第31話 内と外の戦いー④

 長い廊下の角を曲がるとそこは悲惨な状況だった。窓ガラスはほとんどが割れていて、壁は炭化して真っ黒になっている。瓦礫で足の踏み場もないような通路を、マルクは小走りで走り抜けていく。


 玄関ホールは崩壊していた。扉や壁、それに天井までもが見事に破壊されていて外気があちこちから入り込んでくる。二階へ上がる階段は途中で崩落して瓦礫の山がホール内に積み上がっていた。建物の損傷は屋根にまで及び、空から射し込んだ自然光が薄暗くなった建物の中を照らしつけている。


 玄関ホールの中央付近にメディナとケリチュットはいた。メディナはローブの襟を掴まれてケリチュットに宙に持ち上げられていた。ローブの裾はボロボロになり、脱げ落ちたウィザードハットが傍らに転がっている。彼女を守り続けた忠実な人形エリスもまた、破壊されて地面に静かに横たわっていた。


「メディナ!!」

 マルクは急いで駆け寄る。マルクの存在に気がつくと、ケリチュットは針のような歯を見せて笑い声を上げた。


「先ほどからウォルターが喋らんと思っていたら、お前が奴を倒したのか」

「うるせぇ。さっさとメディナを離しやがれ」

 意外にも素直にケリチュットはメディナの襟から手を放した。地面に倒れたメディナのウェーブのかかった髪が放射状に広がる。


「どうせ遊び終わった後だ。もうこいつは既に虫の息でしかない」

 そう言うとケリチュットは抱えていたウォルターの首を壁に向かって投げつけた。顔がぐしゃりと潰れ、床に落ちた頭からは熟れ過ぎたトマトのように中身がこぼれていった。


「それで、まだやるかね」

 ケリチュットが恐ろしい目で見つめてくる。心臓を射貫かれるような思いがするが、引くわけにはいかなかった。「当たり前だろうが」マルクは構える。

 ーー残りの体力でどこまでやれるかわからないが、メディナだけでも助けなければ。


「……素晴らしい。気に入った」

 そう言うとケリチュットは左手をマルクに向けてかざした。

「?……何の真似だ」

「こんな辺境でウォルターよりも良い駒が手に入るとは思わなかったぞ」


 ーーまずい!

 ケリチュットの狙いを察知したマルクは急いで後ろへ引こうとする。しかし、その動きよりも速く、ケリチュットは行動を起こしていた。

「『支配ドミネイト』」


 ケリチュットの手から放たれた光線がマルクの体を直撃した。光は全身を包み込み、マルクは割れるような頭の痛みを覚えてその場にうずくまった。

「か……うぁ……?」

 

 脈打つような鈍痛に、開け放たれたマルクの口からは唾液が滴り落ちた。そして、その痛みの奥からは性感にも似た快楽が新たに押し寄せてくる。


「うっ……ううっ……」

 マルクは痙攣しながら何とかその場で踏み留まろうとしていた。しかし、決壊しそうな意識の果てからは、"すべてを受け入れるのだ" と囁くような誘惑の波が次から次へと押し寄せてくる。


「ほう。私自らの『支配』をこれほど長く耐え続けるとはな」

「あ……、あ…………」

「無理をするな。己の奥底に眠る欲望にすべてを委ねてしまえ。それこそがお前の


 マルクの腹の底の方からマグマのように煮えたぎった感情が沸き起こってくる。

 ーー殺す。を、必ず殺す。眼球を抉り出して、腹を裂いた後、死なない程度に生かしておきながら長い時間、拷問にかけておいてから、奴が散々苦しみ抜いた後に、必ず殺す。許さん。何があろうとあの男のやった仕打ちを、必ず死で償わせてやる。


 どす黒い感情に完全に飲み込まれそうになったそのとき、マルクの脳裏にギルドの面々の顔が思い浮かんだ。

 ーーここは俺が人生で初めて得た安息の地。初めての仲間。他の奴らなどどうでもいいが、

 

 それだけが、マルクの持っている唯一にして最後の矜持だった。悪魔の誘惑を心中から追いやると、全身を覆う『支配』の光は次第に止んでいった。マルクはがくりと体を傾かせると地面に手をつく。


「……素晴らしい。よもや普通の人間が私の『支配』に耐え抜くとは思わなかったぞ」

 マルクは激しく息をつきながらケリチュットを見上げる。頭の鈍痛がずっと止まない。こんな状態でまともに戦えるのか?


 しかし、ケリチュットは意外な台詞を口にした。

「よかろう。今回はお前らを見逃してやることにする」

「ーー何だと」敵の突然の申し出にマルクも驚きを隠せない。

「お前らのような強い意思と能力を持つ人間が中にはいる、ということがわかったのは私にとっても大きな収穫だった」


 そう言うとケリチュットは背中から翼を広げる。外側は体毛と同じく白かったが、内側の飛膜はその心と同じようにどす黒い色をしていた。

「ど、どこへ行く」

「今さらこんな小さな村落に興味もない。また次の方策を練るための時間をとる」


 ケリチュットは飛び立とうと軽く膝を曲げた。

「ま、待て!」

 マルクに呼び止められたケリチュットは振り返ると邪悪な笑みを浮かべた。

「せいぜい力をつけるがよい。その方が屈服させたときの快感が大きいし、堕落者となったときにより良い手駒となるーー言っておくが、


 そう言い残すとケリチュットは屋根に空いた穴の間から空へと飛び去っていった。一方的に侮辱された不快感が残ったが、それ以上に安堵している自分に気がつき、マルクは激しい自己嫌悪に陥った。

 ーーはっ。魔物に情けをかけられてほっとしてんのかよ、俺って奴は。


 緊張が切れると同時に切断された右手の傷が痛み出した。そうだ。早くティムの奴に会って治療しないと。それにメディナも助けないといけない。

 

「おい、メディナ。しっかりしろ」

 マルクは床に片膝をつくとメディナを抱き起こした。メディナは気を失っており、頭から血を流していたが命には別状ないようだった。しかし、魔力の過剰行使によって体がひどく衰弱している。安心したマルクは大きく息を吐く。


 ーーよかった。何にせよ、俺達は生き残ることができたんだ。

 マルクはメディナを背負うと彼女の杖と人形を拾い上げ、村の中心部へと向かっていった。


♦♦♦


「行くぞ!……せーのっ!」

 ペタスの掛け声と共に男達が家の柱に結びつけたロープを引っ張ると、柱が引き倒されて民家の屋根が倒壊した。すかさずハンマーを持った村人達が群がり、残った大きな破片を細かく砕いていく。


 大きく燃え広がっていた火を消すのは早々に諦め、ティム達は建物を壊してこれ以上を燃え広がるのを防ぐことに注力していた。幸い延焼被害の大きい場所とそうでない場所がはっきり分かれており、破壊消火は一定の効果を望めそうだった。その合間合間で逃げ遅れた人間がいないか家の中を丁寧に確認していく。


「いたぞ、こっちだ!」

 ティムが向かうと、民家の押し入れの中から幼い少年が発見されていた。居間では父親と母親が殺されていたらしく、少年は無表情のまま村の女性に連れられていく。あの子の心にずっと傷が残らなければいいが、とティムは思うのだった。


「『解呪』!」

 村の男達に取り押さえられた堕落者の男の頭上から、アスター神父が魔法をかける。上に乗った男の体が浮き上がるほど暴れ回っていた堕落者だったが、次第に落ち着きを取り戻していき、ついにはその瞳から発していた赤い輝きが消えた。


「お、俺ーー」

「元に戻ったか、ハテバム!」

 忙しなく周りを見つめるハテバムの周囲で歓声が起こった。ーーいける。俺達にもやれるんだ。タリウスは拳を握りしめるとその内側に確かな感触を感じていた。


「危ない、タリウス!」

 声が聞こえたタリウスが咄嗟に振り向くと目の前には別の堕落者が迫っていた。どうやらタリウス達の足音を聞きつけて咄嗟に家の奥に隠れていたらしい。堕落者はタリウスの上にのしかかると首を絞めようとその両手を伸ばしてきた。


「ひいいいっ!」

 タリウスは叫び声を上げながら堕落者の両手首を掴んで何とか阻止しようとする。「誰か!」

「いかん、タリウスを助けろ!」


 周囲の男達が慌てて堕落者の背中に飛びつき、首や腰に腕を回してタリウスから引き剥がそうと奮闘を始めた。しかし堕落者の怪力は三人がかりでもうまく止められない。

「おい、誰かティムさんを呼んでこい!」


 駆けつけたティムが堕落者を気絶させるとようやく村人達は安堵の表情を浮かべた。

「あ、危なかったーー」

「ティムさんが来なけりゃタリウスは死んでたよ」

「あ、ありがとう、ティムさん」


 ティムは頷くと男達に忠告した。「みんな、今のところ俺の思ってた以上に頑張ってくれてる。けど、安心して油断してちゃ駄目だよ。一瞬の隙が取り返しのつかない事故に繋がる。もう一回、一つ一つ慎重にやっていこう」


 まだ火の手は完全に収まってはいなかったが、あらかた重要な場所の処置や探索を終えようとしていた。新たに二十人近くの生存者が見つかり、『解呪』を受けて元に戻った村人は十人余りにも上った。少しでも助けられてよかった、と思ったティムだったが、まだ胸を撫で下ろすには早かった。


「後は村の入口の門の方へ向かうだけですね」

 フパンの言葉にティムは静かに頷いた。タリウスが横から神妙な顔をして話しかけてくる。

「ティムさん、いくらあなたでも行かない方がいい」


「一体、門では何が起こってるんだ?」

「それが、ある村の者が前を塞いで誰一人遠そうとしないんです」

「そうなんだ」ペタスが頷く。「そのせいで外に出られなくなって、みんな教会に駆け込んだんだよ」


 ティムは村を訪れたときに目にした光景を思い出す。高く丈夫な丸太の柵が村の周囲を覆っていて獣や外部からの侵入者を防いでいた。こんな辺境の村に似つかわしくない重装備な防衛機構だった。


「無理矢理通ろうとした奴らはみんな殺されちまった。は無茶苦茶なんだ。ティムさん、いくらあんたでも奴を倒すのは無茶だ」

「けど、そいつを倒さなきゃいつまでたっても村の外へ出られない」


 そう言うとティムは門の方へ一歩踏み出した。「みんなは先に教会に引き上げてくれ。俺もすぐに後から向かう」

「ティムさん!」

「私が一緒に向かいましょう」


 ペタス達の後ろから現れたのはアスター神父だった。「戦闘には不向きですが、サポートぐらいならこなせる」

 ティムはしばし思案したが、やがてアスターの申し出を受けることにした。

「わかりました。けど、あなたはこの村にとって必要な人だ。絶対に死なないようにしてくださいよ」







 



 

 




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