第75話

その日の仕事が終わり、賄いとして用意してもらった食事も終え、帰り支度も済んだところで、冬樹は仁志に声を掛けられた。


「…え?…笑顔の練習…ですか?」

「うん。いわゆる『営業スマイル』ってやつだよ。最初は緊張するかも知れないけど意識してやってみてくれるかな」

「う…はい…」


思わず固まってしまう。


「キミはこの一週間で驚くほど仕事をこなしているよ。だからこそ、次のステップに挑戦して貰いたいんだ」


バイトの教育係である仁志に真面目に指摘され、冬樹はその言葉を重く受け止めた。


それは確かに接客業においては当然のことだと冬樹も思う。

だが、自分がすぐに出来るかというと、それはまた別の話だった。

自分はずっと『愛想を良くする』ということをあえて避けてきた。


それは、人との関わりを出来るだけ持たないようにする為に。

自分のテリトリーに他人を踏み込ませないように…。


だが、働く以上はそんなことを言ってはいられない。


(ちゃんと、それも『仕事』と割り切ってやるべきだ。…だけど…)


そこには、大きな壁があるような気がしてならなかった。


そんな冬樹の内心の葛藤かっとうが伝わったのか、様子を見ていた直純がくすくす笑って声を掛けてくる。


「冬樹。そんなに構えることはないよ。自然に自然に…。ほんの少しの意識からで大丈夫だからさ」


そう優しくフォローを入れてくれる。

そうして冬樹はその日の仕事を終え、二人に挨拶をすると店を後にした。



冬樹が帰った後の店内。


直純は不意にクスッ…と笑った。

その様子を、横にいた仁志が怪訝けげんそうに見る。


「…気持ち悪いな。突然思い出し笑いなんかして…」


そんな仁志の反応にも直純は笑って言った。


「ああ…ごめんごめんっ。…いや、さっきの冬樹の顔を思い出したら笑っちゃって…」


そう言いながらも、くすくす肩を震わせて笑っている。


「あいつ…普段、表情にとぼしいイメージあるだろ?でもよく見てると一見無表情の中にも色々顔に出てて面白いなぁって思ってさ。さっきも仁志に『営業スマイル』って言われた時、超葛藤が顔に出てて。それ思い出したら笑っちゃって…」


そう言いながらも、楽しそうな直純に。


「…そうだったか…?」


仁志は分からないという顔をした。


「うん。目…かな?目に出てる。『目は口ほどに物を言う』ってね」



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