第33話 あのとき
マルクは自分の右手首を掴むと何度か握ったり放したりを繰り返してみた。ようやく神経がしっかり癒着して元の感覚を取り戻しつつある。神父に頼まずにティムに切断された右手の接合を任せてみたが、戦いの後で疲れていたということもあり、お世辞にもあまり良い治癒を受けたとは言えなかった。あいつはもっと戦闘寄りの能力を伸ばすべきなのかもな、とマルクは思った。
マルクは "黒の白" の建物の自室にいた。あれから、依頼を終えた三人は村を訪れた王国警察の騎士達に調査結果を報告した。ケリチュットによってダホス家の兄弟が堕落者化し、村が滅亡しかけていたと報告を受けると騎士達は、信じられない、といった顔をしたが、村の惨状を見るとさすがに納得したようで、後日ギルドで報酬の受け渡しがあると告げられた後、三人は王都へ戻ってそのまま休暇に入った。
マルクは手以外は軽傷だったが、目立った傷のないメディナの方が症状が重かった。魔力の過剰行使によって脳と心臓に著しく負担がかかり、王都に戻ってからもずっと昏睡状態が続いていた。早く目覚めればいいが、とマルクはずっと気にかかっていた。しかし、マルクには他にも考えなければならないことがあり、メディナのことばかり考えているわけにもいかなかった。
マルクはケリチュットに堕落者化させられそうになったときのことを思い出す。まだ自分の中にあれほど激しい感情が残っていたことに自分でも驚いたが、それはマルクにとっては喜ばしいことでもあった。
マルクが一番恐れているのは、自分の怒りが風化してしまうことだった。俺があいつを追うのを諦めてしまえば、兄貴達の魂が報われる日は永遠に訪れない。
そのとき、ドアをノックする音が聞こえてマルクは振り向いた。誰だ、と訊ねるとどうやら訪問者はティムのようだった。
「ちょっと時間いいか?」
少し迷ったが、了承するとマルクはドアを開けて仲間を自室に招き入れた。
ティムは初めて入るマルクの部屋を眺めてしばしの間立ち尽くしていた。壁際の棚には薬品の瓶が並び、その横の作業机の上には小刀や動物の牙、色とりどりの木の実などがそのまま放置されている。本棚には薬学の本に加え、格闘術の本や東洋の神秘に関する書物、それに政治の本まで並んでいた。コートスタンドには毛皮や黒装束がかけられている。
「そんなところに突っ立ってないでまぁ座れよ」
マルクは作業机の椅子を引いてきてティムの前に置くと自分はベッドの上に腰かけた。勧められるままにティムは椅子に座ると、おずおずと話を切り出した。
「き、傷の方は大丈夫か」
「ああ、これか」マルクは右手を持ち上げる。「まあ、十日以上経ってようやくなじんできたよ。もう少し魔法の腕を磨く必要があるかもな」
「そうかーーすまない」
するとティムは途端に黙り込んでしまった。プライベートでは回りくどい会話が嫌いな性格のマルクは話の続きを促す。「どうしたんだよ。話がないならさっさと帰ってくれ」
「わ、悪い!じゃあ思いきって聞くがーー」
ティムは聞き辛そうな表情をしたままマルクに訊ねた。「ダホス家の屋敷でケリチュットと戦っていたとき、お前とメディナは村の火事に過剰な反応を示した。メディナは "あのとき" なんて言い方をしてたが、それって一体何なんだ?」
「………………」マルクは突然、沈黙した。
「これは俺の勘なんだが、『あのとき』のことというのはこのクランが受けている悪評と関係しているような気がしてるんだ。違うか?」
マルクは黙り込んだまま口を開こうとしない。
「 "依頼で訪れた村を襲って火をつけて住民達を皆殺しにした" なんて話、もちろん信じちゃいない。半月ほど一緒に過ごしただけだが、お前達が誠実で、信用に値する奴らだってことは俺が一番よく知ってる。だからーー」
「その話は事実だ」
「ーーえ?」
「聞こえなかったか?なら、もう一度言ってやる。"俺たちはかつて、ある村の住民を皆殺しにした" 」
静かな部屋にかすかに木材が軋みを立てる音だけが聞こえる。マルクは膝に置いた手を前で組むと、『あのとき』のことについて滔々と語り始めた。
三年か、四年前だったかな。俺とメディナがクランに加入して間もない頃だったと思う。当時の俺達はリーダーであるアシェドに認められようと必死で、★や★★に過ぎない難度の依頼を必死にこなしていた。細かい事情は話さないが、俺達には他に行き場はなかったんだ。お前だってそうだろ?
その頃には今いるメンバーの他にさらに二人の人間がこのクランには所属していた。今の俺からするとそれほど腕の立つ人たちじゃなかったが、とにかく面倒見のいい人達でな。俺達もよく可愛がってもらったもんだ。知ってるか?『ニキーヤスリング』って。二キーヤ地方で発明されたカクテルで、マンゴーのブランデーをレモンジュースやジンで割ったものなんだが、度数が低い割に果実ジュースみたいにガバガバ飲めちまうもんですぐ悪酔いするんだ、これが。よく徹夜して食堂でベロンベロンになるまで飲んでたのを思い出すよ。メディナの奴は白い目でみてたけど……おっと、話が脱線しちまったな。
当時の俺達はその二人と行動を共にすることが多かった。大したことのない依頼にフラストレーションを溜め込むことが多かったが、彼らはそんな依頼でも一つ一つ丁寧にやることを教えてくれた。いわば冒険者としてのイロハだよな。いくら仕事ができても、細部をおろそかにする奴は深い意味では信用されねぇ。ある意味、超高等な技術を身につけるよりも大事なことをそのときに学んだ気がするよ。
そんなある日、モンスター掃討の依頼を受けて王都から南西へ六日程の距離にあるゾカっていう村を訪れることになった。村にはその二人に加えてアシェドも同行していて、依頼自体は何の問題もなく解決した。その頃にはアシェドは既にAランカーだったし、他の二人もBランク、俺とメディナもDランクではあったがギルドでは有望な新人として注目を浴びていた。洞窟に潜んでいた
そして依頼が解決した夜、俺達はゾカの住民から歓待を受けた。俺達にとっちゃ大したことのない魔物でも住民達にとっては同胞の命を何度も奪われた憎き、そして恐ろしい相手だった。秘蔵の酒や豪勢な料理を振る舞われ、住民達一人一人と握手を交わして深く頭を下げられたよ。冒険者として最も充足を感じる時間だった。
しかし、そんなときに奴はやってきた。
「奴って?」
「決まってるだろう。"新世代の悪魔" さ。当時はその存在すらまったく知らなかったが、今思えば確かにケリチュットと同種の魔物だったと思う」
ただ、俺の記憶が確かならば、奴はケリチュットよりももっと強大な力を持っていた。一瞬で大勢の村人を『支配』してしまうと、平和な村がすぐに地獄へと化した。人々は殺し合い、奪い合い、犯され、狂っていった。今でこそ『解呪』に一定の効果があることがわかってきたが、当時の俺達は堕落者に対してまるで無知だった。村が崩壊していくのをなすすべなく指を加えて見ているしかなかったんだ。それに、それよりも厄介な敵を相手するのに精一杯だった。
「"新世代の悪魔" 、だな?」
「ああ。奴は恐ろしく強かった」
奴は本当に強かったよ。まともに相手ができたのはアシェドぐらいで、先輩冒険者の二人ですら近づくことさえできなかった。そうこうしている間にも村は炎に焼かれ、人々はそこら中でバタバタと死んでいく。まさにこの世の地獄さ。そして、頼りのアシェドすら魔物の圧倒的な力の前に徐々に追い詰められていったーーしかし、突如その状況は一変した。
「何が起きた?」
「何と、アシェドが堕落者化したんだ」
「……何だって?」
件の魔物ですらその変化には驚いていたよ。どういうわけか知らないが、アシェドは自分の意志で堕落者としての力を引き出せるらしい。その圧倒的な戦闘能力で新世代の悪魔は瞬く間に始末された。これで村人達を何とかすれば、この騒ぎもどうにか収まる。そのとき俺はそう考えていたんだが、そううまくはいかなかった。何故なら、アシェドの堕落者化が収まらずに暴走を始めたからだ。
「……それで、一体どうなったんだ?」
ティムは唾を飲み込んだ。新世代の悪魔すら凌駕する力が無闇に行使されてしまったら……。最悪の光景が頭をよぎる。
アシェドはそれでも自我を保って何とか耐えていたよ。しかし破壊衝動に襲われて顔つきが悪魔のように歪んでいく。俺とメディナは突然のアシェドの変貌ぶりに震えが止まらなかった。とんでもない威力をした爆弾の導火線の火が既についちまってるような状態だったからな。ただただ震えながら、先輩達がアシェドを取り押さえようとするのを見つめているしかなかった。
そんな俺らを見かねた先輩達は俺達にこう言った。お前達は村を出て先に逃げろ、と。俺達は何とかアシェドを連れてここから脱出する、と。もちろん俺達は反発した。しかし、先輩達は俺達が残ることを絶対に許してはくれなかった。今思えば、あのときあの人達は既に死を覚悟していたんだと思う。村を出るときに外から閂をかけることだけは忘れるな、とだけ言い残して再びアシェドとの揉み合いに戻った。俺達は言われた通りに村から脱出すると、村人が外へ出ないように門に閂をかけた。ゾカはウォルドとは似ても似つかない村だったが、柵が高く丈夫な点だけは共通していた。村を襲うモンスターへの対策だったんだろうな。
三日後、ゾカに戻ってくるとすべてが燃え落ちた後だった。廃墟と化した村で活動している生命はなく、俺達はギルドに一つの村が滅びたことを報告した。そして一週間後、失意の日々を送る俺達の前にアシェドが姿を現した。歓喜に沸き、アシェドを出迎えた俺達だったが、アシェドはぼろぼろの風体で無表情のままだった。先輩達は?と訊いても答えはない。以来、先輩達がここに戻ってくることはなかった。
「あれから何とかアシェドは立ち直り、クランの活動も再開したが、あれ以来そのときのことをアシェドが語ることはない。そしてクランヘの悪評だけが残ってしまった。確かにゾカを滅ぼしたのは俺達だ。しかし、それ以外のことについては根も葉もない噂話なんだ」
「そんなことがーー」
確かに村一つを滅ぼしたとなると悪辣な犯罪者集団としてのレッテルを貼られてしまうことは想像に難くない。その噂に尾ひれがついていき、結果として今日のクランの評判となっていったのだろう。しかし、真相を知ることができてティム自身としては穏やかな気分になれた。結果はどうあれ、彼らは事態を収めようと懸命に努力していたのだ。信ずるに足ると思っていた自分の直感に間違いはなかった。
「……あと、これは俺の単なる勘だが、きっとアシェドの探してる妹と、アシェドの堕落者化は決して無関係じゃない」
「まさか、アシェドの妹も堕落者かもしれない、と?」
「かもしれない、というだけだ。いずれにせよ、これ以上のことを知るには直接アシェドに訊くしか方法はない」
ソレミアを脅かす驚異である堕落者にアシェドが関連している。彼は一体何者なんだろう?もしかして、これからのソレミアの行く末の鍵を握る人物の一人なのではないだろうか。ティムにはそんな思いさえしてくるのだった。
「なあ。そういえばお前がここに来た目的は一体何なんだ。普通の冒険者になりたい奴がわざわざこのクランを選んだりはしないだろ」
突然マルクに問われたティムは一瞬答えに窮する。しかし、取り立てて隠す理由も見当たらず、むしろ周囲の者に理由を知っておいてもらった方がいいのではないかと思い、正直に話すことにした。
「実は一年以内にAランクの冒険者にならなくてはならない。そうしなければ育った修道院への援助が打ち切られて潰れてしまうんだ」
「そいつはまた中々に重い理由だな。二、三年ならまだしも一年かーー」
「やはり厳しいか?」
不安げな表情で訊ねるティムにマルクはにやりと笑った。
「いや、特段そうでもないさ。うちは難度で依頼を選り好みしない実践派のクランだ。今回みたいに新人だって遠慮せずにどんどん駆り出される。そういう意味では期待してもいいぜ。ただし、お前がついてこれるかは別の話だが」
「そうかーー!」
途端にティムの表情が明るくなる。厳しい環境は望むところだった。必ずAランク昇格を達成してやる、と意気込みを新たにするのだった。
ふと気になったティムはマルクにも同じ質問をした。「そう言えば、マルクの理由は何なんだ?」
するとマルクの表情に翳りが射す。マルクは言葉を選ぶようにしてゆっくりと話し出した。
「俺か?俺はーーそうだな、つまらない理由だよ。親父の居場所を探し出して、あいつを殺すことだ」
「親父を、殺すーー」
「ああ。あのくそったれを殺さなきゃ、俺の本当の人生は始まらねぇ。俺は今も半ば死んだような人生を生きてるんだよ」
「ーー訊いてもいいか」
「言ったろ?つまらない話だ。腕利きの
マルクは当時のことを思い出して歯噛みした。
「地獄みたいな暮らしだったよ。親父は幼い俺達を自分と同じ暗殺者にしたかったらしく、毎日過酷な訓練を課した。二十四時間、前触れなくどこからともなくナイフが飛んできたり、武器を持たされて兄弟同士で本気の殺し合いをさせられたりと、そりゃあ散々な目に合わされたよ。おまけに、少しでも手を抜いていたとわかると容赦なく殴りつけられた。おかげでこのとおり、両方の奥歯がもう既にねえよ」
マルクは唇の端を引っ張ってティムに口の中を見せた。綺麗な白い歯が並ぶ奥にぽっかりと黒い空洞が空いている。彼の少年時代の過酷さが垣間見えた気がした。
「まあ、それぐらいなら何とか耐えることができた。問題はその先だった。俺達に親父ほどの才能がないとわかると、親父は俺達を自分の技の実験台にし始めた」
「なんてことをーー」
「ある日突然、親父からぶん殴られるようになった俺達の気持ちがわかるか?それまでどんな酷いことをされても親父の良心を信じようとしてきた結果がそれだった。親父は笑いながら技の名前を呟き、俺達の体を殴ったり、蹴ったり、あるいは突いたりした。死なないようにちゃんと加減されながらな。奴はクズだが馬鹿じゃない。ちょうどいい的が無くならないように大事に使ってたんだ」
「……………………」
ティムにはかける言葉が見つからなかった。この世界には無慈悲にも避けようのない大きな不幸を持って生まれてきてしまう子供達が一定数存在する。彼らには一切の罪がないのに、だ。神に仕える者だったにも関わらず、こんな話を聞くといつも主の存在を疑ってしまいそうになった。その目には、自分の産み出した子供達の姿がちゃんと見えていらっしゃるのだろうか、と。
「そんな日々が何年も続き、心身共にボロボロになっていった俺達に親父が最後にした仕打ちがこれだ」
そう言うとマルクはベッドの上に小瓶を置いた。
「まさかーー毒?」
マルクは皮肉げに唇を歪める。「そのまさかさ。暴力がやんだかと思えば、奴は毎日俺達に少量の毒を接種してその反応や効果時間、効き目の強さなどをつぶらに観察していった」
「何て鬼畜なーー」
「今だからわかることだが、おそらく奴の中にサディスティックな趣味などはほとんどなかった。あるのは対象が、自分の技量あるいは地位を高めるための "道具" として利用価値があるかどうか、という関心だけだ。俺達に対する愛情など欠片もなく、ただ俺達は奴に利用されるためだけに生まれたに過ぎない」
ティムはどうにかしてマルクの魂を救う方法を探してみたが、その答えは見つからなかった。今まで俺が学んできたことは一体何だったのだろう、と自嘲的になる。ひと一人の心すら救うことができなくて何が修道士だーー。
「その結果、兄貴達は衰弱して死んでいった。兄貴達と違い、毒の扱いに興味があった俺は親父の目を盗んで書物を読み漁っていたので、中和させる薬品を接種することで何とか生き残ることができた。それも一つの賭けだったがな」
そこまで話し終えたマルクの眉間に段々と皺が寄っていった。
「奴は利己的な性格の上、権力志向でもある。ソレミア政府の役職にはついていないが、きっと近隣のどこかの国の重要なポストを狙っているに違いない。あるいはもう既に就いているかーーいずれにせよ、俺は奴を見つけ出して必ずこの手で殺す」
ティムは圧倒されていた。マルクにも、ティムと同等か、それ以上に抱えているものがあった。俺達は自分の目的をやり遂げることができるのだろうか。ティムは何度もそう自問せずにはいられなかった。
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