第37話 新たな依頼
デイオルグとの訓練を開始して早十日が経とうとしていた。デイオルグの指導は的確で体の使い方から魔力のコントロールに及び、この僅かな期間でも確かな成長を感じ始めていた。中でも、最近で最も心に残ったのは魔法も基本に立ち返って「無」属性の勉強をやり直せ、というものだった。
「お前は風属性の魔法が得意みたいだけど、戦術の基本には無属性を置いておいた方がいいぞ」
「どうしてだ?昔魔法を教わったときは "好きで得意な属性の魔法を伸ばしなさい" って言われたぜ」
「それも間違ってはいないがお前が望むのはさらに上の領域だろう?そうなるとまた少し話は違ってくる」
デイオルグの主張によれば、偏った属性ばかりを使っていると耐性をもった敵を相手にするときや、弱点となる属性で攻め込まれたときに途端にうまく立ちいかなくなるのだと言う。
「その点、無属性なら威力は多少低くなるが様々な状況にうまく対応できる。なにもお前が今まで学んできた風や光属性の魔法を捨てろと言っているわけじゃない。その中には治癒魔法も含まれるわけだしな。今は自分の基本をどこに置くかが重要だという話をしている。姿勢が定まらないと咄嗟にどちらの方向にも動くことはできないだろう?」
デイオルグの考えは今までのティムの経験してきたこととはまったく違っていて新鮮だった。ティムは今まで能力をひたすら伸ばす考えで訓練を続けてきたが、デイオルグの指導はまるで弱点や能力が下がる可能性をひとつひとつ排除していくような作業だった。
考えてみればそれは当たり前のことなのかもしれなかった。高次元の戦いになると、相手に明白な弱点があるとわかれば敵は容赦なくその弱点を突いてくる。いかに弱みを見せずに相手の一瞬の隙をつき、その瞬間を一太刀で仕留めるかという、ある種チェスのような精密な立ち回りが要求されるのだ。今までの習慣が邪魔してうまくいかないことも多々あったが、粗削りな自分が少しずつ研磨され、完成された冒険者に近づいていく様が脳裏に浮かび、訓練は苦しくも楽しいものだった。
そして月も半ばに差しかかろうというある日の朝、朝食の食卓の上に新たな依頼書が広げられた。
依頼No. 256:国境への荷物輸送警備
難度:★★★★★
概要:王都の豪商であるギザント商会が隣国カッシリアの貴族マッケンランド家と取引をしたいのだという。扱う荷物は商会の出す幌馬車によって国境付近まで輸送される予定だが、品物の金額が高額に及ぶことから賊の襲撃に遭遇する可能性も十分考えられる。そこで、貴クランの面々には馬車に同乗してもらい、道中の、そして取引が終了するまでの万全な警護を引き受けてもらいたい。
期日:法王の月二十日
備考:依頼は国境付近の受け渡しが無事終了した時点で解決となり、報酬の支払いは後日ギザント商会本部へされる事後報告と同時に行われる。(期日には王都に帰還するまでの時間は含まれず、あくまで受け渡し終了までの時間である)
報酬:金貨百五十枚+銀貨十六枚
「これはまた破格の報酬だな」デイオルグは手に取った依頼書をテーブルに戻しながら言った。「一人頭金貨三十五枚以上か。節約すればこの依頼だけでも一年は働かなくても済みそうだ」
「ちぇっ。俺だって他に用事が入ってなかったら参加してたのによ」
「マルクは明日から私と神殿でパーティーの手伝いするんだもんねー」
シェリルが嬉しそうな顔をして言うとマルクは罰の悪そうな顔をした。
「そんな催しに参加するのか」
意外そうにティムが訊くとマルクは頭を掻いた。「まあ、ちょうど暇だったもんで軽い気持ちで引き受けただけだ……まさか三日も連続してあるとは思わなかったけどな」
「孤児達のために企画されたパーティーでしょう?頑張ってたまには街に貢献してきなさいよ」
「へえへえ」
マルクは手を上げながら自室へ引き上げていった。シェリルが食器の片づけを行う傍らでティム達はこれからのことについて話し合う。
「それで、まずはどうするんだ?」
「初めにギザント商会に行って依頼内容の確認と輸送計画について話し合う。おそらく出発は明朝になるだろう」
「あ、それと今回の依頼にはルシェイルも参加するの。ーーそう言えば朝食に下りて来てなかったわね。ティム、悪いんだけど部屋に行って起こしてきてくれる?」
メディナに頼まれたティムはルシェイルの部屋へと向かった。彼女の部屋は一階廊下の奥から二番目にあたる。部屋の前に立つとティムは扉をノックする。
「ルシェイル、いるか?ティムだけど、新しい依頼の話があるんでちょっと食堂まで来て欲しいんだ。もう他のみんなはもう集まってる」
しかし部屋の中から返事はない。扉に耳を澄ませてみたが中からは物音一つ聞こえなかった。留守なのか、と思ってドアノブを回してみると簡単に回った。鍵はかかっていないようだ。まだ眠っているのかと思い、ティムはドアを開けてみる。
「あっ……」
ルシェイルは部屋の中にいた。ベッドの傍らに立って、黒の上下の下着姿のまま上着を着ようとしている最中だった。小振りだが張りのある乳房がブラジャーに支えられて谷間を作っている。鍛え上げられたヒップはきゅっと持ち上がり、レースの下着が割れ目に吸い込まれるように曲線を描いている。
思わず立ち尽くしてしまったティムはルシェイルの「……何?」という言葉で金縛りが解けたかのように再び動き出した。
「す、すまない!」
ティムは慌てて部屋から退出すると後ろ手にドアを閉める。まだ胸がどきどきしていた。女性の裸は何度も見てきたが、どういうわけか下着姿の方がかえって心を揺さぶられるものがある。もういいわよ、という声が中から聞こえ、ティムは改めて部屋の中に入った。
「で、何か用なの?」
ルシェイルは黒の軽鎧を身にまとって立っていた。黒のレギンスに黒のブーツ。おまけに髪の色まで黒のため、見る者によっては不吉な印象を抱くかもしれないほどだった。
しかし、それを考慮したとしてもルシェイルは美人だと言えた。黒のボブヘアの髪型をしていて、猫を思わせる愛らしさと鋭さを併せ持つ整った顔立ちをしている。細身だが、つくべきところにしっかり筋肉と女性らしい贅肉がついており、腰に差した細剣の鍔や鞘の色が
黒一色のシルエットに丁度いいアクセントになっている。戯曲の主人公になれそうなほど絵になる立ち姿だった。
「いや、だから依頼の話があるから食堂に来てくれってことなんだがーー」
「ごめんなさい、聞こえてなかったわ」
そう言うとルシェイルはティムを押しのけるようにして部屋から出ていった。何だかなあ、と思いながらティムは彼女の後を追って食堂に戻っていった。
♢♢♢
「……それで、輸送ルートはどのようにお考えですか」
座り心地の良さそうなふかふかのソファーに座ったデイオルグが向かい合った話し相手に訊いた。ギザント商会の経営者、ウォラス=ギザントはテーブルの上に地図を広げて解説する。
「まず王都を北に出て街道上をそのまま進み、レトミットという宿場町で一息ついてもらう。その後さらに街道を北上し、国境沿いの街ベリラから約八キロの距離にある、とある場所まで運んでもらうことになる」
「その『とある場所』なんですが、一体どのような場所なんです?ベリラで取引をした方が安全な気もするんですが」
ティムが思いついた疑問を即座にぶつけるとウォラスはそれを予想していたように流暢に答えた。
「当初は私もそう考えていた。しかし政府の発表した統計データを見ると、この一年、また以前と同じように強盗や人さらいの数が上昇傾向にある。街中は人混みや障害物が多いであろう?だからそこを避けて見晴らしの良い、拓けた場所を取引場所に指定したのだ」
「荷物を引き継ぐ相手は?」
「それは先方に任せてある。安心してくれ、君達と同等の、信頼できる腕利きのクランに依頼したと言っていた」
「それなら安心ね」
外に出ると、人が乗る荷台の後ろに連結された、もう一つの荷台を覆う幌が執事の手によって捲り上げられた。そこには大小の木箱や鉄製の宝箱が既に並んでおり、一番大きいものはティムの背丈ほどの長さのものまであった。執事が蓋を次々と開いていくと、中からは煌びやかな美しい宝石や古びた貴重そうな書物、芸術の粋を集約したような美術品の数々が顔を覗かせた。ざっと見た感じでも総額金貨一千枚は優に越えるだろう。思わず、これは、とデイオルグも言葉を失う。
「ーーどうりで厳重な警護を依頼するわけね」ルシェイルが腕組みをしたままつぶやいた。
「差し支えなければ取引の目的などお聞かせ願えますか」
そうデイオルグが訊くとウォラスは苦笑した。
「大した理由ではない。現マッケンランド家の当主ダリルは私のアカデミー時代からの無二の親友なのだ。しかし今、マッケンランドは事業で失敗して多額の負債を抱えている。だから、親友であるダリルに対して私がしてやれることは何か、と考えて思いついたのがこの取引ーーいや、取引というよりかは贈与か」
「ーーお優しいんですね」
ティムがそう言うとウォラスは謙遜したように再び笑う。「決してそんなことはない。たまたま今私の事業がうまくいっていて余力があるからできることだ。ーーそれに、ダリルとは家族ぐるみの深い付き合いだ。そこまでの関係でなければ、とても助け船を出そうとは考えなかっただろう」
そのとき、建物の入口から二人の少女が外へ出てきた。二人はお互い顔を寄せ合うようにしてすすり泣く声を上げている。
「ウォラス氏の長女ステファニーとーーもう一人はおそらくはダリル氏の娘だ」
耳打ちしてきたデイオルグの言葉にもう一度ティムは少女達を見る。片方は鼻の頭にそばかすの残る茶色の髪をした少女で、確かにウォラスと顔立ちが似ていた。もう一人の少女は金色の髪をした背の高い、すらりとした体躯の美しい少女で、途切れ途切れに聞こえてくる会話によれば、どうやら二人は別れを惜しんでいるようだった。
「絶対に、絶対にまた来てね」
「もちろんよ。あなたの方こそ、私のことを忘れないでね」
その様子を慈しむような表情で見つめていたウォラスが口を開く。
「うちの娘とダリルの娘ゼダは幼い頃からとても仲が良くてな。ひとたび遊びに来ると、こうやって毎回、今生の別れかのように離ればなれになることを寂しがるーーおおい、ゼダ」
ウォラスが呼びかけるとゼダは真っ赤になった目でこちらを振り向いた。
「手配した馬車がもうじき到着する。それに乗らないと学校の授業には間に合わないぞ。来たいなら、次の休暇のときにでもまたいつでも来ればいい」
ゼダは今度はウォラスの方に歩み寄るとその胸に顔をうずめてめそめそと泣いた。その光景を見ながら、ティムはそれがどこか別の世界の出来事のように感じていた。
到着した馬車に乗るとゼダは窓から手を振りながら遠ざかっていった。彼女の向かうのは生家ではなく、寄宿舎のあるカッシリアの王都ビザークだという。打ち合わせを終えたティム達はギザント商会を去ると、明日の出発に向けて本拠地で英気を養った。
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