第13話

* * *


 休日の朝。めずらしく社長の電話で起こされ話があるからと出社するように言われた。

 アイドルのマネージャーは、厳しい納期や締め切りとは無縁の仕事だ。

 話は事務所に来てからということだったので、理由を考えながらスーツに着替える。

 もちろん深く考えるまでもなかった。

 自分の仕事で突然の呼び出しがあるとすれば、基本的にトラブル以外にない。それも自分の担当アイドルに何かあったという一択なので、気が重かった。

 本当は今日羽鳥も休みだったので、昼から一緒に出かける予定だった。

 少し迷ったが、寝ているところを起こすのも悪い気がして、ちゃぶ台の上に書き置きだけして家を出て来た。


 事務所に着くと社長室から声が聞こえた。社長室は上半分が磨りガラスになっているので社長以外にもう一人いるのが分かる。嫌な予感は当たったらしい。

 ノックをしてから部屋に入れば、社長の机の前にミカが立っていた。

 どう見てもヤクザに借金の取り立てをされている図にしか見えない。ミカは下を向いたままだった。

「おはようございます。社長」

 無言のまま机の上を指さされ、視線を落とすと、そこには印刷された雑誌の記事が乗っていた。

 それを見ても驚きは無い。

 一ヶ月以上も前に、高瀬は同じ写真を見ていた。

「週刊誌『サーチアイ』今週号だ。ちなみに、もう記事の差し止めは出来ない」

「はい」

 羽鳥が事務所に持ってきたミカのスキャンダル写真。

 恋人同士の仲睦まじい様子がよくわかる。

 白黒の印刷になっていても羽鳥の作品だと分かる、美しい写真だなと思った。以前、高瀬が見た時は相手の男のモザイクはなく、本当に楽しそうで幸せそうな写真だった。

 今はミカ本人だけが幸せそうに笑顔で写っている。

「申し訳ございませんでした。私の監督がいたらなかったばかりに」

 高瀬が深く頭を下げると、隣に立っていたミカが慌てて声をあげた。

「高瀬マネは悪くない! 私が……彼氏作っただけ、だから」

「ほー。だけ、ねぇ。アイドルやりたくてうち来たんじゃねーのかよ、ミカ」

 社長の静かな諭す声にミカは震える声で、何か言おうとして、最後まで何も言わなかった。

 自分の上がらない人気ランキングで自棄になっていたのだろう。写真を見たとき、そんなミカの「辞めたい」と思う気持ちには気づいていたのに、迷って何も言えなかった高瀬にも責任はある。

「つまり、その程度の気持ちだったってことなんだよ。ま、お前、最近だいぶ腑抜けてたし、遅かれ早かれと俺は思ってたよ。うちじゃよくあることだから。――じゃ、あとのことは、高瀬と相談して決めてくれ『SNNファイブ』からは脱退。以上、今までご苦労さん」

「はい、お世話になりました」

 ミカは頭を深々と下げた。

「で、高瀬よぉ。お前、この記事の件、知ってたんだろ」

「……いえ」

 否定したものの社長の鋭い眼光に一瞬怯んでしまう。

「ホント、新卒の頃から変わらねーな。嘘がつけない。別に、お前にゃ怒っちゃいねーよ、高瀬にはアイドルの側に最後まで立って欲しいから雇ったんだし。――つまりな、ミカ、お前は、こんなに尽くして応援してくれた高瀬を裏切ったんだよ。やる気なくすのは勝手だが、その意味だけは、よーく考えろよ」

 高瀬は社長室を出たあとミカに外へ行こうと誘った。今後の話をするにしても、事務所の中には話が出来るような打ち合わせスペースはないし、そもそも、あの空気のなかで出来るとは思えなかった。


 ミカを連れて来たのは、お客が少ない穴場の喫茶店というよりは、タバコの匂いが染み付いて、若者が寄り付かない地下にある古い喫茶店だった。

 外は、すっきりとした秋晴れで午前。こんな薄暗い場所なんて少しもったいない気がした。けれどアイドルの引退の件なんて、明るいカフェのテラス席でする話でもない。

 高瀬は、この店のタバコの匂いは慣れっこだったし、苦味の少ないコーヒーの味は好きだった。高瀬の予想通りランチの時間にも早かったので、店内には自分たちしかいなかった。

「好きなもの頼んでいいよ」

 そう言ってメニューを渡したが、ミカが首を横に振ったので、マスターにコーヒーを二つ頼んだ。ほどなくして運ばれて来たカップに、高瀬が口を付けたところで、ようやくミカは口を開いた。

「ごめんなさい。あと、今までありがとうございました」

 コーヒーが出来上がるまでに吹っ切れたのか、社長室にいた時よりミカの表情は明るくなっていた。

 こういった切り替えの早さや、気持ちのいいあけすけな物言いなんかは、アイドルに向いていたし、彼女は彼女なりにグループで輝いていたのに本当にもったいないなと思った。

「もういいよ。お説教は、俺が来る前に社長からたっぷりされただろうし。自分としては最後までミカのサポートが出来なかったことが、悔しいだけだから」

「あたし、本当は分かってたんだ。前に、ライブのあと、一人だけ車に残されたことあったでしょう? あの時ってグループ卒業の話するつもりだったんじゃない? 高瀬マネ、ライブの時には、もう記事のこと知ってたんだよね」

「……あー、うん。ごめんな、なんか俺、隠し事が出来ないらしい」

 ミカは首を横に振った。

「でも、高瀬マネ、結局、最後まで言い出さなかったから。そのとき、気づいたの、なんでこんなに応援してくれる人がいるのに、自分のことしか見えてなかったんだろうって。もっと頑張らなくちゃって、――もう遅いのにね」

「そんなことないだろ。最近、順位上がって来たじゃん。もちろん、もうこの事務所でグループには居られないけど、ミカの努力が無駄だったわけじゃない。別の事務所でもやり直しは出来る、まだ若いんだからな」

「高瀬マネ、ホント優しいね。その言葉、本心だってわかるもん。分かってたのに、あたしは、あたしのことを信じられなかった。だから、彼氏だって作ったし、外でデートだってした。売れないのは、自業自得だよ。だから、もうアイドルに未練もないし、これきり芸能界も辞めます」

「……そっか、わかった。一ファンとしては残念だよ。一応、事務所からの形式的な話で申し訳ないけど、卒業公演まではお願い出来るかな。雑誌の記事出たあとで、気分良くないだろうけど、ケジメとして」

「もちろん、正直、そこまでさせてもらえるとは思わなかったから、社長に、最終公演のこと言われてびっくりした」

「犯罪犯した訳じゃないし。うちの事務所では、よくあることだから……」

 自分の働いてる芸能事務所の印象は、女性アイドル事業にAV女優と、なかなかにヤクザだが、会社としてはクリーンだし法律違反はしてないので、この件に関してミカに莫大な違約金が請求されることもない。

 無論、よくあることでは困るし、社長としてもアイドル事業をやる上で、恋愛絡みの問題は悩ましいのだろう。

 高瀬がどれほど、愛情を注いで応援したところで、本人の私的な恋愛感情まではコントロール出来ないので、どうしようもない。だからこそ、やりきれない思いが募った。


「ね、ところで、さっきの写真」

「あぁ」

「すっごい、綺麗に撮れてたねぇ!」


 驚きと喜びいっぱいのミカの笑顔に、高瀬は目を瞬かせた。


「マジで、びっくりしたぁ。自分じゃないみたいだった。あんなにあたしって可愛かった? 凄腕カメラマン? 感動しちゃったなぁ。自分のスキャンダル写真なのに」


 高瀬が育てたアイドルの引退なのに、その言葉だけで報われた気がしてしまった。自分のことのように嬉しかった。ほら、ちゃんとお前の気持ち届いてるじゃんって、羽鳥を引っ張ってきて、この場でミカの声を聞かせたかった。

 スキャンダル写真を撮った人なのに、少しも悪い人と責められてないのだから笑えた。

 伝わる人には、ちゃんと伝わるし、お前は捻くれたところで綺麗な写真しか撮れないんだからなって、言ってやりたい。

「知らなかったのか? そう思ってたから俺はミカのこと全力で応援してたよ。今日まで」

 ミカが可愛いのは写真の力だなんて言うつもりはなくて、羽鳥がミカの魅力を引き出す才能に長けていたからだと思っている。

 だからミカが可愛く写っているのは、本人の底力みたいなものだ。


「高瀬マネって、ホント、たらしだよね」

「そうかぁ?」

「女泣かせまくってるでしょうぉ」

「それ以前に、モテないからな」

「で、この写真撮った人、もしかして、高瀬マネの好きな人だったりする?」

 突然のミカの言葉に高瀬は目を丸くした。


「え? は、なんで」

「――今、あの写真のあたしと、高瀬マネが同じ顔してたから。なんかさ、すごい幸せそうだった」


 羽鳥が事務所に来た時のことを思い出す。再会するまで、ずっと、後悔していた。二度と会えないなら、せめて幸せでいて欲しいと思ったし、きっと幸せにしていると思っていた。

 そんな羽鳥ともう一度会うことが出来た。

 もう一度、彼の写真を見ることが出来て、思いを伝えることが出来て、嬉しかった。まだ、その思いは伝え足りない。


「……大切な人だよ」


 推しだと言うつもりだったのに、言えなかった。

 上野のパンダと比べることは出来なかったのに、ミカの写真を思い出したら、もうダメだった。気づかない振りも出来ない。

 ミカは、それを聞いて何故か大喜びしていた。


「えー、大切な人って恋人ってことだよね! すごいドラマチックじゃない? 芸能記者とマネージャーの恋。もしかして、うちの事務所の敵だったり? ねぇねぇ、どんな出会い方したの? 美人? かっこいい?」


 高瀬の内心の戸惑いは置いてけぼりにして、ミカの口からは、どんどん羽鳥と自分のドラマチックな物語が創作されていった。


 高瀬は羽鳥が記者じゃなくてカメラマンだとも言えず、表面上は、なんとか普段通り笑って相槌をうっていた。

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