわ触られた。あろうことか服を半分剥かれて、背中をじっと凝視された。


「……ないな」

「(なにがだよ!)」


 抗議の声を出すと、ササッと服を整えられた。その後すぐに扉がノックされて、先程のメイドさんがティーセットを準備して戻ってきた。


 さっきの不埒な行為など一切ありませんという顔でお茶を啜る男を眺める。

 一体なんだったんだの……赤ちゃんに余計なストレスは与えないでください。


 私はメイドさんから離乳食を食べさせてもらいながら、自分の父親らしき人物に奇妙な違和感を抱いていた。




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2024年9月28日 21:00

悪魔の公爵令嬢は平穏な人生を送りたい~魔女狩りENDはごめんです! 月城うさぎ @usagi_tsukishiro

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