第4話 疑問の凍結
目的の駅に辿り着いた私達はそそくさと降車し、改札を目指す。
私は後部車両の乗客の身を案じ、車掌へ報告すべきと訴えたが、望月さん曰く「霊力で探知したところ生存者はおらず、あらぬ疑いがかけられる可能性がある」と一蹴された。
改札に向かう道中、望月さんは私に質問を受け付けると言ってくれた。
「先程の短槍も言霊の行使なのですか?」
「厳密には言魂だな。この鏃のように無機物に魂が宿った道具を霊具と言い、霊具の字名を唱えるとその力を抽出することが出来る。この瑪瑙(めのう)の鏃(やじり)は使用者の前進を一時的に加速させる力を持つ。故に膂力・脚力が乏しい俺でも、追撃を受ける前にあの霊獣を貫くことが出来た」
柊には使用していたことは内密に、と望月は付け加えた。
「言霊師は皆、霊具で武装しているのでしょうか?」
「いや、殆どしていない。霊具は希少だからな。そもそも規格外の化け物である霊獣と、遠距離からの言霊以外でまともにやり合うのは危険だ」
面倒見の良さに忘れかけていたが、言霊師もまた超常の存在であるのだ。
私達は無人の改札口の脇に設置された回収箱に切符を投入し、改札を抜ける。
駅を出ると、二人は迷いなく喫煙所に向かう。
私も霊獣の襲撃直後ということもあり、どことなく一人が心細くなりその後を追う。
沙原さんは一服し、ようやく落ち着きを取り戻したようだ。
無理もない。
応急処置はしたが、そもそも彼女は負傷している。
(優等生なことを言うと、血管を拡張し出血を促す喫煙は止めたいところですが......)
私は心配事を飲み込み、代わりに気になっていたことを確認する。
「望月さんは、発語なしに言霊を行使できるのですか?車内では前兆なくいくつかの超常現象が発生していました」
「ああ。言霊師は沙原のように発語を必要とする3等級、俺のように視覚で捉える範囲においては無詠唱で行使できる2等級、そして柊のように、知覚さえしていれば無詠唱、かつ遠距離でその力を行使できる1等級に分類される」
望月さんは苦虫を噛み潰したような表情をする。
「柊の霊力は群を抜いている。俺も沙原も等級判定に来いなどと理由をつけて、あいつに挨拶に行き知覚されたが最後、以降霊力が薄くまとわりつき、ずっと捕捉されている」
(故に柊さんは人里離れた場所にいても、言霊師を掌握出来ているのか)
「俺が都心に身を置く理由の1つがそれだな。物理的距離と人混みは、柊の探知を回避するのに役に立つ」
「でも柊さんにはお見通しのようですね。迎えが来ているようです」
ほらあれ、と沙原さんが指差した先には黒の高級車が停まっていた。
その傍に和服を着た50代くらいの男性がこちらに向かって深くお辞儀をしていた。
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陽が落ち、山々の外円を朱に染め上げる頃、私たちは柊さんの屋敷の居間にいた。
座布団が3つ敷かれており、私達はそれぞれその上に座している。
沙原さんと私は旅の疲労が蓄積した脚をさすりながら、緊張した面持ちで正座しているが、望月さんは堂々とした面持ちで胡座をかいている。
その時、襖が開かれた。
そこには、紅色の生地に金色の糸で蝶が施された浴衣を着た70代くらいの女性が正座していた。
「柊です。遠路はるばる良うお越し下さいました」
丁寧に、だがどこか威圧感のある声でそう言い、両手を畳に着け頭を垂れる。
とんでもないです、と私は慌てて面を上げるように促す。
「柊、到着を予見し迎えを寄越すとは流石の千里眼だな。まだ言霊師を覗くことに勤しんでいるのか?」
やけに挑発的な望月さんに対し、柊さんは余裕ある面持ちで返答する。
「千里眼だなんてそんな大層なもんではありません。ただ言霊師のルールを1つも守らず、気の向くままに力を振う放蕩者に寄り添う愛情みたいなものですよ」
「なにを...俺ほどルールに忠実な者もいないだろう。管理者にあたる柊にその身を捕捉させるよう、助手共々挨拶に来たことを忘れたか?」
望月さんは過去に達成したたった1つの遵守を持ち出し反論する。
「それは失礼。望月さんが1までは数えられることを失念しておりました」
最近物忘れが激しくて、と柊さんは付け加える。
この2人の間に何があったかは知らないが、とても協力を依頼出来る雰囲気ではない。
気が気でない私は割り込むように口火を切る。
「申し遅れました。私、官庁の糸川という者です。日本が抱えるエネルギー問題について、望月さんに相談したところ、解決には人手が必要と、言霊師を束ねられている柊さんを紹介して頂き、依頼に参った次第です」
「これはこれはエネルギー庁の糸川さん。わざわざありがとうございます。大臣の幸成さんはご壮健かしら?」
私は開示していない所属を言い当てられたことと、思いがけず登場した上長の名にたじろぐ。
隣で望月さんが、「な、化け物だろう?」と小声で囁く。
「ご存知でしたか......。柊さんのお力は断片的にですが伺っております。では、私のお願い事についても、もしかするとご認識されてますでしょうか?」
「ええ、勿論」
「でしたら...『お断りします』
間髪入れず柊さんが被せる。
「言霊師は俗世の流れを変えるような形で力を行使すべきではありません。人の手により地が穢れたのであれば、それは同じく人の手と時間経過により解決するべきなのです」
「では、言霊師の使命とは何なのでしょう?」
「言霊は過去から現在までの変遷、つまり歴史を次の世代へ遺すための道具に過ぎません。我々は過去の人々が犯した過ち、達成した偉業、それらを言の葉に乗せ伝達し、人類の発展を陰ながら支える。その役割に徹するべきなのです」
私は柊さんの主張に共感してしまう。
確かに人類が遭遇するあらゆる困難に対して、都度言霊を用いて解決を図れば、科学技術は発展せず、今の我々の暮らしは実現しなかっただろう。
言霊師の過度な干渉は人類の進歩を妨げる行為に他ならない。
私が思考を重ねている間に、望月さんは自身の疑問へと舵を切る。
「近年の霊獣の発生率は異常だ。そもそも霊獣は言霊に共振し、誕生した異形の存在だろう?これが俗世を脅かすのであれば、言霊を武力として行使することは自然なことではないか?」
望月さんは柊さんに、言霊師の武装化を開始しろと示唆しているようだ。
「霊獣が言霊に共振し誕生した...?初めて耳にした話ですが?」
「ああ、今考えた可能性だからな」
柊さんは訝しげに望月さんを睨む。
「つまりだ、柊。俺は霊獣が人為的に造られた存在だと推測している。あのような異形だ、超常の力で創造したと考えるのが普通だろう」
有無を言わさぬ物言いで続ける。
「だが、言霊には生命体を創造するような力はない。故に俺は2つの疑問を持つに至った」
望月さんは左手の人差し指と中指を立て、その場を立つ。
「1つ。言霊にはまだ俺らの知らない力が隠されているのではないか?そしてそれは、最高位の霊力を有する第1等級の柊ならば知っているのではなかろうか?」
「2つ。霊獣は何かしらの事故により、言霊と混ざり誕生したのではないか?言霊には本当に霊獣を創造するような力は無いのかもしれない。しかし、想定外の事象により思わぬ形で言霊が形を成し、霊獣になったのではないか?」
望月さんは依然正座を崩さない柊さんの元へと詰め寄る。
柊さんは無表情を貫いていたが、望月さんが言い終わると笑みを浮かべて、登場時と同様、畳に手を着き頭を垂れた。
「本日はようお越し下さいました。望むような答えが出来ず恐縮ですが、お引き取り下さい」
反撃が来ると構えていた望月さんは面食らったようだった。
しかし、この冷然たる拒否の姿勢を見て、これ以上突いても求めるものは得られないだろうと踵を返し、こちらに戻ってくる。
想定外のトラブル......言霊の暴走........。
私は4年前の大型地震を思い出せずにはいられなかった。
「柊さん!4年前の原発事故は地震により引き起こされました。あの地震は言霊の行使により発生したのでしょうか?大規模な言霊の行使に、何か想定外のトラブルが重なり霊獣が生み出されたのでしょうか?!」
沙原さんは目を丸くして私を見ている。
対して望月さんは満足気な笑みを浮かべている。
どうやら彼が求めていた役割を、私は意図せず全うしたらしい。
「......これ以上詮索するを止めなさい。」
柊さんは頭を下げたまま、凄みのある声で促す。
垂れた前髪で表情は見えず、反応が読めない。
「柊、その反応はまるで当たりと言っているようなものだな。隠居で暇ならば、演技の稽古でもしたらどうだ?」
望月さんはこれは痛快とばかりにからかうが、対面の言霊師は怒りを露わにしている。
瞬間、霊力など微塵も感知できない素人の私ですら、知覚できるほど空気が張り詰めた。
張り詰めた空気は停止したかと思えば、循環し私達の周囲を囲んだ。
それは首から上の帯域には冷気が満ち、吐く息を白濁させる。
対して、首より下に位置する折り曲げた脚は熱気に晒されて、痺れを濃く感じさせる。
紛れもない警告であった。
沙原さんは身の危険を感じ、立ち上がって気流を整えるべく、右手の五指を前方に向け詠唱を試みる。
が、冷静さを欠いていたのであろう。
その指の先には柊さんがいる。
これでは攻撃の意思があると捉えかねない。
即座に望月さんが自身の左手で、沙原さんの手を降ろさせる。
しかし、すでに反撃準備にあった柊さんが目を細め、僅かに唇を動かす。
直後、湖の水面が凍結するような音と、薄氷がひび割れる音が同時に響き、望月さんの左手の人差し指、中指の第一関節から先が剥離され床に落下した。
「望月さん!!すみません、私...私..なんてことを...」
動揺する沙原さんを望月さんは制止する。
一瞬で凍結したのだろう。
傷口からは一滴の流血もない。
「小童がッ!!!面白半分で首を突っ込むんじゃねぇッ!!」
私達は望月さんの受けたダメージと老婆の怒気に怯み後退りする。
本格的な退却の前に、落下した指を拾おうとした望月さんに、柊さんが追い打ちをかける。
「そいつは許さねぇッ!!」
浴衣に施された蝶が、腰元から右肩へと衣服の表面を飛翔し金色に輝く。
発光と共に、指は柊さんの方に引き寄せられ、いつの間にか立ち上がっていた老婆の右足に踏み潰され、砕け散る。
「望月よ...これは勉強料だ...!助手と部外者を連れてとっとと帰りな」
そう言うと窮奇の放ったものより大規模の暴風が右方から真横に吹き抜け、私達3人は居間から廊下へと吹き飛ばされる。
外の陽は完全に落ち、廊下は暗闇に包まれていた。
だが、私達の登場と共に廊下の左右に配置された蝋燭の火が灯り、帰路を示す。
私達は圧倒され、疲弊した身体を引き摺るように屋敷を後にした。
長い廊下を抜けるまで発言するものは誰も居なかった。
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