第2話 神通力は発語と共に
医療用ベッドの昇降ボタンを3秒押下し、俺は上半身を起こし病室の窓から外を眺める。
生憎、外壁修繕工事により外景の殆どは鉄筋であるが、この殺風景な病室を眺めるよりは遥かにマシだ。
だが、次第に負傷している首が痛みだし、俺は大人しくベッドに身を預ける。
「あ、望月さん。起きたんですね!」
個室の入り口が開き、缶コーヒーを持ったショートカットの女が入ってくる。
「沙原、昨日は助かった。だが、市大の個室への入院なんて贅沢じゃないか?」
「望月さん脳震盪起こしてたんですよ?一応精密検査しとかないと怖いじゃないですか。それにここの病院食も美味しいですし......」
「おい......何故味を知っている......?」
沙原はわざとらしくお腹をさする。
「昼食の豚の生姜焼きは美味でした。
夜も楽しみです。望月さんよかったら寝て下さい。
お身体に障りますよ?」
「心配と食欲を上手く両立させたな......」
この女、沙原は俺の助手だ。
霊獣との対峙にあたり、その準備を一任している。
昨日の渾沌(こんとん)との戦闘においても、森の中の陽光が差すポイントに陽動したのは彼女である。
窓側のパイプ椅子に腰掛けた沙原が急に思い出したようにスマホの画面を俺に見せる。
「そういえば、昨夜政府の人からアポイントありましたよー」
画面にはまどろっこしい前置きと、要約すると力を貸して頂きたい旨の文面が表示されており、メールの最後にはエネルギー庁 糸川と記載されている。
「沙原、即退院だ。官庁からの依頼など厄介事だと決まっている」
軋む身体を起こしてベッドから立とうとする。
しかしその時、病室のドアがノックされた。
「失礼致します。訪問を事前にご連絡しておりました。私、糸川と申します。」
ドアが開き、前髪をセンター分けにした30代前半にみえる背広の男が立っていた。
「生憎、俺は今から退院することになっている」
俺は皮肉を吐き、入り口に背を向け荷物を纏め始めるが、糸川は入り口を塞いだまま微動だにしない。
「メールではお話をさせて頂けると......」
「それはウチの助手のミスだな。今俺は負傷中で仕事を引き受けるつもりはない」
「左様でございますか......」
落胆した言葉こそ口にしているが、折れるつもりはなさそうだ。
「望月さんが倒れていた場所では中規模の火災があったそうですね。そして、貴方は火薬を所持していた」
男は続ける。
「これは火薬類取締法に抵触します。森林で火気を用いたのですから、悪意ある行動と見なされるでしょう。ただ、もしお話を聞いていただけるのであれば、お互いにとって有意義な時間になるかもしれません......」
男の肩書き、見た目と相反した脅しに俺は思わず笑みを浮かべる。
「糸川、あんた見かけによらないな。わかった、話を聞こう」
俺は纏めていた荷物を沙原に渡し、再びベッドに腰掛ける。
「有難うございます。では現状我々が抱えている問題と、それを解決出来る算段についてお話させて頂きます......」
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糸川は、日本が直面しているエネルギー供給量の不足の深刻さを語り、最後にその解決に言霊師の力を借りられないかと付け加えた。
言霊師の事まで認知しているとは驚きであった。
「なるほど、だが丁重にお断りさせてもらおう。言霊はそこまで器用な力ではない」
「私は言霊とは、発語をトリガーとした神通力だと認識しております。つきましては、例えば発電所の発電効率の向上、発電した電力をロスなき伝送、そして願わくば......」
男はこれが困難であることは知りつつも、言葉にせずにはいられないようだった。
「願わくば......炉心融解により原発から拡散された放射線物質の除去、及び事故が起きた原発の廃炉にご助力頂きたいのです......」
「......神通力とは言い得て妙だが、さっきも言ったように言霊とは魔法とは程遠く、不器用なんだ」
俺は病室のテレビの下に配置された金庫を指指す。
「例えば、言霊であの金庫を開こうとした時、どんな手順が必要になると思う?」
「対象を視認、錠に意識を集中、開けと唱える......とかですか?」
「違う。金庫は内部の機構に合致した鍵を挿入、回すことで錠を外すことができる。中のモノを無傷で取り出すには、複雑な鍵の構造を知り、鉄などを合鍵に加工する必要がある」
糸川はどうやら柔軟な思考をする男のようだ。
ここまでの説明を理解したようなので続ける。
「つまり、言霊が可能にするのは自然現象の再現だ無から有を創造することはできない。摩擦や燃焼による加工で合鍵を作ることは出来るが、錬成することは出来ない」
「その言い方ですと、"中のモノを無傷で取り出す"という前提が無ければ、開閉は可能ということでしょうか?」
俺は糸川の勘の良さに驚く。
「勿論だ。沙原、これも修行の一環だ。単対象指定・単事象で金庫を開けてみろ」
「あいあいさー」
呑気に返事をした沙原は、少し悩んだ後、右手の五指で金庫を差し唱える。
「空気よ膨張せよ」
瞬間、金庫の容積が膨らんだ。
逃げ場を求めた空気は扉へ押し寄せ、内側から体当たりしたような衝撃音と共に、扉が軋みながら開く。
沙原は得意気に笑みを浮かべる。
「まずまずだな。糸川、見ての通り言霊はプログラミング言語のようなものだ。対象を知覚し、正確かつ丁寧に、如何なる事象を再現するかの指示が必要になる。ただ唱えるだけで、望む結果を手に入れることができる魔法ではないんだよ」
糸川はまだ言霊が起こした事象が現実であることに驚いているようであった。
「貴重な情報の提供、有難うございます。しかし、裏を返せば、放射線に関する専門知識を身に付ければ、先ほどの依頼事項は達成出来るのではないでしょうか?」
「言霊の行使には霊力を必要とする。拡散した放射線物質はその全容を捉えることが困難であるし、仮に捉えたとして対象が多すぎる。霊力が足りないだろう」
落胆する糸川に助け舟を出す。
「とはいえ、それは言霊師の数と質で解決する問題でもある」
顔を上げた糸川が問う。
「つまり望月さん、沙原さんに加えて何人かの言霊師にお力添え頂ければ、実現可能ということでしょうか?」
「恐らくな。だが、実行にあたりもう1つ解決しなければならない問題がある。霊獣の存在は知っているか?」
「勿論です。まだ厳格な情報規制が強いられているので、部分的ではありますが、官庁職員の上位層には通達されています」
霊獣。
霊力を求め彷徨う異形の獣。
一昨日俺が討伐した渾沌もそのうちの一匹で、これまでは1年に2,3匹発生する程度であったが、近年、その数を増し見境なく人々に害をなそうとしている。
「これまでは隠し通せていた霊獣だが、近年の発生率は異常だ。そして、奴らは霊力に引き寄せられている。つまり、目的達成に必要な数の言霊師を集めたとしても、除去作業の最中、霊獣の襲撃が予想される」
「それこそ言霊で対抗出来ないのでしょうか?」
「無論可能だ。だが、言霊の行使には多大な集中力を必要とする。放射線による被曝から身を守りつつ、その除去に言霊を行使しながら、霊獣と戦闘することは困難だろう。たちまち防御・除去の言霊は萎み、言霊師達は全員被爆するだろう」
「なるほど......つまり、霊獣の一掃が先に必要であると......。望月さん、そもそも霊獣とは何なのでしょう?言霊師により創造されたのでしょうか?」
「それについては俺も気になっていてな。先ほども言ったように言霊師は無から有は生み出せない。しかし、あのような超常の存在は言霊以外に説明がつかない」
俺は今度こそ病室を出るためにベッドから立った。
「故に確かめに行こうと思う。糸川、お前も来るか?」
望月さんの誘いには暗雲とした霧が立ち込めていたが、その先に光が見えた。
例え危険な道であっても、言霊を扱うこの男が一縷の可能性を語るのであれば、それは真実であろう。
いつかは叶い得るのだ。
だとすれば自分の選択は決まっていた。
私は希望を込めて頷いた。
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