第4話

私たちが同じクラスになることはなく、三年間結局何のかかわりも持てずに卒業してしまった。


ただ、一度だけ……。

先生に頼まれた資料を抱えて職員室へ向かっていた時、偶然職員室から出て来た蒼くんが、両手がふさがっている私に気付いて一旦戻って職員室の扉を開けてくれたことがあった。

その時の私は、驚きと嬉しさで一杯になって。


「あっ……ありがとうっ」


慌ててお礼を伝えると。蒼くんは、


「うん」


そう一言だけ返事を返してくれた。

それが、ただ唯一言葉を交わした出来事だった。


(そんなの蒼くんにとっては日常の一コマであって、きっと何も気にしていないし、覚えてもいないんだろうけど……)


そこに深い意図はないのだ。

それでも、私は嬉しかった。

蒼くんが昔と変わらず、優しくて。




ふと、前を歩いていた蒼くんが足を止めた。

何かに気を取られているのか暫くその場にたたずんでいたが、再び歩き出すと遠くの角を曲がって行く。


(あの場所は……)


蒼くんが立ち止まっていた場所まで足早に進んでいく。

すると、そこには……。


私たちが一緒に遊んでいた、あの公園が通りの向こうに見えた。

多くの木々が植えられた、この辺りでは少し広めのその公園は、出会った頃のように夕陽が赤く照らし、同時に周囲に暗い影を落としていて、どこか寂し気だった。


(蒼くん……)


蒼くんは、どんな気持ちでこの景色を見つめていたんだろう?




その晩。

遥はいつも通り夕飯の支度したくを済ませると、母の帰りを待ちながらダイニングテーブルのはしで宿題を広げていた。

仕事の帰りが遅い母親に代わり、平日は遥が夕食を作るのが日課となっていた。


最初、母は遥が台所に立つことには反対していた。

父と離婚したことで寂しい思いをさせているのに……と、どこか遥に対して負い目を感じていたのだ。

だが、朝から晩まで働き、女手一つで遥を愛し育ててくれた、そんな母の背中を見ていたからこそ、少しでも母の負担を軽くしたい。わずかながらにも役に立ちたいと、遥は思うようになっていった。


「まだ子どもなんだから、そんな風に気を使わなくていいの。他の子たちみたいに少し位遊んでも良いのよ。遥には自分の時間を大切にして欲しい」


そう切実に願う母に。

遥は笑って、自分は料理するのが好きだから夕飯の支度をしたいんだと伝えた。


何度止めても毎日のように準備をして待ってくれている娘に母も折れて、今ではそれがすっかり定着していた。

遥の料理の腕も、今や一般的な料理ならお手の物だ。



「よし。終わったっと…」


広げていた教科書とノートをパタリ……と閉じると、遥は大きく伸びをした。

すると、そこで玄関の扉が開いた。


「ただいまー」


廊下の奥から聞こえる母の声に立ち上がると、


「お帰りなさい」


遥はいつも通り、笑顔で玄関まで迎えに出るのだった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る