第3話 瑪瑙の煌めき

 私達は望月さんの発案に従い、言霊師を束ねる柊さんを尋ねるため、片田舎の町村へ向かう3列編成の列車に乗り込んだ。


 乗車した列車には私達以外おらず、それが目的地が辺境の地であることを物語っている。

 列車は少しの間停車し、後列車両に何人か乗客が乗るのを待ってから発車した。


 しかし数分後、列車は目的地より4つ前の駅で突如停止し、アナウンスが車内に響く。


「乗客の皆様にご連絡致します。進行方向にて濃霧が発生した為、当列車はこの駅にて運転を停止させて頂きます。霧が晴れ次第、運転再開をお知らせさせて頂きます。列車の扉は開けておきますので、必要であれば降車し、駅でお休み下さい」


 望月さんは私に目配せする。


「沙原、煙草でも吸いにいくか」


 そう言い放つと降車する。


「すみません、少し失礼しますね〜」


 私は糸川さんに会釈し、望月さんを追いかける。


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 存外、田舎の喫煙所は広く、私達は2人で使うには少し落ち着かない空間で煙草に火をつける。


「まさか望月さんが依頼を引き受けるとは思わなかったです」


「失礼な。あの事故は痛ましい。俺が事態を改善できるなら、なにか力になりたい...とは思う」


「とはいえ実現は厳しそうですね」


「ああ。言霊師は我が強く協調性に欠ける。組織を編成し動かすには柊に指揮を取ってもらう必要があるが...何せその本人が曲者だ」


 柊さんには1度だけ会ったことある。

 日本各地の言霊師を掌握する女性で、温和な表情と気品ある出立ちであったが、滲み出る霊力には凄まじい迫力があった。

 彼女は徹底した原理原則主義者で、俗世に言霊の力を行使して干渉することに対して否定的だ。


 望月さんのように何でも屋を謳いながら依頼人のささやかな願いを言霊で叶え、その報酬を得る所業に憤慨しており、2人の関係性は最悪と言える。


 そんな状態で柊さんに協力をお願いしようとしているのだから、結果は想像するに容易い。


「まぁ協力は即却下されるだろうな。本題は霊獣の頻出についてだ」


「では何故糸川さんを連れて来たんですか?」


「もしかするとこの2つは密接に関係しているのかもしれない......。アイツを上手く使えば何か掴める気がしてな」


 これだけ聞いてもさっぱりだ。

 望月さんは嘘こそつかないが、その思惑を回りくどい言い回しで秘匿するところがある。


「とはいえ、そもそも会うことすら出来ないんじゃないですか?お土産かなにか買っていった方がいい気もしますが......」


 そう言うと望月さんは指で摘んでいた煙草を落としかける。


「まさか......何も用意していないのか?」


「え?特に言われなかったので......」


「この指示待ち人間め......人の病院食には手を出す食いしん坊の癖に、差し入れのことには頭が回らんとは......」


 電車のベルが鳴動し、霧が晴れ発車を伝える旨のアナウンスが流れる。


「あ、望月さん!発車するみたいです!急ぎましょう〜〜」


 私は煙草の火先を灰皿に押し付け消化し、喫煙所を後にする。


 望月さんは大きくため息をついて、電車に駆け込む私を追いかける。


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 車窓に付着した水滴が真横に流れ、その軌跡から連続する田畑の景色が滲んで見える。

 退屈で変化のない旅路にストレス耐性の高そうな糸川さんでさえ欠伸を隠せずにいる。


「しかし、遠いですね。その柊さんという方が人目を避けるのには何か理由が?」


「言霊師は発語で物事を操る。故に悪戯に俗世に影響を与えないように、人里離れた場所に居住を構えるのが一般的だ。加えて柊は生粋の臆病者だからな。それも相まってこの様だ」


「では都心に身を置く望月さんは特別、ということでしょうか?」


 糸川の言葉に気を良くした望月が鼻腔を広げ、自慢げな表情をする。


「違いますよ!望月さんはがめつい異端児なだけです」


 すかさず私は誤解を解く。


「心外だな。まぁ、異端児という部分は否定しないがな」


 望月さんは鼻を鳴らし、口に運ぼうと麦茶のペットボトルを手に取る。


 その時、列車の左側から何かモノが衝突したような衝撃が走った。

 後列車両から窓ガラスが飛散、金属がひしゃげる音に続いて、人の悲鳴が響く。


 私達はただならぬ事態を察し、座席から立ち上がる。


「糸川、座席の影に隠れておけ」


 望月さんはそう言うと目を瞑り、霊力を探知する。


「悪意に満ちた霊力を感じる。おそらく霊獣だろう。沙原、俺の左前に立ち、防御態勢を取れ」


 私は望月さんの言う通りにし、半身になり左手を伸ばし掌を後列車両にかざす。


 直後、望月さんの霊力が迸り、後列車両との連結部の扉が開かれた。


 扉の先には鷲の翼を有した虎がいた。


 その毛並みは本来の黄色と黒に加えて、返り血の赤を含んだ3色に彩られており、剥き出しの牙を流れる血はその持ち主であったであろう、真下の老人へと垂れ落ちる。


 老人の腹は抉れており、陰影によりその深度は確認できない。

 だが、腹から溢れた臓器が死を示唆していた。


「窮奇(きゅうき)か!沙原!空気で防壁を貼れ!」


 扉と同程度のサイズをイメージし、私は唱える。


「窒素よ、集まり留まれ!」


 それと同時に望月さんの霊力により、扉が見えない力で引っ張られ閉じられる。


 しかし、閉扉より先に虚空を裂く音が5つ鳴り、窮奇から放たれた烈風が私達のいる車両に侵入する。

 うち三つは私が構築した空気の防壁に衝突するが、残り二つは左右からすり抜け私の左腕と右脚を掠める。


「......ッ!!」


 鋭い痛みが走り、視線をやると烈風が掠った部分の皮膚とその下の肉の表層が切り裂かれている。

 左腕は痛みにより中空で維持することが困難だ。

 やがてだらりと脱力し、指先が下を向いたことにより、防壁も霧散する。


「沙原さん!大丈夫ですか?!」


 身を隠していた糸川さんが慌てて近寄ってくる。


 退却より反撃が必要と判断したのだろう。

 糸川さんは私の右脚ではなく、左腕の傷口を紺色のハンカチで押さえ、止血を試みる。

 

 対照的に望月さんは冷静だ。

 敵から目を逸らさずに私達に指示を飛ばす。


「窮奇(きゅうき)は風を操る霊獣だ。幸い先頭車両も人がいない...。沙原!糸川!先頭車両へ移動、距離を取り、迎撃体制を整えるぞ」


 そう言うと望月さんは私の方を向き、先に行けと顎で先頭車両を指す。


 私は糸川さんの右肩を借り、負傷した左腕を押さえながら、右足を引き摺り移動を開始する。


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 列車は変わらず運行している。

 おそらく窮奇が操る風が音を遮断し、車掌は車内の異常事態に気付いていない。

 しかし、1分経っても窮奇はこちらまでこない。


(後列車両の他の人間を襲っているのかな?)


 緊張した面持ちで糸川さんが問う。


「望月さん、窮奇の起こす烈風は当たりどころが悪ければ致命傷です。風を封じることは出来ないのでしょうか?」


「いや、風自体にそこまでの威力はない。あくまで裂傷は、強風により巻き上げられた砂粒やガラス片が高速度で衝突することで生じる結果だ」


 糸川さんは沈黙した。

 高速かつ微細な飛来物の対応は、対象の視認を必要とする言霊では困難だ。

 有効な対策はないように思えた為だろう。


「加えて、燃焼を得意とする俺とは相性が悪い相手だ。質量のある攻撃が求められるな。」


 言霊師はあらゆる事象を操る。

 そして、緻密で大規模な事象を再現するには、その事象に対する深い知見が求められる。


 そのため基礎を修めた言霊師は、特定の事象の操作に傾倒し、得意分野を構築するのが一般的だ。


 望月さんはとりわけ燃焼の再現に長けた言霊師だが、風を操る相手では精密な操作は叶わず分が悪い。


「だが打つ手はある。沙原、槍を使う」


「わかりました!」


 私は肩に掛けていた金属バットのケースから長さ90cmほどの警棒のような黒い柄を取り出し、中間部分を回転させ120cmほどに伸長させ、望月さんに手渡す。

 

 望月さんはポケットから瑪瑙(めのう)石で出来た鏃(やじり)を取り出し、受け取った柄の穂先に嵌め込み、それを短槍とし構える。


 糸川さんは言霊師が言霊ではなく接近戦を挑むことに驚いたようだった。


「沙原、対峙したら奴が霊力を放つ瞬間に、この車両の右手の車窓を全て開放しろ。開閉を制御する錠は既に破壊してあるから容易いだろう」


「わかりました!」


 意図は読めないが、ここは信じる他ない。


 望月さんは私が言霊を放ち易いよう、槍を左手に構え右側を空けている。


 私は負傷した左腕は垂らしたままで、右手の五指を窓に構え、意識を集中させる。


 直後、ガラスが飛散する音と共に窮奇が後列車両の扉を押し倒し、こちらの車両に侵入する。


 窮奇は大きく口を開け、噛砕には過剰な本数の牙を見せつけながら、昆虫の羽音のような声で叫ぶ。


 それに伴い霊力が風に乗りつつあることを感じ、私は唱える。


「空気よ、沈降せよ!!」


 詠唱と共に取手にまとわりついた空気が沈降し、右側の車窓が全て解放される。


 直後、窮奇の翼のあたりから烈風が吹き、巻き上げられたガラス片がその軌跡をなぞる。


 しかし、烈風は私が解放した車窓から侵入した風に煽られる。


 時速60kmの列車が飲み込む風だ。


 いくら霊力を伴う烈風とはいえ、暴風の横殴りを受け、窮奇は烈風のコントロールを一時的に失ったようだった。


 望月さんは既に駆け出していた。


 烈風は制御を失う前に望月さんの右肩を抉るが、その傷は浅い。


 瑪瑙(めのう)の鏃(やじり)が煌めいた。


 瞬間、望月さんが蹴り出した左脚がブレて、踏み込んだ右脚と突き出した穂先は、想定よりも前進し、窮奇へと襲いかかる。


 短槍の穂先はその勢いのまま窮奇の口腔に侵入し、頭蓋を貫いた。


 たちまち窮奇の眼から光が失われていく。


 そのまま後ずさるように翼を数回羽ばたかせるが、すぐに力尽き地に伏せた。


 倒れ込んだ音と共に窮奇の身体を風が包み込む。


 風は羽毛や血肉、ガラス片を巻き込み小規模の砂塵と化し、やがて先細り消滅すると、そこに窮奇の姿はなかった。


「......なんとかなったな」


 望月さんは座席に勢いよく座り込み、槍を右肩に持たれさせて、おもむろに煙草に火をつけた。


 煙草から生じた煙は車窓から入り込む風に煽られ、後方車両へと流れていった。

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