第32話 内と外の戦いー⑤
ウォルド村正門前は村人達の死体で溢れ返っていた。ざっと数えただけでも三十人以上が血を流しながら地面の上に倒れている。ある者は頭を破裂させて、またある者は胴体がぺしゃんこになって死んでいる。およそ人間のできる所業とは思えなかった。
門の前には返り血にまみれた巨漢の村人がいた。ティムよりも頭一つ大きな背丈をしており、横にも大きい。でっぷりと出た腹をしていて、筋骨粒々の腕には巨大なハンマーが握られている。おそらく、村の周囲の柵を打ち込むときに使ったものだろう。ハンマーの先は血で真っ赤に染まり、脳漿や腸の切れ端がこびりついている。
「ザムルーー」
アスター神父が大男の名をつぶやいた。ザムルの両目は真っ赤な光を帯び、その顔には憤怒の表情が浮かび上がっている。歯を剥いてこちらを睨み付けると、仁王立ちになって門の前に立ち塞がった。
「神父、こいつは?」
「彼の名はザムル。この村の墓堀りの仕事を勤めていた青年です」
「勤めていた?」
「実は、村の有力者の息子であるサーデンという男とその子分達に執拗ないじめを受けていまして。それで精神を病んで自宅に籠りきりになっていたはずだったが……寡黙だが真面目で、根は優しい人物だったのですが」
なるほど、とティムは頷く。堕落者となることで積もり積もっていた恨みが爆発し、無差別に村人を襲うようになったわけだ。
「おい、ザムル!」
ティムはザムルに呼びかけた。ザムルは獣のように唸り声を上げたままで呼びかけに応じようとはしない。
「お前の受けた屈辱や痛みを理解できる、とは言わねぇよ。だけど見てみろよ、お前のやったことを。お前の恨みは、これだけの人の命を奪っても収まらないほど深いものなのか?」
ザムルはしばらくの間沈黙していたが、う、う、と唸り始めた後に大きな声で咆哮した。それはティム達に対する威嚇というよりも、慟哭に近いもののようにティムには聞こえた。
「……どく気はないみたいだぜ、神父」
「まず動きを止めなければ『解呪』すらできません。……ティムさん、力を貸していただけますか」
「もちろん」
ティムが構えると敵意あり、とみなしたのか、ザムルのハンマーを持った両手にも力がこもった。どうやらやる気満々みたいだなーー
ティムはブレッシングの魔法を自らにかけると正面から突撃していった。ザムルは鎧など身につけておらず、布の服を身をまとっただけのそっけない格好だ。鎧騎士を相手にするよりもずっとやりやすい。
高速でザムルに接近したティムは地面を蹴りつけると、跳び上がりながらザムルの顎を拳で突き上げた。ノーガードのザムルにティムのパンチはクリーンヒットし、ザムルの顎がはね上がる。そのまま肩や胸の辺りを無造作に殴り続ける。どういうわけかまったく防御しようとしないザムルの体に、ティムの攻撃はヒットし続ける。
ーーどういうことだ?反撃もせずに、一体何を企んでる?
そのとき、手応えのあるパンチが当たり、ザムルは大きくのけぞった。よし、今だ。抵抗しないつもりなら、さっさと片付けさせてもらうぜーーそう思ったティムは大きく踏み込んでとどめの一撃の動作に入った。
その瞬間、物凄い勢いでザムルのハンマーが振り回された。予想を遥かに越えるスピードで振り回されたハンマーはティムの踏み込みにドンピシャのタイミングで合わせられている。
ーーやばい!
ティムは咄嗟に腕を十字にして攻撃を防ごうとする。しかし、それが付け焼き刃でしかないことはティム自身がよくわかっていた。やられるーー!
「『
アスター神父の声が飛んで、蒼い光がティムの体を覆ってその身を守っていった。
一瞬遅れでハンマーがティムの体に激突する。ごりごりという骨を軋ませる音を立てながら、ティムの体は数メートル後方の地面の上に投げ出されていった。
「い……つうっ……」
『守護』の魔法で守られていたにもかかわらずティムの右腕はあらぬ方向に曲がっていた。立ち上がろうとしたときに左あばらの辺りに激痛が走る。どうやら肋骨も何本か折れてしまったようだ。
すぐに後ろから駆けつけた神父から回復魔法が飛んできた。徐々に痛みが引き、見る間に腕の骨が正常な方向に戻っていく。
「さすが回復と補助の専門職。すごい効き目だな」
「こっちはヒヤヒヤしましたよ。もう少し慎重にお願いします」
「ああ」
腕がうまく元通り動くことを確認してからティムはザムルに向き直った。なるほど、カウンタータイプの戦い方をするわけか。強靭な耐久力を盾に相手を引きつけておいて一撃で相手を仕留める。おまけに腕利きの戦士顔負けの鋭い振りをしてやがる。思ってたよりもずっと厄介だぜーー
「……サーデン?」
神父の声に思わずティムは振り向く。
「あそこにサーデンがいます」
神父の指の先をたどると、血まみれの死体の間を這うようにしてザムルの近くから遠ざかろうとしている男がいた。神父の言によるとどうやらあれがサーデンらしい。
サーデンはティム達のことを一切気にする素振りを見せずに無我夢中でこの場から逃げ出そうとしていた。これがサーデンか。ザムルを追い詰め、数十人にも及ぶ殺戮の引き金を引いた男。ティムは呆れを通り越して自分の心の中が冷えていくのを感じていた。
「……う?」
ザムルは視界の端に動く物体を認めて視線を向ける。そこには何年間も憎み続けた相手の情けない後ろ姿がある。
「うおおおおおっ!!」
ザムルが死体を踏みつけながらサーデンに近づくと、怯えた顔で振り返ったサーデンの襟を掴んで宙に持ち上げた。「ひいいいいっ!」身なりのよい服に身を包んだサーデンがひきつった声を上げる。
「ザムル、やめなさい!これ以上罪を重ねる気か!」
神父の必死の呼びかけに、意外にもザムルは反応を見せた。
「こ……こいつは絶対に許せない……こいつはラムダを殺した……」
「ーー何だって?」
「神父、ラムダってのは?」
「ザムルの飼ってた犬です。幼い頃に両親を亡くしたザムルにとってラムダは唯一の家族であり無二の親友だった。確かにここ数年見かけないとは思っていたがーー」
神父の言葉に触発されて様々な思い出を思い出したのか、ザムルは再び吠えた。
「……俺のことならまだよかった。虫や土を食わされようが、棒でぶたれようが、耐え抜くつもりだった。俺の家系は墓掘りの家系。祖先は人を殺した罪人だ。何を言われても仕方ない面があると思っていた」
ザムルはサーデンの顔を引き寄せると怒りの形相で睨みつけた。
「ひっ!」
「だがこいつは!こともあろうにラムダの頭に石を落として殺した!ラムダの死体を見て悲しむ俺の姿を見てこいつらは笑っていた!許せるものか!こいつも、有力者の息子だからとこいつの蛮行を見て見ぬふりし続けていた周りの奴らも!!」
「ーー何という愚かなことを」
神父は首を振った。ティムも胸の中が暗い気分に覆われる。どうしてそんな馬鹿な真似をするんだ?自分でやってて気分が悪くなったりしないのか?様々な疑問が頭の中に浮かぶ。
しかし、おそらく奴の中に明確な理由などなかったのだろう。ちょっとしたことが何となく気に障るから、何となく虐げる。元々の理由がないから気分が完全に晴れることもなく、行為は徐々にエスカレートしていく。かと思えば唐突に理由なく終わるケースもあったりすする。誰かが傷つくだけの、不毛な空しさがそこには存在した。
「な、何そんなに怒ってんだよ、たかが畜生だろ?」
ザムルの氷のような眼差しがサーデンに向けられる。
「死んだならまた飼えばいいじゃねぇか。あんな薄汚い犬、そこら辺にごろごろいるだろ。何もあんな犬に固執しなくたってーー」
「うおおおおおっ!!!」
ザムルは雄叫びを上げるとハンマーを投げ捨て、サーデンの体の側面の両側から渾身の力で押し始めた。
「ぐええええっ!!」
徐々に圧力を強めるザムルの手によってサーデンの胸骨や肋骨が折れて体が不自然な方向に曲がっていく。「やめなさい、ザムル!」神父の声ももはや届いていないようだった。
血泡を吹き始めたサーデンの胴体は、ついにはザムルの怪力によって完全に捻じ切られてしまった。両断されたサーデンの体が地面の上に無造作に投げ捨てられる。
神父は力なく静かに首を振った。血にまみれたザムルの姿はもはや魔物そのものだった。復讐という欲望に囚われて人間であることを辞めてしまった憐れな怪物。しかし、誰かが彼に引導を渡してやらなければならない。ティムはクリスナイフを鞘から抜いた。
ザムルはハンマーを拾い上げると二人の方へ襲いかかってきた。
「下がって!」
指示を飛ばすと神父はティムから左後方へと離れていった。さて、ここからどう攻めるか、と思案するティムだったが、そのとき意外な展開が起こった。ザムルはティムを狙わずに、神父の方へ一直線に向かっていったのだ。
「マジかよ!」
慌ててティムはザムルの方へ向かっていく。怒りですっかり錯乱してるように見えるが頭は冷静だってのか?確かにそっちを狙われるとヤバいーー!
「くっ!」
神父は手に持った護身用のメイスを構える。しかしそんな武器でザムルの巨大なハンマーに対抗できるわけもない。ティムはブレッシングで一気に加速すると、神父を抱えてその場から飛びのいた。振り下ろされたハンマーが地面深くにめり込んで地割れが起こった。
「す、すみません」
神父から離れるとティムはザムルを観察する。ハンマーを構え直したザムルはティムの方には目もくれずに神父の方を見つめていた。
これで奴の狙いははっきりした。ザムルは先に神父を殺すつもりだ。おそらく、奴の復讐の対象には神父も数に入っているのだろう。まったく、一時は教会で世話になっていただろうに、恩知らずな奴だぜ。
「どうやら私は狙われているようですね」近寄ってきた神父がティムの耳に囁いた。
「ああ。でも安心してくれ、俺があんたを守るから」
「そのことですが、実は私から作戦の提案があります」
「何?」
神父から耳打ちされた内容にティムは目を見開いた。「……マジかよ。それってあんたにかかるリスクはかなりでかいぜ?」
神父は少し寂しそうに微笑んだ。「いいのです。私も他の村人と同罪だ。毎日の忙しさにかまけて彼に手を差し伸べようとはしなかった……しかし、私とて、ここで死ぬわけにはいかない」そう言うと神父はメイスを構えた。
「神父ーー」
「いいですか?この作戦はタイミングが命です。舵取りはあなたに任せましたよ」
ティムは頷くと神父から離れていった。任せろ、俺があんたを死なせやしない。
ザムルは無言で神父に突進してきた。神父は逃げずにその場で踏み留まるとザムルを待ち構える。ザムルの目は殺意の悦びに赤く燃えていた。
「ウインドブレッシング!」
離れていたティムは弧を描くような進路を取り、ザムルの左後方から一気に迫っていく。神父を目と鼻の先に捉えて攻撃体勢に入っているザムルはそれに気がつかないーーわけはなかった。
ザムルは突然体を反転させると、ティムの方目がけてハンマーを振り回してきた。ーーやっぱ、こんな時でも冷静かよこいつ。しかしティムはそれを見越していたかのように攻撃をかわすと、神父の方へ手を向けた。
「ウインドブレッシング!!」
加速した神父は露になったザムルの首の根元にティムのクリスナイフを突き刺した。ぐふっ、とザムルの口からわずかに息が漏れたが、まだザムルの体には力が残っている。ザムルはハンマーを手放すと、神父を捕まえようと両腕を伸ばしてきた。
「『
たちまち神父の体が光に包まれると、非力な神父の腕に力が宿り、ナイフはザムルの首深くまで突き刺さっていく。
「……はあっ!!」
神父がナイフを振り切ると、ザムルの首は切断されて地面の上に転がっていった。
ザムルの巨体が地面の上に倒れ、動かなくなっていく。神父がとどめと言わんばかりにザムルの心臓に刃を突き立てると、ザムルの全身は完全に機能を停止した。
荒い息をつきながらしばらく放心していた神父だったが、歩み寄ってきたティムに気がついて頭を上げた。
「ーーあんたに辛い役割を任せちまったな、神父」
そうティムが言うと、神父は小さく笑った。
「これも神に仕える者の務め。ザムルは、悲しみと執着から解き放たれてようやく自由になれたのです」
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